‐‐1874年、冬の第二月第一週、プロアニア、ゲンテンブルク‐‐
バラックの宮殿に降り積もる雪は、灰色の曇った色をしていた。
宮殿の前に広がる駐車場には、一つの断頭台と、死刑執行人の姿がある。鮮血の遊戯に胸を躍らせる庶民たちは、王宮の門や柵越しに、その瞬間を今か今かと待ち焦がれていた。
バラックの宮殿の内装は壮麗なもので、客人を招き入れる際に利用される応接室にはカペル王国やエストーラにある宮殿のような芸術作品で溢れている。それらはいずれも記号に過ぎず、相手と対等の立場に合わせるためのツールでしかない。そこに語られる神話の成り行きなどに、何の意味があるだろうか?
椅子に座り、身をぶるぶると震わせる少年がいる。目は真っ赤で、顔は青ざめている。相対するように佇む国王ゲオルグは少年を見おろし、息子の服装を品定めする。
過剰に盛り付けたカラーで首を守り、上半身から下半身まで真っ赤な衣服に身を包んでいる。赤い衣服には濃い部分と明るい部分とがあり、不規則な斑模様となっていた。
「馬子にも衣裳とはよく言ったものだな」
少年は膝の上に置いた拳を震わせながら、歯を食いしばる。彼は湧き出す憎悪の置き場所に戸惑い、恨めしそうに父王を見上げた。
宮殿の前に集う群衆たちが彼の盟友に罵詈雑言を浴びせる。かの男の罪状は『王子の誘拐』、即ち誘拐罪と大逆罪である。王は暗い瞳を息子に向けながら、従者らに器具の運搬を手伝うように指示を出す。王の衣装は普段通りの民族衣装を着込んでいる。彼はネクタイを整え、執務に戻ろうと踵を返した。
「どうして貴方はこんなことをするんだ!」
少年は絶叫する。ゲオルグ王は振り返り、暗い瞳で少年に振り返った。睨みつける息子に対して、彼は淡々とした口調で答える。
「罪状は先程述べたとおりだ。死刑の執行人にお前を任命する。私は仕事に戻る。以上だ」
「そう言うことを聞いているんじゃない……!彼は僕の親しい家臣で、家族も同然だったろう!それをこの手で殺せというのか?貴方は、たとえば自分の実の娘に手をかけることが出来るのか!?」
少年は怒りに任せて絶叫する。王は感情の籠っていない、冷ややかな瞳を息子に向けている。
そして、彼は躊躇いなく腰から拳銃を取り出すと、騒動の成り行きを不安げに見守る自分の娘の脳天を撃ち抜いた。
吹き飛ぶ鮮血がどくどくと流れ、壮麗な絵画を汚す。少年の瞳が激しく揺れ動き、言葉にならない絶叫が響いた。
硝煙を上げる拳銃を下ろし、暗い瞳を息子へと向ける。揺らぐことのない、冷たい黒曜のような瞳である。それは鮮やかな赤色の瞳を持つ少年とは対照的で、底の見えない闇を宿し、その奥には何も映らない。
「これで問題ないか?」
彼は徐に息子に近づき、その顔を覗き込む。そして、暴れる息子の頭を強引に鷲掴みにすると、壮麗な絵画の中に叩きつけた。
王女の死骸は従者によって粛々と片付けられる。多くの光を映さない瞳が、ぐったりと壁に寄りかかる遺体を運んでいく。最後に残った血痕も、泥でも流すように無感動に拭い取られていく。
「ヴィルヘルムよ、自動機械であれ。プロアニアの王とは秩序であり、人ではない。人としての権利がお前や私にあるなどとは思うな。そのような幻想に何の意味がある?プロアニア王国の国民に、秩序の外での権利が無いように、王にはその権利がない。それは国民も同様であり、『人としての権利』などというまやかしは存在しない。存続すべきは国家であり、種であり、個人でも権利でもない。私達は自動機械だ。人間ではない」
「自動……機械……」
額が割れ、血が顔を伝い落ちる。鮮やかな赤い瞳は光を失い、真黒な暗い瞳を見上げている。傷心に塩を塗るように、父王は滔々と尋ねた。
「それで、姫を殺めたのだから、相応の理由があるのだろう?まさか、意味もなく私に殺害を教唆したというわけでもあるまい」
それは王にとって必要な教育であった。秩序である以上、王はある勅命に対して正当な機序を説明する義務がある。そうでなければ、その者は殺人教唆罪、また実行した者も殺人罪の現行犯となる。赤い瞳の少年は、揺れる視界の中で、父と自分を守る理由を探した。
そして、少年の唇が細々と動く。
「国家の転覆を試み、王子誘拐の補佐をした疑いがあります」
「そうか。それは死罪に値するだろう」
既に撤去された遺体には、弁明の機会もない。王は去り際に、暗い瞳を息子へと向ける。黒くくすんだ赤い瞳は、切れた額から滴り落ちる血の行方を見おろしていた。
死刑執行を告げる甲高いベルの音が鳴る。赤い衣服の執行人は徐に立ち上がると、ふらつきながら駐車場へと向かっていった。
その日の公開処刑は、何事もなく執行されたという。