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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1906年
249/361

‐‐1906年秋の第二月第一週、プロアニア王国、ペアリス‐‐

 都市の郊外に歪に出来上がった空洞はなだらかで肥沃な平原丘陵を有する花の女神の所領に、暗い傷跡を残している。脇腹を槍で抉られたような痛ましい空洞の数々は、その場所で起こった熱戦のすさまじさ、しかも防衛者による抵抗のすさまじさを如実に表していた。


 真新しい鉄道の軌条が続く終着点に、倒木の蔓が絡みつく花の都ペアリスがあった。

 格段に小さくなった農場に、王の視線が釘付けになる。小さな三圃性農場に農民がひしめき、日々の務めをこなしている。

 彼らの仕事はこれまでと変わりなかった。しかし、農地を拡げるためには、大樹が吸い上げた養分の甚大さに痩せてしまった土地にも肥料をばら撒かなければならず、その前に枯死した大樹の根を引き抜き整地しなければならない。滞った農業生産高の真実を目の当たりにして、王は奇異の笑みを浮かべたままで硬直した。


 ‐‐そこに楽園はなかった‐‐


 彼はそう確信し、自らが侵略を続けた後の苦労を思って、内心で泣き崩れた。


 王国の食糧問題は長年の課題であった。医療と技術の進歩により幾何級数的に増大した人口を下支えするだけの肥えた土地がプロアニア王国には無かった。

 一度の飢饉で崩壊する生産体制からの脱却には、土地の切り取りが不可欠であった。ヴィルヘルムは王の秩序が行き届き易く、かつ多くの富を齎す土地への進出を決め、千載一遇の機会を二度も手に入れたのである。

 しかし、彼が目の当たりにした光景は彼の予想をはるかに下回り、貼り付けたような笑みの内側で落胆にくれた。


「アムンゼン。あの農地では本国に食料が送れないではないか」

「そうですね」


 アムンゼンは冷ややかに言う。王の硬直した笑みとは対照的に、彼はその惨状にある種の必然性を見出しており、電車の揺れるに任せて肩を上下させるばかりだ。


 電車は穴ぼこの丘陵地帯を下っていく。都心に向かって伸びる旧街道沿いの鉄道は、破損した水車小屋がそのまま放置された光景や、錆びた戦車が木の根と地面の隙間から回収されている光景を横切り、ペアリスの古い関所へと差し掛かる。

 市門となっている落し門が厳かに開かれ、最新の電車を無条件に受け入れる。電車は家屋から垂れる蔓や剥げた壁面の間を窮屈そうに抜け、豪奢な広い芝の庭園があるデフィネル宮の前で停車した。


 ヴィルヘルムの心が震え慄いた。脳の奥深くにあるセンサーがシナプスを通して全体に電気信号を送り、過去の恐怖と現実の懸念とを織り交ぜて警鐘を鳴らす。

 しかし、王はそうした事態に対して冷静でいなければならない。あくまで合理的かつ最も国益に適う形で、その現実と対峙しなければならない。


「いや、彼らが食事を摂らなければいいだけか。彼らは日々の暮らしの中で、何が食べられる野草で何がそうでないかを知っている」

「はい」


 アムンゼンの猫背が威圧感を放っている。それはヴィルヘルムの被害妄想でしかなかったが、彼に答えを急かすには充分すぎるほど強大であった。


 王は完全に不足なく均された食糧配給の地図を脳裏に思い浮かべる。ペアリスにある少ない収穫物で賄える田舎町を一つ特定し、前屈みになってアムンゼンに迫った。


 やがてデフィネル宮から、代理の王レノー・ディ・ウァローと新宰相ヴィルジール・ディ・リオンヌ、そして現地で生産量の管理を任されている、しがない第二歩兵連隊長とがヴィルヘルムの到着を出迎える。


「いや、問題ない。食料は定量を本国へと輸送させる。彼らは彼らでうまく生き残るはずだ」


 アムンゼンは何も言わず、懐から懐中時計を取り出す。二大首都を連結する鉄道は予定時刻の通りに、王都ゲンテンブルクから古都ペアリスまで到達した。


「お待ちしておりました、ヴィルヘルム陛下。ペアリス周辺は現在、ご覧になった通りの状況です。陛下ならば賢明な判断がどのようなものかをご理解いただけますでしょうな」


「レノー閣下……失礼、レノー陛下でしたね。勿論、先程拝見した郊外のご様子を加味して、今後の都市計画について検討させていただきます。失礼ですが、先ずは少し休みたい」


 彼は平静を装った笑顔のまま、出迎えるレノーと握手を交わす。その後も彼に対して何事かを語り掛けるレノーだったが、その声はヴィルヘルムには届かない。彼は玉座の屋根に巨大な穴が開いた王宮の中へと、そそくさと入城を果たした。


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