‐‐1906年秋の第二月第一週、プロアニア、ゲンテンブルク2‐‐
緊張した面持ちの兵士達が、貨物列車よりも随分と待遇のいい二等車両で戦陣訓と任務の概要を確認している間、貸し切りの先頭車両では、アムンゼンとヴィルヘルムの二人が暗いトンネルが続く車窓を車掌の背中越しに眺めていた。
ヴィルヘルムは既に往来した記憶のある先の見えない道で、時折揺れる車体に、楽しそうな歓声を上げる。アムンゼンは相変わらず無表情で、車掌の背中越しに見える光の筋を真っすぐに見つめていた。
「鉄道の強みはその積載能力です。陸路を主たる交易路とする我が国では、迅速かつ大量の運送が可能となるこの鉄道の開設は、食料事情改善の第一歩となるでしょう」
アムンゼンは窓越しに見える光の筋が大きくなっていくのを確かめる。その先には、長大に続く一年草の生える道が続いており、その中に長い石垣と、バラストの敷かれた長い線路が続いている。
車体がわずかに進行方向を登り始め、鉄道が地上に向かって進んでいく。ヴィルヘルムは赤い瞳を爛爛と輝かせ、車窓から溢れる光の筋を独り占めしていた。
「安定した資源の供給が出来るようになれば、漸く彼の仕事も捗るようになるだろう」
「彼」という言葉に、アムンゼンは片眉を持ち上げる。彼が想起するのは、王の御前で堂々と王への脅迫を行ったコンスタンツェ・オーベルジュその人である。
それが皮肉としての言葉なのか、純粋な希望の言葉なのか判然としないため、アムンゼンは黙って王の話を傾聴しようと試みた。
「ミサイル兵器の開発はムスコール大公国直近の課題となっているだろう。そうした中でさらに精度の高いミサイルの研究と、それに並行した宇宙飛行の研究、いずれもを進める。彼らにとって実に屈辱的だと思わないか?」
ヴィルヘルムは漸く赤く光る瞳をアムンゼンへ向けた。車外に光が満ち、緑生い茂る獣道のような道の中に、長い路線が続いている。
アムンゼンは静かに頷き、僅かな角度で左折をする電車の揺れに合わせて上半身を動かした。
王はその様子を見て楽しそうに笑う。二人は長い草原の道に花を添えようと、専属の添乗員に声をかけた。
「コーヒーを淹れてくれ」
添乗員は地面に対して殆ど水平になるほど深いお辞儀をする。
「畏まりました」
添乗員が急いで旅客席から出ると、王は姿勢を崩してアムンゼンをまじまじと見つめた。
猫背の宰相は表情を崩さずに王と視線を交える。電車が揺れる音に促されるように、ヴィルヘルムは睨みあいに負けて吹きだした。
「何か?」
「戦争が終わると、君は冴えない男だね」
アムンゼンは首を傾げて生返事をする。王は愉快そうにけたけたと笑い声をあげた。
車窓では並走する草原地帯が緑色の線描のように通り過ぎていく。鬱蒼とした草原地帯、動物たちの領域を、人工の巨体が走り抜けていく。
二人が不毛な睨みあいを続けているところに、先程の添乗員が二人分のコーヒーと菓子を運んできた。ヴィルヘルムは机に置かれたコーヒーを自分の目前に引き寄せると、真鍮製の砂糖入れの蓋を開け、角砂糖を入れる。適量のミルクで味を調えると、優雅な指の運びでマドラーを持ち上げ、かき混ぜた。
「アムンゼン。君の意見を聞いていなかったが、君はコンスタンツェとかいう研究員の野望について、価値があると考えているか?」
「技術的な威信を示すという意味はあるでしょう。我が国が最高の技術大国であるという事実を世界に知らしめるという意味ならば」
アムンゼンはコーヒーカップを持ち上げてかき混ぜ、人肌まで冷めるのを待っている。ヴィルヘルムが甘いカフェオレを飲んで嬉しそうに唸ると、車窓の光景に人工的な建造物が現れ始める。都市にある駅のホームでは見送り役の住民が集まっている。ヴィルヘルムは遠目に市民の様子を確かめ、満足げに目を細めた。
「そうだろう。だが、それだけではまだ足りない。何かの役に立てなければ、行動そのものが無駄になる」
「……陛下。何か焦っておられるのですか?」
アムンゼンが尋ねると、ヴィルヘルムは呆れたような溜息を零した。乾いた笑い声の機嫌を確かめるために、添乗員が不安げに様子を確かめにくる。
電車は緩やかな傾斜に差し掛かる。小刻みな振動に合わせて、その波形をコーヒーが読み取った。
アムンゼンがようやくカップを手に取る。王の凝視に対して、彼は事務的な事項を告げるように粛々と続けた。
「陛下が望む通りに事を運ぶには、先ずは陛下の合理的な方針が必要不可欠でしょう。以前にも増して冷静に対処するべきです」
つけ離すような言葉に、王の表情が強張る。猫背の宰相はコーヒーを一口啜ると、鼻から息を零した。
「継続的な旧カペル領の開発が必要であれば、またご相談ください」
宰相の冷めた視線が自然と車窓に向かう。近代的で均整の取れた都市の景観が車窓を通り過ぎていく。次に待ち受けるのは、地下へと潜っていく長く暗いトンネルの道である。
「……冷静に、か。確かにその通りだ。今の私は昔話に付き纏われているらしい」
アムンゼンは王に一瞥をくれる。ヴィルヘルムは詰め寄るために丸めた肩をそのまま落とし、憔悴した笑顔を浮かべている。
「あの時とは事情が違うが、言う通りにいかない相手と向き合うのは少し疲れた……」
王の独り言は自分に言い聞かせるように、消え入りそうな小さな声で零された。
車輪が軋む音がする。トンネルの先にある光は遥かに小さく、その行く先を示してはくれない。