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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1906年
239/361

‐‐●1906年夏の第一月第三週、プロアニア王国、ソルテ4‐‐

「ただいま。鉄兜は?」


 半目は帰宅早々に自分のベッド、藁敷きベッドで眠る鉄兜の方へと飛び込んだ。


「この通りだ。何とか寝かしつけたよ」

「おおー。ありがと」

「じゃあ、俺は交代で行くからな」

「ん。気を付けて」


 男は夜の仕事に向かうために工事現場へと向かった。

 半目はそれを見送ると、直ぐに鉄兜の枕元に滑り込む。騒々しい来訪者に、鉄兜の目がわずかに開いた。


「ただいま」


 半目はにっと歯を見せて笑う。半目の顔を見るなり、大きく目を見開いた鉄兜は飛び起きて、見慣れない光景に目を瞬かせた。


「えっ、えっと……」


 古い煉瓦造りの家屋に、床に藁を敷いただけの寝床が二つあり、台所には古い竈があり、その上に空の大きな鍋がある。混乱して周囲を見回す彼の膝の上には、温くて湿った襤褸布が落ちている。

 そして、彼の枕元には水の張った桶と、戦場で出会っただけの関係だった半目が座っている。


「生きてたなら言ってくれよなぁー」


 半目は間延びした声で言う。心臓が縮こまりそうな轟音が耳元で鳴り、鉄兜は身を起こしたまま飛び上がった。

 すかさず半目が抱き寄せて、背中をトントン、と叩く。


「大丈夫、大丈夫。俺の屁だからな」

「こんなでかい屁があるか、馬鹿!」


 半目に抱き寄せられるままに任せて、恐怖に任せて泣く。彼の耳元では、今も銃声が飛び交っている。

 やがて銃声が遠くなると、彼は消え入りそうな声で、半目の耳元に向けて語る。


「……あた、までは、分かっているんだ。戦争は終わったって。でも、耳元で、幻聴が聞こえると、どうしても体が反応して……」

「うんうん」

「それで……一度は、収まって、たんだけど、プロアニア兵が、駐屯し始めて、強制労働が始まると、どんどん……。頻度が、増して……」

「うんうん」


 鉄兜の荒い息遣いは、生温かい空気となって半目の耳たぶにかかる。自らの顎を戦友の肩に乗せて告白をしていると、彼の縮んだ肺と心臓は、少しずつ本来の大きさを取り戻していく。


「俺の屁、そんなに臭かったかぁ。ごめんなー」

「もうその嘘は良いって……」


 半目はからからと笑う。彼は起き上がった鉄兜の足元を一瞥し、口角を持ち上げた。


「……足、治ったな。切らなくて済んだな」


「プロアニアの軍医が、お前が使ってくれたような粉を塗したり、乾かしたりして治した。いい医者がいたもんだって、ぼそっと呟いていたよ」


 半目は恥ずかしそうに目を細める。遠ざかっていく微かな銃声を聞きながら、鉄兜の心は凪いでいった。


「お前は、大丈夫だったのか?」

「ヴィロング要塞からずっと、プロアニア兵の軍行を追って生き延びた。戦争の混乱に乗じて水車小屋の麦粉とかかき集めて、森の糞不味い果実とか食べて生きてたよ」


「戦後にソルテに入り込んで、ソルテ市民として鉄道敷設に駆り出されたんだな」


 鉄兜は先回りして答える。半目は人差し指で彼を指差すと、「正解!」と威勢よく言った。鉄兜が過剰な反応をして、半目は指を引っ込めた。


「あ、ごめんな?」

「ごめんなはこっちだよ。臆病者でさ……」


 暫くの沈黙。機嫌の良さそうだった半目に不服そうな顔を向けられて、鉄兜はたじろいだ。


「臆病者で何が悪いんだよ。死ぬのはみんな怖いだろ」

「でも、俺、まともな仕事も出来なくて、国まで滅んだし」

「お前が戦えても戦えなくても、国なんか滅んでるだろ。なんでお前が臆病者だといけないんだよ」

「えっと……」


 言葉に詰まった鉄兜は視線を下ろし、膝の上に落ちた襤褸布を持ち上げる。それが自分の額に乗っていたものだと気づいて、再び気持ちを切り替えようと顔を持ち上げた時、彼の視界に顔を歪ませて瞳を潤ませた半目の顔が映った。


「俺だって怖かったよ。もう誰にも会えないかと思った」


 半目は再び鉄兜を抱き寄せる。今度は自分の顎を肩に乗せ、鉄兜の上衣を濡らした。


「……なんだかなぁ」


 鉄兜はぽつりと零す。言葉の続きを考えておらず、暫くそのままで制止した。


 流されるままに流されて、訳の分からない理由で共同住宅に押し込まれて、何の意味があるかもわからない仕事を続ける。そうして続けてきたことに対して、鉄兜は明確な未来を見いだせないでいた。

 そして彼は、再び、ただ脳裏に浮かんだ言葉を零す。


「何か良いこと、起きないかなぁ……」


 彼の耳元を、銃声と着弾音が再び襲い来る。彼はそっと、抱きついて泣く半目の頭に手を添えて、互いの心臓の鼓動を確かめた。


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