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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1906年
237/361

‐‐●1906年夏の第一月第三週、プロアニア王国、ソルテ2‐‐

 ソルテの町を縦断するように敷かれたレールの上に、バラストを運ぶトロッコが通っていく。カペル人には見慣れない工具の類で、無心に仕事をする者たちの間を、半目が鉄兜をおんぶして進んでいく。小銃を構えたプロアニア人の歩兵達は、半目を目で追いかけ、首に提げた休憩中のシンボルを見つけ視線を戻す。シンボルは時間が経つとアラームが鳴る仕様となっているが、一刻ごとに半目の歩幅は広くなっていった。


 鉄兜は薬のためにうまく回らない思考で、彼の首に提げたものが時間を刻むのを一瞥する。肩越しに訪れる強い振動も、半目の心臓の鼓動がはやくなるのも、背中に密着した鉄兜に微かに伝わっていた。


「お前、休憩時間……」


「終わる前に戻らなきゃだから、ちょっと揺れるけど我慢して」


 トロッコの通り過ぎた後を跨ぎ、半目は道を急ぐ。労働者たちの間を潜り抜け、ほんの小さな集合住宅に入った半目は、自室の扉を足でノックした。


「開けてくれぇ、俺の仲間引き取ったからー」


 大声を聞きつけた入居者が顔を見せる。その男は扉を開けると、目を丸くして彼の背負った人を見た。


「こいつ、ヴィロング要塞で見たな……?よし、預かるから、急いで仕事に戻れ」


「ありがと、よろしく!」


 半目は鉄兜を戸口に下ろし、即座に去っていく。鉄兜は自力で体を支えられず、絶えず耳元で鳴り響く砲弾の音に、時折体を痙攣させている。


「半目ぇ……行かないでくれぇ……」


 男は鉄兜を玄関から引っ張り上げると、藁を敷いただけの簡素な寝床に彼を置いた。鉄兜が戸口に手を伸ばすので、男はそれを抑える。


「しっかりしろ、お前。半目は仕事に戻るからな。深夜には戻るからな」


 鉄兜は男の声に混ざって耳元で響く轟音に頭を激しく上下させ、男の頬を非力な手ではたいた。


「嫌だ、嫌だ、嫌だ!誰か砲撃を止めてくれ……」


「大丈夫だ、深呼吸しろ、はい。一、二、三……」


 彼は男の言いつけに従い、呼吸を整える。暫くすると、彼は疲れ切って寝息を零し始めた。

 ぐったりと倒れる鉄兜の頭を優しく地面におろすと、男はこの痩せ衰えた男を見おろして独り言ちる。


「半目の友人とは思えないほど聞き分けが良いな、こいつ」


 男は彼のでこに手を当てて、すくり、と立ち上がる。そして、タオルを持ち出すと、彼の額にある汗を拭い始めた。

 汗腺という汗腺から染み出した汗は、薄いタオルを簡単に水浸しにしてしまう。男は苦虫を噛み潰したような表情をして、台所にある桶を持ち上げた。彼は鉄兜が寝息を立てていることを確かめると、素早く井戸に向かって駆けていく。部屋に細い寝息が響き、薄い壁に反響する。睡眠の間中響く轟音に、鉄兜の体が跳ね上がる。紫色の唇がひゅう、と息を吐き、ガタガタと歯を震わせた。


「半目、行かないでぇ……」


 藁を鷲掴みにし、何度も寝返りを打つ。そのたびに、彼の体に纏わりつく藁が折れてしなる音が響き、その音が彼の耳元で銃声に置き換わる。集合住宅の階段を慌てて駆け上がる何者かの足音も、砂塵を巻き上げる着弾音の如く彼の脳を揺らした。


 暫くして、桶に満杯の水を汲んだ同居人が戻ってくる。彼は全身に力を籠め、うめき声を上げる鉄兜の足先を横切り、指先で火を灯して竈に着火した。


「飲み水も要るだろ」


 彼は竈の上に底の深い鍋を置き、桶の水を半分注ぐ。そして、桶を抱えて鉄兜の傍に座ると、襤褸布を水に浸して絞った。


 呻きながら身もだえる憐れな男の体を絞った布で拭っていく。体力仕事に慣れていないと一目でわかる白い肌や、長仕事には向かない華奢な肉体に、塗りたくられたような脂汗が染み出していた。鉄兜は突然咆哮し、藁を鷲掴みにしながら体を跳ね上げた。


「落ち着けって、なぁ……」

「あああああああ!ああああああああああ!」


 耳をつんざく悲鳴は薄い壁を貫通し、部屋の外まで響く。目を見開いた鉄兜は、脂汗を全身にかき、身を捩じらせる。


「こいつ一睡も出来ないのかよ!」


 男は乱暴に丸めた布を噛ませ、足だけで激しく暴れる鉄兜の体を手早く拭っていく。そして、最後に額に布を乗せると、沸騰した湯を取りに竈の方に向かった。


「んんんんんんん!んんんんんん!」

「我慢、我慢だ!舌噛むなよ!」


 男は鍋から鉄製の水差しに湯を注ぎ直し、一度蓋をして台所の隅に置いた。


 暫くは激しく呻いていたものの、鉄兜はやがて落ち着きを取り戻し、荒い息遣いで目をとろんとさせる。半分閉じた目で中空を見つめ、徐々に静かで深い呼吸へと変わっていった。


「お、落ち着いたか?」

 同居人は額の濡れ布を取り上げると、桶に放り込んだ。当の鉄兜は落ち着いたというよりは疲れ果てて失神したという有様で、目も半分開いたまま、殆ど白目をむいている。同居人が布を絞り、彼の汗を拭い取ると、鉄兜はようやく瞼を閉ざした。


「そうそう、その方が良い男だぞ」


 同居人はようやく落ち着いた突然の来訪者に再び濡れ布を被せると、湯冷ましを口に運び、首を捻った。


「まだちょっと熱いわな……」


 彼は蓋を閉め直し、溜息を零して横になる。喧しい半目がいるはずの隣のベッドでは、見知らぬ男が時折飛び跳ねながら、失神していた。


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