‐‐1906年夏の第一月第三週、ムスコール大公国、ウラジーミル‐‐
女傑ロットバルトの再来だと、ムスコールブルクの人々は活況に沸いている。そんな大喝采が溢れる温かい西端の首都と異なり、東の果てにあるウラジーミルは静寂そのものであった。
この町には、毛皮の獲得のために出稼ぎに来た若者と、それを支える技術者たちが数多くいる。暖を取る魔術師や、薪を採る山師も多く居る。
寒冷だが春夏は雪の積もらないムスコールブルクのような温かい季節もない。ウラジーミルの住民は文字通り「常冬の都」で日々を過ごし、死と隣り合わせの凍てつく森林地帯に狩りに出る。そうした人々が紋章を見て投票したのは、野党第一党の党首ユーリー・オデーリビチ・イワーノヴァであった。
彼らは寒空の下で静かに一日を過ごすことを望んでいた。そしてそれは戦時中でさえ変わらずに望まれていて、勿論彼らに災厄は降りかからなかった。
そんなウラジーミルの駅に、小さな国営の集合住宅の住民たちが集う。豪雪が線路を囲む中、彼らは両手の旗に温かいスープの絵を描く。鍋いっぱいのスープは湯気を立て、傍には可愛らしく舌を出した犬の顔が描かれていた。
定刻より一時間遅れて(それは普段よりずっと速い到着であった)、踏切のランプが点灯する。
ガタン、ゴトン……。公国横断鉄道の最東端にある駅に、古びた蒸気機関車が到着する。熱い水蒸気を吹き上げて、誰かの温もりを運んでいる二等車の車両に、集合住宅の住民は、さっと駆け寄った。
蒸気機関車は大きく汽笛を上げて完全に停車する。車掌が下車し、鞄片手に安全確認を行う。振るう指先を興味深そうに見る子供達の手を繋ぎ、住民たちは扉が開かれるのをじっと待った。
車掌が再び車両に戻って暫く、扉がゆっくりと開かれる。最初の乗客が、集まる住民たちに、一目散に飛び掛かった。
大家が乗客を受け止めて強く抱きしめる。小さな耳をペタンとたたみ、思い切り尻尾を振る小さな乗客の後ろから、少し体格の大きい大人の乗客が下りてくる。彼らはブリーフケース一杯に土産物を抱き、一回り体の大きい住民たちと握手を交わした。
そして、乗客全員が下車を果たすと、蒸気機関車は整備室へ続く線路を進んでいく。巻き上げられた蒸気が、駅にほんのりと温もりを残していく。
下車した乗客たちが、彼らが持ち込んだ旗を見つける。もっとも大きな体の乗客は、瞳一杯に涙を溜めて、口角を思い切り持ち上げた。
住民は彼の尻尾が振られているのを見つけて、彼の肩を優しく叩く。大家が抱き上げた子供を撫でながら、大人達に自宅の方を指さして示した。彼らは肩を並べて駅を出ると、大家が指さした方へと向かって歩き出した。
真っ白な風景に、感極まった帰郷者たちは思わず涙ぐむ。静かで、人の往来も疎らで、逃れていった場所のように住みやすくもない。しかし、彼らは亡命先で受け取った大切な荷物と共に、何処より暖かい場所に向かって歩んだ。
彼らは集合住宅に戻ると、体についた雪を落としてから、大家の部屋に入っていく。鮨詰めの室内は暖炉の温もりに満たされ、窓は半分ほど雪で埋まっている。そして、決して広くはない食堂のテーブルを囲むと、積み上げられたスープ皿に、大きな鍋からスープをよそって回し始めた。初めは大家がよそい、それをバケツリレーのように回して、最後に入室したコボルトの子供に回す。
そうしてコボルトから順に皿を受け取ると、最後に大家自身がスープをよそい、全員に目配せをする。コボルトの子供達が既にスープを飲み始めていたので、大人のコボルトが叱ると、部屋中にどっと笑い声が響いた。
大家は子供に待たせてしまったことを詫びて、短い挨拶をする。
一同が温かいスープの皿を持って、歓迎の言葉に耳を傾けると、大家は最後に大きな声を上げて皿を持ち上げた。
「コボルトの皆さん、お帰りなさい!」
子供が待ち侘びたスープを掻きこむ。大人達は弾けるばかりの笑顔を向けあってスープを飲んだ。
コボルトは土産話としてノースタットに至るまでの道程や、その後の疎開、町の光景などをウラジーミルの人々に伝える。ウラジーミルの住民は、コボルト達に彼らが不在の頃の笑い話を伝えた。
一つの大きな鍋を囲んだ歓迎会は、オーロラの下で続き、最後の一滴まで飲みつくして暫くまで続いた。
「皆さん、今日は素敵な時間を有難うございました。実は、皆様へ、皇帝陛下と私達からの贈り物があるのです」
コボルトが最後にそう言うと、住民たちは顔を見合わせる。コボルトは鞄を開き、はじめに自分達からの贈り物を配った。
ノースタットで嗜まれる良質な紅茶一瓶と、それによく合う焼き菓子である。住民たちは物珍しい品々に目を輝かせて、コボルト達に手を合わせて感謝した。そして、コボルト達はもう一つの贈り物を開く。
「こちらは、皇帝陛下からの贈り物です」
それは、銀色に光り輝く犬鷲の勲章であった。住民は驚き、却って困惑の表情を浮かべる。それらが一人一人に手渡された後、コボルトは大家に、古い手帳と手紙と共に、この勲章を預けた。
「陛下からのお手紙です。どうぞお読みください」
大家は丁寧に蝋の封を取り、真っ白な手紙を取り出す。彼は一度内容を確認すると、住民の胸に輝く犬鷲の勲章を見回しながら読み上げた。
「勇気あるウラジーミル市民の皆様へ
初めまして、或いはお久しぶりです。貴方方が齎してくれた優しさのお陰で、私どもは多くの宝を守ることが出来ました。
その深い慈悲と協調の心、そしてあなた方が守って下さった宝と比べればほんの些細な物しか贈ることが出来ませんが、私からの精一杯の感謝を込めて、その品々を贈らせて下さい。
皆様の友、ヘルムート・フォン・エストーラ・ツ・ルーデンスドルフより」
住民たちは胸に留めた「功績に相応しい勲章」に手を当て、手紙に向けて頭を下げた。そして、頭を上げるなり、コボルト達と再び抱き合い、再会の喜びを嚙み締めた。
東の果ての静かな銀世界に、虹色のオーロラが瞬いていた。