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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1906年
225/361

‐‐1906年春の第三月第二週、プロアニア、ゲンテンブルク‐‐

 帰投兵達に与えられた休息は、残酷なほど長いものだった。

 今や経済は女性と子供を低賃金で働かせることで成り立っており、高給取りの負傷者など誰も採用することは無かったのである。


 そこで、顔の傷を隠すマスクが首都で製造され、高額で取引がされるようになった。顔面の負傷を隠し、自らのブランクを相手に印象付けないためである。

 資本家は非正規雇用者を手厚く保護し、彼や彼女らに程よい休日を与えたが、賃金の底上げには頑なに首を縦に振らなかった。


 このように、戦争の先で首都の市民たちが見た現実は、かつてより安く同質の労働を要求されるという全く新しい種類の地獄であって、政府政策により若年女性が強制的に受精をされることになると、いよいよ労働と賃金とのバランスは崩壊寸前に至った。


 そこに至ってようやく、マスクを被った帰投兵達が登用されるに至った。しかし、賃金水準はそのままに、やはり成果の要求値だけを底上げされた結果、育児と低賃金労働をする女性と、職場から帰ることの許されない若年労働者が、体調不良を抱えたまま労働を続けることが一般的となった。

 資本家曰くプロアニアの『人手不足』は相当に深刻なものとなって、宰相アムンゼンはこの問題について、国王との直接会合を申し出た。


 アムンゼンの申し出に対して、二つ返事で応じたヴィルヘルムは、カペル王国の土地台帳を洗い出す片手間に、アムンゼンの訪問を通した。


 簡素な作業机の上に山積された旧カペル王国の地代台帳が積み上げられている。アムンゼンは今にも崩れそうな書類の山から一枚を取り上げ、印綬とサインだけを記して続々と書類の山を積みなおす。


「アムンゼン、巷の人手不足について、どのように解決するべきだろうか?」


「企業に労働契約を守らせること、それが肝要です。つまり、年間での内部留保や分配に向ける割合の最大値を規定し、固定資産税を一時的に上げ、所得税の負担を軽減することで税収を調整することで、企業が相対的・最終的に労働者のベースアップに向かざるを得ない状況を作るというものです」



 アムンゼンが言い終えると、ヴィルヘルムは一度手を止め、難しそうに眉を顰めた。


「難しい話だ。いずれにせよ、労働者が人口を増やさなければ、経済成長は成しえない。何事ももっと単純であればいいのに」


「生活必需品に関しては政府が受け持つことが出来ます。あとは企業の動き方次第なのです。賃金が下がれば、デフレが生じることとなってしまうでしょう。侵略行為が困難な以上は、安定成長の布石を作るよりほかにはありません」


 ヴィルヘルムはつまらなそうにじっとりとした目をして、唇を尖らせた。暫く抜かれていない拳銃が、腰の上で寂しそうに寝そべっている。


「あとは、迅速な物資の輸送を図る目的で、現在、ペアリス‐ゲンテンブルク間を鉄道で結ぶ二大首都連結構想を進めております。これを機に、旧カペル王国領の開発を進めても良いかも知れません」


 ヴィルヘルムは思い出したように唸り声を上げ、アムンゼンに人差し指を突き立てた。


「それだよ。カペル王国の貴族はやたらとそれを嫌う」


 彼はそのまま背もたれにもたれ掛かると、凝った肩や首をほぐし始める。処理済みの書類が積まれた山を、アムンゼンが持ち上げて従者に声をかけた。


 聞き分けのよい従者は颯爽と現れ、書類を受け取るとそのまま責任者のもとへと走っていく。等間隔の足音が遠ざかっていくと、二人は会合を再開した。


「要するに、彼らは民衆を力以外で支配することに慣れていないのでしょう。そのあたりは、おいおい教育していくより仕方ありません」


「本当に、あれでよく経済が回ったものだ。こちらが世話してやらなければ何もできないのは何とかしてくれ」


 王の手が異様な量となった書類を優しく叩く。アムンゼンから見ても、その分量はさすがに膨大過ぎるように思えた。


「現在、フリッツ閣下と共にカペル王国各地に尋常学校の建設を進めようと計画しているところです。先ずは識字から教育しなければならないというのは、流石に予想外でしたが、来年には貴族だけでも通学を強制させる予定です」


「そうしてくれ。流石に手に負えない」


 王はそれだけ告げると、再び作業に戻った。若々しく端正な肉体を持っていた彼だが、アムンゼンのように少々猫背になっている。王はそれに気が付くと、さり気なく背筋を伸ばした。


「それでは、ご政務中に失礼いたしました」


 ヴィルヘルムが手を振って応じる。アムンゼンは深い礼をした後、ドアノブに手をかけた。そこで再び自分の背中を摩り、背筋を伸ばし直して退室する。扉を閉ざす時には、既に猫背に戻ってしまっていた。


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