‐‐◯1905年、春の第一月第一週、ムスコール大公国、サンクト・ムスコールブルク‐‐
今日も騒々しいデモクラシーの声が響く。「悪魔の老帝に厳罰を!」「プロアニア王国との友好を忘れるな!」数多くのプラカードが掲げられ、宮殿の門に向けて行進が行われている。コーヒーハウスの中でその様子を眺めていたアーニャは、小さな溜息を零した。
彼女は角砂糖を一つコーヒーに落とし、かき混ぜる。はじめのうちは確かにあった感触が、徐々に小さく、そして最後にはなくなっていく。
経済回復に従って少なくなっていたこうしたデモ行進が、講和条約の締結を境に一気に噴出した。経済界に暗躍するプロアニア王国資本家との蜜月の関係性が、ここにきて再び形を成して現れたのである。
暢気なコーヒーハウスの客が、流行の狼のコートを椅子に掛けて、楽しそうに演奏会の話をしている。気難しそうな陰気な眼鏡男が、学生達に混ざって上向く経済への懸念について議論を交わす。
すっかり日常を取り戻してしまったムスコールブルクの道端には、名残雪が集められ、凍てつく石畳の上を行進する一団は時折バランスを崩す。祝いの季節には程遠い光景であったが、一団は一層溌溂とした声で世間に訴えた。
‐‐国民のためにとか、平和のためにとか、馬鹿みたい‐‐
コーヒーカップを持ち上げ、中々上がらない瞼にその湯気を近づける。カフェインの馨しさに僅かに瞼が持ち上がり、一口啜ると、彼女の意識も鮮明になった。
道の隅に寄せられた雪の上にある看板に、選挙戦に向けたポスターが政党ごとに一つずつ貼られている。中には無所属議員のものもあり、そこには『公国民よ目覚めよ!』という文字が大きく印刷されていた。
「選挙は誰に入れるつもり?」
「いつもの人でいいでしょ」
そんな会話がコーヒーハウスの窓際から聞こえてくる。アーニャは先程とは異なる類の溜息を零して、愚痴の言葉をコーヒーと共に流し込んだ。
着飾った甘さが喉の奥で絆され、苦みが露わになる。流し込んだものの後味の悪さに、彼女は舌を丸め、唾液腺から出た唾液で口の中を掃除する。奥歯から奥歯まで、舌で歯を拭うと、彼女はかつての友人と同じように机に硬貨を置いて立ち上がった。
これからますます忙しくなる。彼女は鞄を肩にかけて、デモ行進の後ろに追従するように、宮殿にある国会議事堂へと出勤を始めた。