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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1904年
214/361

‐‐◯1904年秋の第二月第三週、ムスコール大公国、サンクト・ムスコールブルク3‐‐

 ようやく肩の荷が下りたシリヴェストールは、年老いて栄養失調気味の老帝のために体に優しいご馳走を用意した。温かいオニオンスープと麦粥、質素な酢漬け野菜、薄くスライスした海獣の肉の煮物など、若者には少々物足りない料理を提供した。

 当然、ヴィルヘルムとアムンゼンは会食に応じず、休憩用に提供された宿にさっさと帰ってしまった。シリヴェストールは料理を食べる前にノアと抱き合い、イーゴリと握手を交わした。


 しんしんと降るぼた雪が、薄暗い街に彩りを添える。夜もガス灯の下を人々が歩き、家から漏れるオレンジ色の光が、彼らの横顔を照らしている。


 暖を取った室内に、湯気を立てる料理が次々に並ぶ。極端にアルコール度数の強い蒸留酒と、教会で醸造されたリキュールの瓶が机の中央に並べられ、侍従長であるノアは皇帝の好みに合わせて相対的にはアルコール度数の低いリキュールを開けた。


「ノア、すまないね」


 シリヴェストールは目を細めてその様子を眺め、自分で度数の高い蒸留酒をコップに注ぐ。透明な、純度の高いアルコールがコップの中で踊っている。頭がくらくらするほどのきついアルコールのにおいを嗅ぎ、ヘルムートは慈しむように目を細めた。


「ウラジーミルにいた頃のことが、懐かしく思い出されます」


「はっはっは!ウラジーミルには若者が多いので、酒盛りは大変でしたでしょう?」


「誰かの誕生日になると、父と一緒に二日酔いの世話をさせられたものです」


 ヘルムートはリキュールを持ち上げる。僅かにハーブの香りが鼻腔に届く。


「あの辺りは賑やかで、私も好きなんですよ。どこか異国のような雰囲気もある。そろそろ乾杯しましょう、腹が減って仕方ない!」


「そうですね、せっかくのご馳走が冷めてしまうのは勿体ない」


 シリヴェストールとヘルムートがグラスを持ち上げる。ノアは直立したままヘルムートと同じ酒を持ち、イーゴリは秘かに混ぜ物を加えた蒸留酒を掲げた。

 それぞれに視線を配りつつ、シリヴェストールが乾杯の挨拶をする。それを見計らったように、カーテンが上がり、音楽隊が演奏を開始した。彼らは力強い自然を思わせる、ムスコール大公国らしいロマン派の音を奏でる。

 音と音が重なり、挨拶の絶頂に合わせて演奏が穏やかになる。清流を思わせるなだらかな音と共に、シリヴェストールは高らかに杯を掲げた。


「それでは、我々の平和な未来と友好を願いまして、乾杯!」

「乾杯!」


 一同の掛け声と同時に、音楽隊は激流のような壮大な音を奏でる。手を温める祝い酒を、一同が各々のペースで傾けた。


「オレンジ、蜂蜜、ヒース……有難いお心遣いです」


 ヘルムートが盃を置く。豪快に一杯を飲み干したシリヴェストールは、普段の姿勢からは想像もつかないような大声を上げて笑った。


「この瞬間のために生きてるぅ!」


 イーゴリが思わず鼻を鳴らすと、耳の赤くなったシリヴェストールが彼の肩に手を回す。その様子を、ノアとヘルムートが微笑みながら見届ける。


 ‐‐戦争が終わった‐‐


 共通する安堵感は、それぞれの心を開放的に、また大胆にする。遠慮がちな皇帝は丁寧に切り分けた肉を口に運び、咀嚼のたびに溢れる肉汁に感激する。ひたすら酒を仰ぐシリヴェストールは、イーゴリに口臭を嗅がせながら唾を飛ばして語る。ノアは何かとヘルムートの世話を焼き、配膳係を呼んでは原料の確認をしている。イーゴリは耳元に飛んでくる唾を避けながら、スープを少しずつシリヴェストールから遠ざけていく。

 これらの乱雑な騒動を、軽快な合奏が囃し立てる。


 一旦は、それぞれの今後の境遇を忘れて解放感に任せた宴会も、三十分すると、深まる夜の闇に合わせて落ち着きを取り戻した。

 真剣な顔を最初に取り戻したのは、意外なことに、赤ら顔のシリヴェストールであった。


「陛下、私達は私達の罪も清算しなければなりません。陛下はもうご存じかも知れませんが……我が国の経済回復は多大な犠牲の上で成り立っているのです」


 綺麗に食事を平らげたヘルムートが口元を拭う。皺の寄った手を膝に乗せると、小さく二度頷き返した。


「コボルトは私達の友人であり、それに関しては誠に遺憾であります。今すぐにでも、彼らの生活を保証して頂きたい。難しいのであれば、私達も協力いたします」


「……先ずは国民の理解を得るというのがこの国でのルールです。陛下、もし差し支えなければ、この地で演説を……」


「出来ません。命の危険が伴う」


 ノアがすかさず答えた。彼は眉間に皺を寄せ、警戒心を剥き出しにしている。ノアの表情に、シリヴェストールは自嘲気味な笑みで返す。


「そうですね。この国に関わることは、私が何とかして見せます」


「良いのですか?私は、平和のためならば協力したい」


「いえ、出過ぎた提案でした。私は私のやり方で、陛下をお守りいたします」


 イーゴリは静かに溜息を零す。彼の視線はごく自然に、シリヴェストールの着る服の裾へと向かった。よれた服の中から、札束が一つ覗いている。


「ノア様の仰る通りです。陛下、どうか夜道はお気を付けて」


 イーゴリの忠告に、ヘルムートが「お気遣いありがとうございます」と返した。音楽隊が楽器の音を確かめながら、撤収作業を始める。雑多な作業音が終わると、秋の夜に舞う白い雪と、長い沈黙だけが残った。


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