‐‐1904年、秋の第二月第二週、ムスコール大公国、サンクト・ムスコールブルク2‐‐
会見室に集った各地各所の報道官らが、忙しなくカメラのシャッターを切る。焚き続けられるフラッシュで室内は異様に明るく、また白い壁面も一層漂白されている。その壁面に一つの大きな染みがあり、それはシャッターが切られて益々強調される。染みが90度まで頭を下げると、壁に染みを染めつけるように、フラッシュがたかれて白く瞬く。長い沈黙をひたすら守る報道官らは、虎視眈々と宰相の失言を待っている。
その舐めるような視線を受けて、シリヴェストールは上辺だけを取り繕った笑みをして、顔を持ち上げた。
彼の着座が記者会見の始まりを告げる。激しいフラッシュの音が響いた後で、報道官達がメモ帳を素早く取り出した。
「えー、先日公表されました通り、我々は1904年夏の第一月第一週、エストーラ帝国の首都ノースタットに到達し、同国皇帝ヘルムート・フォン・エストーラ……陛下より、無条件降伏の容認を得たことを公表させていただきます。こちらに、降伏文書がございます」
宰相は桐の箱からスクロール状の文書を取り出し、上下に開いて見せる。無機質に打鍵された神聖文字の下に、エストーラ語で記された芸術的なサインと、皇帝の公文書に用いられる印綬が押されていた。
再びフラッシュが瞬く。どこからともなく耳打ちの声が響いた。
「さて、今回の凄惨な戦争は、プロアニア王国側、同盟国側問わずに大きな被害を齎しました。私は、皇帝陛下の賢明なご判断も踏まえ、プロアニア王国と共に、講和条約の調印に向けて、中立・公平な立場から対話を行うことといたします」
報道官達はシリヴェストールの言葉をメモする。彼は往年の技術を踏まえて、彼らにメモの時間を与えるために言葉を区切った。
この重要な報告に、先ず半分の報道官達が報告のために走る。夕刊に間に合わせるためとはいえ、宰相にはあまりにも節操がないように思えた。
やがて視線がこちらに集まり始めると、シリヴェストールは口を湿らせて続ける。
「私達雷の民は、長らく平和のために活動してまいりました。人類の更なる繁栄のために、エストーラ帝国との辛抱強い交渉の末に、無血での首都到達を達成いたしました。これは我が国の歴史上で重要かつ最高の成果であり、誇るべきものであると考えております」
報道官が手を挙げる。シリヴェストールは内心では強烈な憎悪を彼に向けながら、凪いだ表情で報道官を指名する。
「質問がございます。エストーラの戦後処理について、世論は大いに割れているところです。我が国公式の見解か個人の見解かに関わらず、宰相閣下はどのような処分をするべきとお考えなのでしょうか」
「ご質問有難うございます。エストーラ帝国の処分につきましては、双方の意見を尊重しつつ講和を達成する必要があり、辛抱強い交渉を経て、妥当な解決策を模索するべきであることから、この場での明言は差し控えさせていただきます」
「無責任だ!」という声が後方から届く。シリヴェストールは無視を決め込み、質問者へと「よろしいでしょうか」と伺いを立てる。報道官はそれ以上の追及を避けて不服そうに礼を述べて、席に着きなおした。
続けて多くの報道官が挙手をする。シリヴェストールが司会に目配せをすると、司会は忖度をして過激な報道官を避けて指名をした。
公共放送局の真面目そうな報道官が立ち上がる。司会は、一瞬満足げに微笑むシリヴェストールの横顔を一瞥した。
「我が国世論では、エストーラ帝国の不寛容な姿勢に対して強い非難が浴びせられているところですが、これについて、閣下はどのようにお考えでしょうか」
「どのようにとは?」
「例えば、世論の主張は的を射ていないですとか、或いは帝国の姿勢を不寛容とは認識していない、ですとか。とにかく、何も思うことはないということはないでしょう」
(陰湿な囲い込みだな……)
報道官達の瞳が、闇の中で揺れる雪よりも爛々と輝く。狩人が猟銃を構えるが如く、報道官達は汗をかいた手でペンを強く握りなおした。
「ご質問有難うございます。私といたしましては、皇帝陛下と直接の会合の機会を得て、陛下の理知的で誠実なお人柄を感じた経緯がございます。今はこの度のプロアニア王国による軍事行動が、正当な理由に基づくものであったのか、それとも全く正当な理由無き侵略であったのか判然と致しません。これまで我が国が静観を守ってきたのも、そうした理由からであり、現段階での言及は差し控えさせていただきます。よろしいでしょうか」
育ちの良さそうな報道官が短い礼を言って着座する。
後列から、「答えになってないぞ!」という鬼気迫る怒号が響く。扉を守る警備員が、シリヴェストールの目配せを受けて動き出した。挙手の隙間から覗かれる焦げ茶色の扉が開かれ、拘束を受けて暴れる報道官の一人を飲み込んだ。
多くの挙手が上がる。報道官達は戦後処理の詳細について手を変え品を変え詰め寄って来るが、シリヴェストールは一切を明かそうとせずに空虚な回答を繰り返した。しびれを切らせた報道官の一人が、挙手をしたまま叫んだ。
「せめてあなたのお考えをお聞かせ願えますか!」
「お時間となりましたので、これにて記者会見を終了させていただきます!」
司会が叫ぶと、報道官は席を立ち、観葉植物と白い壁を背景に頭を下げるシリヴェストールに怒号を浴びせる。暴言の礫は白い壁に当たり反響し、荷物を纏めて足早に立ち去る宰相の背中を突き刺した。
既に数多の侮蔑に病み切っていた彼にとっては、そのようなはしたな傷など物の数にも入らない。非難轟々の嵐は、彼が会見室を後にしてもなお、警備員たちに向けて浴びせられた。