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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1896年
21/361

‐‐1896年夏の第二月第三週、エストーラ、ノースタット2‐‐

 宮廷の廊下は広々としてすれ違うには十分なものでしたが、その中心に敷かれた絨毯の広さが、侍従らにとって窮屈に思われていたことでしょう。幸いにも、陛下の寛容は彼らにも及び、左半分を侍従らが踏むことを許されておりました。それでも彼らは、執務室へと戻る陛下とすれ違う時には、必ず敬礼をし、通り過ぎるとともに歩き出すのです。


 こうした宮廷の開かれた雰囲気というのは、窓から射す光ほど当たり前のものではございませんでした。陛下が戴冠されてしばらくの間は、絨毯の上を侍従は歩くことがありませんでしたし、陛下とすれ違う際にはあらゆる方法で道を譲り、敬礼をしたものです。その気苦労の大きさたるや、若い頃の自分の忍耐にはまったく感服いたします。


 さて、陛下は執務室に戻るなり、宮殿内の様子を確認できる水晶の中を一度覗き込み、家臣らの働きを確認し始めました。絵画の裏側に魔法陣を描き、魔力を用いずに、常時発動する監視用の法陣術として、絵画と視点を共有する法陣術、所謂『監視する絵画』の魔術です。

 これは、長らくエストーラの所領において、皇帝への謀反や暗殺計画などを事前に阻止する手段として、エストーラ家に受け継がれてきた由緒ある魔術です。

 エストーラとプロアニアの人々には魔術を能動的に使用することができない(恐らく、魔法を用いる臓器が退化した)魔術不能の人々が圧倒的に多く、他国との競争において常に後れを取っておりました。プロアニアはこれを大規模な技術革新によって補おうとしてきましたが、我が国は貴族の「血縁」を利用して、魔術師の機能を遺伝させることで、生き残りを図ってきました。

 勿論、それだけでは不十分であり、これを補うために帝国が力を注いだのが、「魔術師を用いずに魔術と同程度の効果を発揮しうる研究」であり、その一つが魔法の一形態であり、術者の魔力と呼ぶべきものには依存せず、一定の効果を発揮する法陣術でした。この水晶を通した監視魔術もまた、その法陣術の一つです。

 座標や基準点、発動の為のトリガーと効果など、多くの計算と知識の応用が必要なこの魔術について、陛下も大いに信頼を寄せておられるのです。


 私も、畏れながら陛下の後ろから水晶の中を覗き込みます。

 そこにはちょうど、アインファクス様とフッサレル様が、帝国の今後について廊下で話している姿がありました。


「ノア、やはりアインファクス君にとって、この事件は相当深刻な一件だったのだろうね」


 水晶の中で、アインファクス様はフッサレル様に、少ない食料を流通させるのに必要な輸送コストと時間について、確認をされておられるようです。アインファクス様は経験豊富で自然科学にも造詣の深い御仁ですから、非常事態の対応策について、既に必要な行動をとられているのでしょう。陛下は水晶を規則的に指でなぞり、ジェロニモ様のご様子を確認されました。


 ジェロニモ様は一人書斎の中で、静かに地図と睨みあいを続けておられました。


「ジェロニモ様は……マリー様のことがご心配でしょうに……」


 ジェロニモ様が目を擦ります。陽光はカーテンに遮られ、蠟燭の火も灯っておりません。地図の上には、青と赤、緑の駒が置かれており、緑の駒のすぐ横に、赤い駒が動かされています。青い駒は地図の右下に留まったままで、縮こまったような具合です。陛下は彼のお背中を見つめ、小さな溜息を吐かれました。


「ジェロニモ君の為にも、ブリュージュは何とか返して貰わなければならない……」


 陛下は水晶を再び軽く撫でられます。映像が切り替わると、そこには無人の部屋が映っておりました。広いバルコニーが背景にあり、広い窓に向けて一つだけ、椅子が置かれております。一瞬左上に映った黒く細長い影に、息の詰まる思いをしました。


「陛下。ここは……」


 陛下は静かに水晶を撫で、視界を動かします。先程の黒い影の全貌が現れ、プロアニア兵の銃口がぎらりと輝いておりました。


「マリー君は交渉の道具として使われるだろう。無事だとは思うが……」


 陛下はそっと水晶を撫で、部屋全体を一望しましたが、そこには兵士の姿があるばかりで、女性らしい影は見られませんでした。


 私も思わず息を呑みます。背中をぞわりと、気味の悪い虫が這うように寒気が走りました。

 銃口が手持ち無沙汰に左右に動き、窓から射す光が遮られると、視界には間近に銃のぼやけた輪郭が映りました。


「民は無事だろうか……」


 陛下はそう言うと、水晶の中心を柔らかく押さえます。視界は拡大し、窓へと照準が合わせられました。ぼやけた銃の影越しに、広場の前に集められた市民が、プロアニア兵の守る荷車へと荷物を収めている姿が遠めに確認できます。表情などは確認できませんでしたが、その動きはどこかぎこちなく、嫌々、という印象を受けました。


「まさか食料を回収しているのではありませんか?」


 プロアニア兵たちは長身で若く、細身だががっしりとした筋肉の鎧をまとっています。ブリュージュの商人たちと比べても、体格差は歴然と言わざるを得ません。陛下は祈るように、両手を合わせて顔を伏せました。


「私にできることをしなければ……」


 陛下は水晶を上に素早くなぞり、まるでそれを支えにするかのように立ち上がります。丸まったお背中を作業机に向けなおした陛下は、丁寧に公文書用の羊皮紙を広げられました。羊皮紙が滑る音が、部屋に響きます。持ち上げられたペンのペン先から、どす黒いインクがインク壺へと滴り落ちました。


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