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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1904年
208/361

‐‐1875年、秋の第一月第三週、エストーラ領ハングリア、ジュンジーヒード‐‐

「お前がこれ以上、振るわない成績しか残せないのであれば、家督は別のものに継がせるよりほかない」


 窓際で、さざめく川面を眺めながら、父は切り揃えた髭を揺らして告げた。

 それはいつものことで、俺に向けられる視線は年々険しくなっていく。それでも構わずに、俺は反抗的な目を父に向けた。


「ファストゥール家の長男として、家名に、何より陛下より直々に賜った名に泥を塗って、恥ずかしいとは思わないのか?」


 父はその屈強な体躯と広い肩幅をこちらに向ける。はち切れんばかりの礼装に身を包む父に対して、俺の礼装はいつも体より一回り大きかった。俺は黙ってその場を立ち去り、乱暴に扉を閉める。去り際に背中に受けた「今度の競技大会では」という言葉も、聞き飽きたものだった。


 ファストゥール家は啄木鳥の紋章である。地に落ちることのない鳥、激しく戸を叩く執拗な鳥、荒々しさの象徴としての鳥。ファストゥール家が軍人としてこの都市に根差したころに、この紋章が使われ始めたのだという。

 すれ違った姉とも一言も言葉を交わさぬまま、士官学校の競技大会へと、重い足取りで向かう。家督に相応しからざる狡猾な俺のことを、気に掛けるものなどここにはいない。


 剣と鞘、ベルトと勲章を鳴らしながら、さざめき流れる二つの川にかかる大きな橋を越える。道中には見慣れたコボルト奴隷達がおり、彼らはファストゥール家待望の嫡男に恭しく頭を下げる。

 俺はそれを一瞥して、早歩きする歩幅を大きくした。背中でコボルト達に何かを囁かれる。

 鎖で支えられた長大な吊り橋を真っすぐに進み、都市の中心地にある士官学校に向かう。守衛たちに敬礼をし、入校をするなり、俺は広い競技場(という名の単なる広場)にある更衣室に入った。


 控室に入ると、コボルトに混ざって同類の兵士達が着替えを進めていた。いずれも運動こそ得意な連中ではなかったが、家柄やら出稼ぎやら下手の横好きやらで、士官学校に入校した者たちだった。


「よっ、ジェロ」


 普段から着崩しているコボルトが戦闘用の衣装に着替えている。俺は返事もそこそこに、荷物から着替えを取り出した。


「聞いてくれよ、俺さ、今回負けたら退学なんだってよ」

「成績で足切りされたのか」

「寝てたからな」

「肝だけは据わってるな」


 俺は実際に興味なさげに応答した。俺達は「実技」の成績がやや悪く成績優秀者でないか、成績優秀者ではあるが「実技」の成績が極端に悪い者だけで構成された組であり、今回の競技会では相手との戦力差が歴然であった。競技会での対戦相手は毎回くじ引きなので、最高に運の悪い組み合わせと言えるだろう。


「このタイミングで勘当とか退学とか言うのは、要するに厄介払いだよな」


 むさ苦しい更衣室で、陽気な猥談が幾つも重なって聞こえる。乗馬しながらリーダーの帽子(頭ということらしい)を取り合う騎馬戦という競技は、組織力の面でも単純な能力の面でも格差を見せつけられる面倒なものだ。


「明日からいないかも知れないけど泣くなよ?」

「泣かねーよ」


 相手の顔に優しくでこぴんをくらわす。コボルトは小さい悲鳴を上げて、嬉しそうに尻尾を揺すった。


「どうせリーダーはお前が押し付けられるんだろ?せいぜい勝たせてくれよなー」

「考えとくよ」


 俺は適当に応じると、嫌な熱気が籠った更衣室から出た。

 対戦相手たちは既に最後の仕上げを始めており、馬上で優雅に帽子を奪う練習をしている。

 やる気の面においても、技術の面においても、既に俺たちは負けていたと思う。


(せいぜい勝たせてくれよなー)


 陽気な声が脳内で反響する。要するに、彼の退学を止めるには「勝たせる」だけでいいらしい。


「考えとくよ」


 ぽつりと呟きながら、戦いに向けて準備を整える爽やかな連中を眺めていた。



 皇帝を中心とした家臣一同が競技場の仮設テントの中で集まり、一族の勇姿を見ようと親兄弟が周囲に集まっている。とにかく武勇が好きな者たちばかりで、声援も厳ついものばかりだ。


 仲間達とは色違いの帽子を被り、一番背後に布陣する。相手は真逆の配置で、どれだけ多くの帽子を狩りとれるのか賭け事をしていた。


「悔いのない試合にしよう!」


 相手のリーダーが爽やかな笑顔で手を振る。俺は眉間に皺を寄せて、小さく頷いた。


 皇帝陛下の挨拶のあと、物々しい雰囲気の中で、試合開始の合図を待つ。自分達が負けるはずはないという余裕が、対戦相手からひしひしと伝わって来る。無礼な振る舞いをしない、自信に満ちた立ち振る舞いは戦士のそれである。

 やがて、一陣の風を合図に、試合開始の掛け声がかかる。雄々しい雄たけびを上げながら、相手はこちらの布陣に突撃を始める。

 俺たちは帽子を取られないように必死に抵抗をするが、通りすがりにひょい、と取り上げられてしまう。参加者数は同数なのにもかかわらず、その戦力差は歴然だ。


「一騎打ちをしよう!」


 俺がそう叫ぶと、相手のリーダーは嬉しそうに笑い、仲間たちに下がるように告げる。俺が前線に立つと、観客は声援を送った。


「君から言ってくるとは思わなかったが、負ける気は無いぞ」


「生憎、こちらも負ける気は無い」


 燃え盛るような熱い視線が、俺の冷めた視線と交わる。蕩けてしまいそうな熱気の中で、俺達は一歩、一歩と近づいていく。


 観客は誇り高き試合に熱中している。相手の陣内では、興味のない者は取った帽子の数を比べ合ったり、試合後の戯れについて話し合ったりしている。一方、こちらは怯えていたり、緊張した面持ちで、俺達の一騎打ちを、固唾を飲んで見守っていた。


 両者が位置について睨みあう。俺の額から汗が零れた。自信に満ち溢れた顔をした相手が、嬉しそうに叫ぶ。


「行くぞ!」


 両者が一直線に突撃する。馬は嘶きを上げ、中央で相手の手が俺の帽子に伸びてくる。


 刹那、俺は手綱を引き、馬を反り立たせて後退させた。


「はっ……?」


 一目散に距離を取る俺を見つめ、相手は虚空に手を伸ばす。そして、彼の帽子目掛けて、無数の手が八方から伸びていく。


 単純な話だ。

 多対多で勝ち筋がないならば、一対一に持ち込めばいい。一対一でも勝ち筋がないならば、一対多に持ち込めばいい。正々堂々とした性格の相手は、一騎打ちを申し込めば、必ず受けて立つ。そして、それを妨害するような野暮な奴は、この戦場にはいない。

 もしそんな野暮な奴がいるとすれば、それは俺と、俺に指示されたやる気のない連中だけだ。

 そして、この試合には「一騎打ち」のルールがない以上、「一騎打ち」のルールを破っても、試合のルールには一切反しない。


 どんな勝ち方をしようとも、それがルールに則っており、勝利条件を満たしてさえいれば、「勝ち」は「勝ち」だ。


 俺は帽子を深く被りなおした。相手のリーダーは呆然と佇み、目を瞬かせて弱小な一兵士の持つ色違いの帽子を見つめる。


「この恥さらしが!」


 父の怒号が広い競技場に響く。万雷の罵声が周囲に満たされ、競技会は騒然とする。仇討ちをというように、帽子を取った者、帽子を取ろうと手を伸ばした者に向かって、屈強な騎士たちの拳が振るわれる。俺達が唯一手に入れた帽子は地面に落ち、帽子を取り上げられた無防備な頭に向かって、屈強な男たちの殴打が繰り出された。


 そんな中、たった一つの拍手の音が、罵声と復讐の礫を止めてしまった。


「私は嬉しい。勇気ある騎士の体躯と堂々とした立ち振る舞いも見事でした。そして何より、圧倒的な劣勢にあっても、相手をよく観察し研究し、智略で以て勝利を掴む、未来有望な若者の姿を見ることが出来ました!」


 皇帝陛下はそう仰ると、先ずは報復に燃える試合相手に向けて、次には貧弱な俺達に向けて拍手をする。彼に合わせて廷臣が拍手をし、やがて観客たちも拍手を始める。競技場一帯にあった万雷の罵声は、喝采へと姿を変えた。


 誰一人として貶されないままで、皇帝陛下は自分には向けられたことのない、割れんばかりの拍手を俺達に送る。俺は帽子の奥から周囲を窺い、再び帽子を目深に被りなおした。


 正直、この時ばかりは……少し、泣いた。

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