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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1904年
205/361

‐‐●1904年、夏の第一月第一週、エストーラ、プロアニア国境、黒い森‐‐

 視界を遮る朝の霧と、太い木の幹の間を、プロアニアの兵士達は慎重に進んでいた。彼の手にはスコープ付きの最新の狙撃銃や、飛距離のある強力な小銃が抱えられ、森の中ではよく映える黒いロングブーツを履いている。鉄兜は木漏れ日に輝き、その真下には汗をかいた額がある。必要以上に顔を強張らせながら、彼らはきょろきょろと視線を動かした。


 侵略は全く進んでいなかった。敵かと思えば狼の先導役であり、突然仲間がその群れに襲われることも何度もあったうえ、茂みが動いて焦って発砲しても、様子を見に行けば兎が血を流して倒れているだけだった。そうかと思えば、どこからともなくマスケット銃の発砲音が森の中で響き、これまたどこからか分からない「応援要請」が無線機から響く。やがてその声は悲鳴と共に途切れ、命からがら逃れた戦友からは「コボルトの兵士がこちらの武器を使っていた」という情報まで寄越される始末である。彼らの前方には圧倒的な自然の圧力があり、同時に先人達から受け継がれた、果てしない知恵が広がっていた。


 しかし、その日は全く敵と遭遇せず、強張らせた顔が徐々に穏やかに戻っていく。不思議なことに、その日は何処からも「応援要請」は来ないし、音が立って発砲しても、野生動物の悲鳴が響くだけであった。


「……本当に退いてくれたのか?」


「馬鹿言え、俺達は本当に誰も倒せていないんだ。そんな簡単に退いてくれるわけないだろうが」


「実際に、コボルトの顔も暫く見てないだろ。異様に渋い色の服を着た、竜騎兵の顔も。やっぱり退いたんだよ」


 兵士達は口々に考えを語る。森の中に反響した彼らの声は、時には彼ら自身を驚かせた。


 さらに前進しても、何もない。彼らは安堵と混乱の入り混じった奇妙な感覚に陥った。


 彼らを狙う視線がどこかにあるかもわからない。しかし、全く動きがない。兵士達はあまりにも都合の良い快進撃に、却って不安を募らせた。


「なぁ。絶対におかしいぞ。罠だろ、これ」


「今までの苦労が嘘みたいだ……流石に変だ」


 兵士達が顔を見合わせて語っていると、ある兵士は視界の中に光るものを見つけた。それは遠方にあり、木々の間から漏れている。彼はかつて耳に届いた「情報」を思い出した。


 ‐‐敵の中には自分達と同じ武器を持つ者がいる‐‐


「あそこ、敵だ!」


 彼が叫ぶと、一同が一斉に振り返り、光を反射する「何か」を視認する。それは彼らが持つスコープと同じものだったが、彼らには単なる「光」にしか見えない。彼らは慌てて武器を構え、光を頼りに発砲した。

 そしてその直後、兵士の肩に付けられた無線機が、砂嵐を響かせた。


『応援要請!応援要請、敵部隊と接触!兵数は少数!繰り返す……』


「ほら、やっぱり罠だったんだ!同時に襲い掛かってきやがった!」


 兵士はスコープの光が森の中へ消えたのを確認すると、即座に木の裏に隠れる。遭遇した敵からも、嵐のような弾丸の礫が、彼らに襲い掛かった。兵士の一人が訓練官の指示通りに、無線機のボタンを押す。


「こちらも敵部隊に遭遇!恐らくこちらは多数いる!」


 応援を要請した兵士は後方から発砲され、板根の上に倒れ伏した。兵士が声を荒げる。


「どどど、どうするんだよ、挟まれてるよこれ!」


「ちぃ、狙われてるのかよ!」


 前方と後方にいるはずの「伏兵たち」の肌の色やスコープの光に向けて、彼らは必死に応戦をする。彼方此方の部隊から、無数の「応援要請」がひっきりなしに響き、木々には大量の弾痕や、硝煙が上がっている。


「何人いるんだよ、これやばいよ!」


「規律を乱すな、訓練を思い出せ!」


「逃亡兵は処刑されるぞ!」


 彼らは声を掛け合い、弾丸の礫が降り注ぐ中で立体的に木々を盾にして応戦する。しかし、背後、前方、左右から無限に齎される銃撃は、遂に彼らを全滅させてしまった。


 無人の相手に向けられた銃撃戦は、その後も長く続き、木と木の間から撃ち込まれた流れ弾が、伏兵同士を負傷させ合う。長い長い地獄の戦いは日が暮れるまで続き、やがて応戦を終えて彼らの応援に向かった兵士達は、蜂の巣となった戦友の姿を見た。


 息も絶え絶えで多くの仲間を失った兵士達は、直感で自分たちが何と戦っていたのかを悟った。それは口に出すにも悍ましく、また口外すれば部隊全体が処罰対象になるような恐ろしい事実であった。

 彼らは口裏を合わせて、「上への報告書」を作ることにした。無線機越しの声が彼らの上司を欺く最高のパフォーマンスとなり、彼らは首の皮一枚で、なんとか一命を取り留めたのであった。



 もしも、この場所を水晶越しに見るジェロニモがいたならば、彼は自分の判断に、自分自身が吐き気を催すほど自信を持ったに違いない。それは、何世紀も技術を積み重ねてきたプロアニア人の成果と遜色ないほどの成果であった。

 カペル王国は力による支配のために、その権威を誇示するために、技術革新を封じ込めてしまった。彼らは大いなる文化を持ちながら、面の力を育むのを怠ったのである。

 一方で、プロアニア王国は、技術が敵国に奪われることを恐れて、国境や都市内に強力な壁と鍵を設けた。彼らは自分たちの情報を奪われないことにはまんまと成功したが、同時に他国の情報を把握しきることを怠った。


 エストーラは、軍事力の増強も技術革新も、いずれも中途半端にしか進めることが出来なかった。皇帝も魔術師としては弱く、兵士に与えられた武器もプロアニアからすれば「型落ち」の、埃がつくことさえなく鋳直されるような代物しかなかった。

 しかし、彼らだけが、「彼らだけが正確に情報を把握していること」を把握していた。

 彼らは自分たちがどのような地理的、文化的、外交的立ち位置にいるのかを正確に把握していた。

 さらに、彼らはプロアニア兵が一般から徴用され、簡易の訓練を受けた初歩の兵士であることを知っていたし、彼らの合理的で論理的思考が発達した、規律を重んじる国民性も熟知していた。その異常な教育水準の高さ、識字率も見知らぬ技術もエストーラの廷臣は存在を認知していたし、これを再現するために相当の時間を割いてもいた。

 また自分たちが何を持っておらず、また敵国のどの情報を知らず、敵国が何を持っており、それをどう言った機序で正当化し、使いこなしているのかも理解していた。それは、あらゆる国家の中枢から一般市民の生活の中にまで、蜘蛛の糸を張り巡らせた彼らの数世紀にもわたる努力の賜であった。


 世界帝国と謳われながら、落日の最中にあり続け、しかし地平線で留まり続ける。彼らは貧弱で狡猾であったが、歴代の皇帝が連綿と積み上げてきた努力の賜を、一つ残らず生かし切ったのである。


 そして、ジェロニモは夜のうちに、シュッツモートから移動する駒を現在地へと動かし、自軍の後退させた兵士達を前進させる。自ら戦力を削いだ敵の駒を囲い込むように、両翼と背後を完全に包囲した。


「戦争は守るだけでは勝てない。そして、戦争の最終目的は、『勝つ』ことだけではなく、『負けないこと』にもあるのだよ」


 ジェロニモは執務机に突っ伏して眠る皇帝を一瞥し、物音を立てないよう慎重に、退席をした。

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