‐‐1904年、夏の第一月第一週、プロアニア、ゲンテンブルク‐‐
仄暗い上級会議室で、赤いランプを灯す。机上には幾つもの駒を立てた精巧な地図があり、赤い駒はインセル周辺に幾つも置かれており、青い駒は霊峰シュッツモートと黒い森の国境付近に置かれている。しかし、旧カペル王国にも各都市に青い駒が置かれ、それらは薄っすらと埃を被っていた。
「もどかしいね、アムンゼン」
ヴィルヘルムは旧カペル王国領にある青い駒に積もった埃を払う。アムンゼンは猫背のまま地図を覗き込み、王と向かい合って座る。赤いランプの灯りを受け、駒の色が不鮮明になる。アムンゼンは、二つの赤い瞳がぎらぎらとさざめいているのを見つめた。
「陛下ならば、どこから攻められますか?」
「私ならば森から攻めるだろう。山岳越えは被害が甚大になるだろう」
王は森林の中に、青い駒を進める。森の中には向かい合う駒が一つもなかった。
アムンゼンは黙ってその動きを見つめる。あまりにもスムーズに抜けていく青い駒の数々が、首都ノースタットへと一直線に攻めていった。
「私も、森林から兵を投入せざるを得ないと考えます」
ヴィルヘルムは嬉しそうに拳銃を弄ぶ。アムンゼンは依然無表情で、山岳地帯の前線に目線を送った。
青い駒と緑色の駒が向かい合っている。青い駒3つに対し、緑の駒は1つ、単純な兵力ならば圧倒的に勝っている。
しかし、プロアニアには押し切ることが出来ない。狭いトンネルの道に貧弱な防塁を建てただけの簡素な守りだが、この場所に強力なコボルト騎兵が布陣している。加えて、単純な物量で押し切るには、トンネルは窮屈であり、戦力を投入するのが困難になっている。
アムンゼンは3つの青い駒を1つ取り上げ、森林側へと滑らせる。さらに間をおいて、青い駒をもう1つを動かした。
「敵戦力はこちらへ攻勢をかけては来ません。あの布陣は攻めるのには不向きですから、山岳地帯からは相互に攻められない。よって、我々の兵力を引き抜いても、相手も迂闊には攻勢を仕掛けてこないでしょう」
「カペル王国の時、我が軍はあれほど強力だったというのに……」
「エストーラ帝国は元々攻めるより守る方が強いのです。さらに、軍の指揮官がカペル王国のように油断をしません。物量で攻めるにも、戦略を練らなければなりません。その為には森林の……駒の情報が足りません」
アムンゼンは緑色の駒を机から取り上げ、森林の中央を駒の先端でつつく。森の中にはコボルト兵のほかに人間の竜騎兵も紛れ込んでいる上、凶暴な野生生物も生息している。しかも、方向が分かりづらく、視界も悪い。騎兵部隊などの戦車は投入が難しく、無防備な歩兵を投入せざるを得ない。何度も派遣した斥候も、誰一人帰ってきていない。状況は絶望的に思えた。
「……森に戦力を集中させ、混戦を覚悟で進軍しましょう」
「君に一任しよう」
ヴィルヘルムは拳銃をしまい、軽やかに立ち上がる。軍靴の音が狭い部屋に反響し、扉が軋み、明かりが射しこんだ。
「狩場は一つしかない以上、相手を屈服させるのは、必ず私達でなければならない」
ヴィルヘルムは振り返り、口角を持ち上げた。真っ赤な瞳がぎらつき、鼻が一つ鳴った。
扉がおもむろに閉ざされる。真っ赤なランプに染められたアムンゼンは無表情のままで、軋む扉が光を奪い去るのを見届けた。