‐‐1904年、春の第一月第二週、プロアニア、ゲンテンブルク‐‐
バラックの宮殿では定期会議が開かれていた。連日のミサイル攻撃は成果を確かめることが出来ず、命中したという手応えだけがアムンゼンの手に残る。フリッツは廃人のように壁を見つめるばかりで、互いに言葉を掛け合うこともない。
公開会議室の明るく整頓された室内の末席に座るラルフ・オーデルスローは、以前のような快活さを失い、フリッツ以上に心身を病んだ様子であった。
時計の針が9時を指す。カペル王国の王冠を脇に抱えたヴィルヘルムが、冷ややかな笑みで入室した。
各大臣が一斉に立ち上がる。王は彼らの肩に手をかけて、一言小言を言って回る。末席に座るラルフの肩を叩いた王は、彼の耳元に唇を近づけた。
「元気がないね。『家族でも人質に取られたかい?』」
ラルフが歯を食いしばる。ヴィルヘルムは目を細め、彼の背後を通り過ぎていく。
やがて王はフリッツの背後に辿り着いた。彼はそれまでの大臣にしたように、耳元で囁いた。
「これからの時代に、科学省の予算は多いほどいいと思うね」
フリッツが思わずたじろぐ。王はくっくと笑いながら、彼の背後を通り過ぎていった。
王が玉座に座ると、閣僚たちは深い礼をして席に着きなおす。しばらくの沈黙の後に、アムンゼンは手元の資料を開いた。
「さて、報告資料は一読させていただいたが、改めて各大臣の報告を聞きましょう。フリッツ閣下」
「えぇ。何事も万事順調です。ミサイル兵器は高い精度で敵都市を破壊し続けています。これは科学省の成果でもあるでしょう。一方で、飛行船の方はなかなか国境を越えることが出来ません。敵の航空機の方が、飛行船よりも機動力が高く、攻撃性能で大きく後れを取っていると言えます。今後は敵航空機の解析と研究を急ぐ必要があるでしょう」
「例の物は出来たのですか?」
アムンゼンが鋭い視線を送る。しかしフリッツは、物怖じすることなくそれに答えた。
「あとは小型化ですね」
「やはり科学省の予算がもっと必要だろう」
ヴィルヘルムが横槍を入れる。フリッツは暗い表情で一つ頷いた。その後幾つかの報告があり、いずれもカペル王国の戦後処理に関するものであった。
第一に、交通相によりカペル王国‐プロアニア間の交通機関の修繕を開始したいこと、それに伴い、カペル王国内でのゲリラ的な抵抗運動の鎮圧を申し出たいこと、第二に、陸軍相によりペアリスを中心とした王国の残兵を殲滅するために、特例的に軍事行動を認可したい旨の申し出、第三に、外務相によるプロアニア、ムスコール大公国間での同盟関係維持のために、使節団を派遣したい旨の提案などである。いずれもヴィルヘルムは二つ返事で認可を出し、プロアニアの直近の方針はほんの一時間足らずで決定された。
最後に、アムンゼンは末席に座るラルフの方に視線を送る。ヴィルヘルムも顎を使い、ラルフへ報告を促した。
長い沈黙が公開会議室の明るい室内を支配する。ヴィルヘルムは片眉を持ち上げて、ラルフを睨みつけた。
「特に報告はないのか?ならば、海軍は我々の国に特段必要が無いということかな?」
ラルフは机を叩き、立ち上がる。怒りに震えた視線を持ち上げて、彼の主君に向けた。
「この王国に義はありません。私は一線を退きたい」
叩きつけた手を退けると、ラルフの手の下から辞表が現れる。ヴィルヘルムは片眉を持ち上げて見下ろし、鼻を鳴らした。
「たしかに。大事な報告のようだね」
「責務を全うするべきです、オーデルスロー閣下。今回の勝利は貴方の活躍あってこそ」
アムンゼンは粛々と撤回を促す。フリッツは静かに頷くが、それが誰に向けられた同意なのかは判然としなかった。
ラルフは王の返答を待つ。暫くにらみ合いが続き、ヴィルヘルムが口元を歪ませて笑った。
厳かに、王の腰から拳銃が抜き取られる。
ラルフは荒い息遣いで、確固たる意志を持った強い眼差しを向けている。
ヴィルヘルムは拳銃を構える。室内にどよめきが起こったが、フリッツは蝋人形のように全く身動ぎしない。アムンゼンもまた、ラルフへ最後の警告を発した。
「王国に貢献すること、忠義を貫くことこそ、貴方の誇りではなかったのですか?」
そう問われても、ラルフは沈黙を守り、王の答えを待ち続ける。拳銃の照準が、彼の眉間をしっかりと収めた。
「ばーん」
ヴィルヘルムは引き金を引かずに、拳銃を軽く持ち上げた。彼は楽しそうに笑いながら、拳銃を下ろした。
「これは独り言だが、これでラルフは正式に死んだ。これから君には人としての尊厳は無いということになるね」
ラルフは深く頭を下げる。
「有難うございます。失礼いたします」
ラルフは足早に席を立つ。議場にどよめきが起こるなか、ヴィルヘルムは手を叩いた。
「はいはい、死体の処理も終わったところで、会議もここまでとしよう。アムンゼン、ラルフの後任については君に一任することとしよう」
「承知いたしました」
閣僚は戸惑いながら立ち上がり、頭を下げた。ヴィルヘルムは再び一人一人に言葉添えをして回る。フリッツの肩に手を置いたヴィルヘルムは、耳元で楽しそうに囁いた。
「随分と虐めがいがなくなったね」
フリッツは恭しく会釈を返した。王は手を持ち上げ、友人と別れを告げるように気さくに離れていく。家臣を一周したあと、ヴィルヘルムは玉座の後ろを通って、議場から退室した。