‐‐1903年秋の第二月第三週、エストーラ、カプッチョ・サルコファガス教会‐‐
それはまさしく、青天の霹靂で御座いました。首都ペアリスの陥落の報告からほんの数刻後に、我々にとって最悪の報告が伝えられたのです。
豪雪に晒され睫まで凍り、硬直した体と、紫色に染まった唇が痛ましく、納棺の折には誰も直視できぬほどでした。
白いワイシャツと、カペル王国風のものでは比較的控え目な彩色をした下衣は、心臓から溢れた夥しい量の血で汚れ、最早取り返しのつかないことを黙々と伝えております。
皇帝の宝冠を象った燭台に、ただ一つだけ灯る祈りの炎が、弱々しく風に靡きます。消え入りそうな、掠れた声の司教の暗唱が、静謐な礼拝所に響き渡ります。
陛下は腰を海老のように丸め、銀製の杖を両手で支えて、普段の物憂げな表情で棺の後ろに続きます。真っ赤に充血した目を、暗いくまの出来た窪んだ目元が支えており、陛下御自身は今にも倒れそうな足取りで、一歩、一歩歩んでいかれます。老体に鞭を打つような酷い仕打ちだと、参列者たちは青い顔を寄せ合って囁き合っていました。
カプッチョ・サルコファガスの地下にある納棺室には、棺に納められた歴代皇帝とその家族が眠っています。還俗し、雌伏の時を過ごしたレーオポルト陛下、強引かつ大胆な統治で帝国の統治機構に大変革を齎したシーグルス陛下、そして今上陛下の息子夫婦、妻カサンドラ妃……。陛下に連なる人々の棺が安置された暗い地下室の中を、フェルディナンド皇太孫殿下の棺が進みます。
誰一人顔を上げる者はありませんでしたし、陛下にお悔やみを述べることすら誰にも出来ませんでした。ただ、先頭を征く蝋燭の火が、闇の中に陛下の死神のような酷い顔をぼんやりと映し出しておりました。
やがて鍵束が擦れる音が周囲に響きます。行列が止まり、カサンドラ妃と皇太子夫婦の眠る納骨室の扉が開かれました。
地上から零れる僅かな光が、漂う埃を輝かせながら、カサンドラ妃の棺を照らしておりました。妃殿下が手を合わせて眠る様を彫った銀箔の棺から、三つ隣に、私達が運ぶ棺が安置されます。棺はがぉん、と鈍い音を立てて下ろされ、最後にその蓋が開かれました。
落ち削げた頬、窪んだ目元、蝋のような肌……似ても似つかぬ変わり果てた姿が露わになると、家臣一同が棺から目を逸らすのです。
私は陛下のご様子を窺いました。陛下は唇をわなわなと震わせながら、しっかりと、殿下の尊顔をその目に焼き付けておられました。
皺の寄った角ばった手が、そっと、ご遺体の肌に触れました。
「どうして……こんな惨いことを……」
ただ一人の跡取り、ただ一人残った肉親。そのご遺体に縋る陛下の御心は、察するに余りあるでしょう。その誕生から成長を見守り続けた家臣一同も、すすり泣く声を響かせます。
納棺室の広い室内に、慟哭が反響します。帝冠の燭台で照らされる皺だらけの手が、冷え切った固い頬を静かに摩りました。
「寒かったろうに、痛かったろうに……。助けてあげられずに、何もしてやれずに、ごめんね……。顔を出してくれて有難うねぇ」
罅割れた唇から零れる、しわがれた声。そして、悲しいほどに無表情のフェルディナンド殿下。皺の寄った手に零れた雫が、その温い肌を伝って冷たい頬に滴り落ちます。
「陛下……そろそろ……」
「すまないね……」
陛下は名残惜しむようにフェルディナンド殿下の頬から手を離されました。助祭たちが棺の蓋を閉ざします。二度と見ることの出来ないものを名残惜しむように、陛下は棺の蓋を何度も、何度も繰り返し撫でられ、そして、司祭と共に祈りの言葉を唱えられました。
家臣一同、静かに俯き、途切れ途切れの賛美の言葉に耳を傾けます。助祭たちが聖歌を歌い、胸元で手を合わせます。
僅かな採光窓から射す灯りの上で、真新しい埃が舞い、宛ら蝶のように棺へ向かって落ちていきます。
採光窓から射す光を見上げた陛下の頬を撫でるように、輝く雫が一筋、棺の蓋に零れ落ちました。