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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1903年
190/361

兜、輝く。

 ‐‐1903年、秋の第二月第一週、カペル王国・アーカテニア国境、アンガルド峰‐‐



 白く吹雪く山頂の真下に、カペル王国側からアーカテニア側へと渡っていく人々の群れが出来ている。難民と化した彼らに道を譲りながら、彼らの背後を守る僕は、東から流れてくる曇天を気にしている。


 アーカテニアとカペル王国の国境は、王族が親類同士であることもあって、先代のピエール・ディ・カペル王の治世の一時期を除いて、常に利用されてきた。両王国が続けた関係の中で、二つの王家は互いを家族同然とみなし、関係を深めていった。

 アンリ王が先んじて逃れる難民たちの為に伝書を走らせたお陰もあり、アーカテニアでの入国手続きは非常に順調に進んでいた。


 しかし、数が多すぎる。首都ペアリス以外からも逃れてきた人々が、全てこの国境を目指したがために、入国自体は比較的簡易的でも、入国の待ち時間は長期を極めた。


 衰弱していく者や人波に飲み込まれて家族と逸れる者が続々と現れ、美しい山岳の景色も、降り積もる雪の冷酷さだけを脳に植え付けてくる。


 何度国境の窓が落ちるのを見たことだろう。また翌日といくら言われても、嘆く声、恐れ戦く声が続くのは仕方のないことだ。


「今日中には入れるかな?」

「国民が先だよ」

「分かってるよ」


 イローナは唇を尖らせる。直ぐにでも助かりたいだろうに、僕の我儘を聞いてくれる彼女はやはりいい子だと思う。


 激しい吹雪が関所の窓を叩く。僕たちは身を寄せ合い、長蛇の列がみるみる関所に吸い込まれていくのを、遠目で確かめた。


「フェルディナンド閣下。やはり私達も、余力のあるうちに通して貰った方が良いのではないでしょうか」


 フランツはそう言って背後を気にしている。彼ならばそう言うことは分かっていたが、いざ言われると、胸が痛む。


「付き合わせてしまってごめんなさい。国の代表者として、彼らの安全は守らなければ……」


「私の考えとは真逆ですが、貴方の意見は尊重します」


 フランツは心配そうに眉を下ろして答える。胸中は察するに余りあるし、申し訳ない気持ちで一杯になるが、僕もまた譲れないものがあると思う。


 山頂へと徐々に近づいている実感が湧いた。アーカテニア側の手続きも徐々に速度を上げているのが分かる。殆ど顔を見ただけで通しているのだろうと分かるほどだ。今日中には何とか、僕たちも国境を潜れそうだ。


 役人が昼食を採る時間になっても、手続きの手は緩まない。降雪の強くなる関所付近で、僕は凍傷になった人々を見つけた。

 瞼に雪を積もらせながら、虚ろな瞳で関所を登る人々を見つめている。もし助かったとしても、国境のごく付近で力尽きてしまう。そんな恐怖を植え付けるように、彼らは僕を恨めしく睨んだ。


 早く国境を越えて安心してほしい。そうした願いや善意から道を譲り続けた。いざこの場所に立ってみると、それらが誰かを苦しめたのではないかと胸が苦しくなる。

 吹雪く国境からいったん離れようにも、後続に道を譲れば今度はプロアニア軍の攻勢に飲み込まれるかもしれない。そう思いじっと耐え続けた人々が、夜の厳しい飢えと寒さで力尽きてしまう。僕たちは、ただ彼らに守られていただけなのかもしれなかった。


 フランツが視界の先に立ち、僕の視線を遮る。大人なりの優しさが身に染みた。


「私は、貴方がたを安全に連れていく義務があります。ですが、貴方の行動はとても尊いと思います」


「有難うございます」


 互いに気を遣い続けているのを感じる。

 イローナが僕の肩を叩いた。


「列、進んでるよ」


 背後を気にしながら、雪の降る国境の細い道を歩く。身を寄せ合い、関所へ駆け込んでいく人々の背中を追う。ふと、背後を見た時、体が降雪を全て受け止めたかのように総毛立った。


 一角のついた鉄兜に、黒のロングブーツ。奴隷を逃さんとするために、小銃を提げる男たちの行列が狭い道を登って来る。


 行列が速度を速める関所の中は窓が曇るほど詰まっているようだ。

 誰かが時間を稼がなければ。ここにいる誰かが……。


「フランツ閣下。イローナのことを頼めますか?」


「待ちなさい、そんなことはいけない」


「閣下でなければ、イローナを安全に逃がすことは出来ないと思います。僕では力不足です」


 フランツは首を激しく振る。僕の袖口を掴み、行列の方へと引っ張っていく。


「僕は、貴方を信頼して託したいんです。お願いします」


 フランツは眉間に皺をよせ、掴んだ袖を離した。僕は彼に、目一杯の感謝を込めて頭を下げた。


「待って!どうして!?私を一人にしないで!」


 イローナの声が虚しく響く。エストーラから持参した銃剣を構え、白い息を噛み締めて、行列の行く道を逆戻りする。フランツがしっかりとイローナを引っ張って、行列へと押し込んでいく。

 遠ざかっていく愛おしい声に罵られながら、僕は膝をつき、口に大量の雪を含んだ。


 冷気に歯がしみた。漏れる吐息は雪の温度にかき消され、風景と同化する。上着を脱ぎ、白いワイシャツ一枚で山脈の岩肌に背中を預ける。身を隠し、雪と一体化する。


 黒い軍靴がザック、ザックと雪を踏みつける。早足で市民の群れに襲い掛かろうと、続々と前へ進んでいく。

 前方の兵士が銃を構え、大きな口を開いた。


「動くな。抵抗をやめないものは撃つ」


 射程圏内に入った行列から、甲高い悲鳴が響く。行列の動きが鈍くなり、兵士達が彼らの方に歩き出した。


 『寒さのために』手が震える。きっと生涯でこれ以上ないほど、体が委縮し、心臓が高鳴った。


 歩兵の黒いブーツが、銃剣の切っ先の前を横切った。


「進めええええええええええええ!」


 思い切り雪を蹴り上げ、剣先で喉を貫く。歩兵がそのままバランスを崩し、雪の中に斃れた。白い雪の上に、喉から溢れた鮮血が滲んでいく。


 悲鳴が悲鳴を呼び、国境の行列が我先にと関所に強引に入り込んでいく。役人には申し訳ないけれど、難民たちはきっと強引に国境を通過して逃げているところだろう。


 そして、僕の前に後続の兵士達が迫って来る。僕は血のついた切っ先で狭い山道を遮り、兵士達をなぎ倒そうと試みた。


 訓練ではない、実弾を込めた小銃がこちらに向けられる。実弾の籠った銃剣の引き金を引いた。


 視界の先を白い雪が遮る。音は雪と共に地面に落ち、兵士一人の脳天を貫いた。


 近寄る敵を銃剣の切っ先で我武者羅に薙ぎ払う。あとは、彼らより長い銃身が頼みの綱だった。


『私の命は、マリーの命より軽いというのでしょうか?』


 いつかに、アンリ王と話したことがある。


『いいか、あれは人間の屑だ。男の恥は背中に傷を受けることだと覚えておきなさい』


 王は僕にそう告げて、フランツのように生きることのないようにと諭した。


 僕は少し、違うと思う。

 今喉を突き刺した兵士にだって、家族はあっただろう。彼の帰りを待つ妻か、子供か、親があったに違いない。

 今弾丸が脳天を貫いた彼にも、守るべき国家や仲間や、職場があったかもしれない。例え辛く厳しい戦いでも、仲間の住む場所を守るために、必死になってここにやってきたに違いない。

 今薙ぎ払った兵士には、家族も仲間もなかったかもしれない。非国民だと言われて殺されないために、自分の命を守るためにこの場所にやってきたかもしれない。

 あるいは、名も知らない誰かは、自分の今の生活を、地位を守るために、びくびくと身を震わせて、暴力の嵐から必死に逃れようとしているかもしれない。


 皆が皆、守るべきもののために戦っている。守るべきものの為に、道を踏み外してしまう。

 辛くて、どうしようもなく苦しくて、誰かを傷つけて、それでも誰にも歯止めをつけることが出来なくて。


 だからこそ、戦争は悲しい。


 僕は全霊をかけて抗う。誰かの大切な人を、大切なものを守るために殺す。


 エストーラの繁栄のため、カペル王国の誇りのため、それを支えた国民のため、僕を信頼してくれた仲間のため、僕を育んだ家族のため、大切な(イローナ)のため。


 国境の行列が関所の中に完全に消えていく。歩兵達が僕を取り囲む。無表情で、泥だらけの顔で僕を見下ろす。構えた小銃が、静かに僕に向けられる。


 言葉一つ聞き取れないような激しい吹雪が起こる。誰かの悲しい口笛の音のようだ。


 ねぇ、お爺ちゃんは、どう思う?


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