‐‐◯1903年、秋の第一月第三週、カペル王国、ブローナ‐‐
各戦線に送られる兵器が、続々とブローナに結集している。枕で頭を隠し、小刻みに震えるヴィルジールの部屋に、ノックの音が響き渡った。
殆ど反射的に悲鳴を上げたヴィルジールは、ベッドから飛びあがり、枕元に置いた杖を乱暴に掴む。
「ヴィルジール君、私だ」
聞き覚えのある声に、ヴィルジールは瞳一杯に涙をあふれさせた。
彼は急いで上着を着こみ、縋りつくように扉を開ける。ドアノブを回した次の瞬間には、ヴィルジールは目前の男に抱きついた。
「おおおおお待ちしておりました!レノー閣下!ご無事で何よりでございます!」
抱きつかれたレノーは面食らい、目を瞬かせたが、ヴィルジールの肩を優しく叩いた。
「君は良く粘ったよ、ヴィルジール君。私の方で根回しはしておいたから」
「有難うございます、有難うございます……!」
ブローナ城は焼け爛れた跡や倒壊した八角階段をそのままの形で残され、戦闘の惨たらしさを伝えている。
ヴィルジールの幽閉されている一室には、壁に掛けられた至宝の数々が鮨詰め状態で安置されていた。額縁で飾られた歴代君主の肖像画や、壁に掛けるには少々場所を取りすぎる宗教画などのほかに、武器だけを取り上げられた鎧や、プロアニア人には殆ど何の価値もないと思われた飲むお札などが、所狭しと飾られている。
「驚異の部屋のようになっているね」
レノーは入室するなり呟いた。ヴィルジールも安堵の為か、心音が穏やかになり、笑顔を取り戻した。
「何とか懇願したのです。プロアニア人は価値がなさそうだと感じたら、こちらに返してくれるようですね」
レノーは慈しみながら至宝を眺めている。宝石の輝きにも似た、分厚い油絵の具の光の反射の為に、彼の瞳は細められている。
「まぁ、彼ららしいと言えばらしいが、生きていて楽しいのかね?彼らは」
「我々にはまるで解りません。一つ言えるのは、彼らにとって我々の営みが意味をなさないという事だけです」
ヴィルジールはカーテンを開ける。弾痕や倒壊した建物が放置されたまま、痛ましい光景が眼前に広がっている。
レノーも眉間に皺を寄せ、眼下の惨状を観察する。最早『清流の古都』と綽名され、持て囃された都市の面影はない。
「……うん?あれは何を運んでいるのだ?」
レノーは窓に貼りつき、川から地上に下ろされた貨物を凝視する。貨物はその長い機体を慎重に旋回させられ、荷卸しと共に運搬車両に乗せられていく。
「新兵器でしょうか。何かペンのような形状をしていますね」
兵器は長大な体をぶつけないように守られながら、ブローナ城の脇道を通って広場へと向かっていく。
二人はある程度冷静さを取り戻していたため、兵器の行く先を確認せずに、てきとうな席についた。
「ペアリス陥落が仮に叶ったとしても、プロアニアの被害は甚大だろう。ただでさえあれだけの兵士を投入しているのだ。国内は殆ど経済の維持が困難なはずだ。我々が新王としてカペル王国に返り咲き、支度を整えれば、然るべき報復もできるだろう」
「そのためには迅速に、事を運ぶ必要がありますね」
レノーはヴィルジールの反応に深く頷く。彼は本来持っているべき錫杖を空ぶらせ、足を組みなおして誤魔化しながら続けた。
「ただし、懐柔を受け容れた方が益のある例は多い。まずはこの戦争の結末を見届けて、立ち振る舞いを決めることとしよう」
「では私は、戦後速やかに、アーカテニア王国にどれほどの同胞が逃れたのかを、調べることといたします」
ヴィルジールは人差し指を立てて答える。レノーは何度も頷き、再び足を組みなおした。
「こちらとしても、それとなく動向を窺うことにしよう。祖国繁栄は叶わないが、私達にも意地がある」
「臆病者との誹りを受けるのも癪だ」と、彼は腕を組み、壁面を睨んだ。エストーラの監視する絵画が彼らの方を見ている。レノーは口角を持ち上げて、彼らの視線に答えた。
(皇帝はまだこちらを見ているのだろう。物事はそれほど単純ではないな)
ヴィルジールがレノーの視線に気づき、首を傾げる。レノーは彼の視線を遮るように体を動かした。
「どうしたね?」
ヴィルジールは首を横に振り、「いいえ」と短く答えた。
二人は時折壁面の肖像画を気に掛けながら、自都市の現状やプロアニアの動向について議論を交わす。長い対話の後、レノーはコレクションのうちの一つである宗教画と風景画を交換する約束を交わし、各々の持ち場に戻っていった。