‐‐●◯1903年秋の第一月第二週、カペル王国、ル・シャズー‐‐
その日、ル・シャズーの広場には、大量の戦車と飛行船が駐屯していた。
町全体が美しい外観のまま残されたル・シャズーでは、プロアニアの陸軍を指揮する将軍たちが、毎日のように兵器と兵士を引き連れて集った。
日に日に膨大になるプロアニア人駐屯地の要求に、市民は徐々に狭い集合住宅へと移住を強制され始める。彼らは何かをするでもないが、事務的に仕事をこなし続ける占領者たちを、窓の中から怯えた様子で見つめていた。
「な、なんなのだこれは……」
集まる戦車や、鉄骨で守られた巨大な飛行船は、眼前に集うと圧巻の代物であり、レノーは彼らとの戦いを避けた選択に思わず安堵した。こちらが牙を剥かなければ、プロアニアの兵士は下手な同胞よりも安全である以上、レノーは彼らのこうした行動に対して、何らかの積極的な干渉をする気も起こらなかった。
こうして集まった「プロアニアの総戦力」がこなす支度は、レノーが絶句するほどの徹底ぶりであった。
「プロアニア人はとんでもない労力を戦争に傾けている。これでは内政どころではないではないか」
広場に集まる軍人たちに遠くから目を細めながら、レノーは一つ呟く。彼の視線に気づいた軍人の一人が、広場の何者かに向けて声をかけた。
レノーは血の気が引き、そそくさとその場を立ち去ろうとする。その後ろ姿に向けて、抑揚のない声がかけられた。
「レノー閣下。こちらは協定を守るつもりでおります。どうぞご覧になって下さい」
レノーは引き攣った笑みを浮かべたまま振り返る。猫背の宰相アムンゼンが軍装に身を包み、後ろで手を組んでいた。
プロアニアの長靴が、恐る恐る笑みを返すレノーへと近づいてくる。彼は、その足音が近づくたびに、心臓の鼓動が速まるのを感じた。
背中にかいた冷汗で服が貼りつくのを取り除きながら、アムンゼンの後についていく。背後には数名の兵士がおり、その手には最新の銃が握られている。背中に銃口を突き付けられたように感じながら、レノーは導かれるままに宿敵の勇姿を見た。
技術において劣るところなきプロアニアの強大な兵器たちが居並んでいる。ヴィロング要塞を突破した地を這う戦車は、巨大な砲口を天へと向けている。レノーを飲み込まんとする巨大な砲門が、ゆっくりと彼の顔を覗き込んだ。それがずらりと並んでいる。規則的に、まるでそれが当然のものであるかのように。
左翼にはカペル王国のアビスが生んだ奇跡、空の鯨の改良機が並んでいる。魔術不能の多いプロアニアでは風雨に煽られて気嚢が変形し、安定運用が難しい点を、外殻の構造で補っている。何よりもその巨大さと、外殻による高速移動への耐久力が特徴的であり、空鯨を完全に自らの手のものとしている。
「……恐ろしいものだ。どうしてそれほどまでに、私達から奪おうとするのだ」
レノーはそこまで言い切って、思わず血の気が引く。失言ではないか、今気分を害せばいつ殺されてもおかしくはないのではないか。彼の脳裏に恐怖が押し寄せる。
相変わらず、砲口はレノーに釘付けになっている。まるで、その魂ごと食らいつくそうとしているかのように。
「与えられなかったから奪おうとしたのですよ。魔術の才も、肥沃な土壌も、平穏も。私達にはこれまで一つも与えられなかったでしょう。それを渇望し、手に入れるために雌伏してきた時間が実っただけですよ」
レノーは目を見開き、アムンゼンを見つめる。猫背の丸い背中と、顔色一つ変えない整然とした態度。レノーは改めて、腹から底の見えない恐怖が込み上げてくるのを感じた。
自国で平民が怒りに任せて暴れまわるのとは違う、完成された秩序から放たれた、略奪を正当化する言葉。彼の腹の内は何処にあるのだろうか。レノーは歯を食いしばり、息を荒げた。
「……それがどれだけ恐ろしいことか!」
人間の人間たる所以は心にある。彼が恐れ戦き、高貴な身分を誇り、時には人間を軽蔑し、時には人間に名誉を棄損される。それがレノーの中にある、人間の常識である。彼は神に選ばれた人間の一人であり、高貴なる者として生きるように選んだ。それは全能の神の意思であると共に、人間の意志でもある。それらは心あっての賜物である。
アムンゼンは顔色一つ変えず、レノーの顔をまじまじと見つめている。レノーは捲し立てるように叫んだ。
「お前たちは蟻だ!人間などではない!」
「貴方と同じ遺伝的特徴を持っていると推察しますが」
「私に話しかけるな!蟻の言葉など聞き取れるものか!」
レノーはバランスを崩しながら、ル・シャズーの城へと逃げていく。事務的に武器を構える兵士達を、アムンゼンは手で制止させた。
「今のは誹謗中傷ではなく、私達の勤勉さを労った言葉だろう」
レノーは再びバランスを崩し、慌てて体勢を直す。彼は腹を惨めに揺らしながら、アムンゼンの視界から消えていった。
アムンゼンはレノーの背中を見送ると、何事もなかったかのように、兵士達に出撃の支度をするよう合図を送った。
「まだ利用価値のあるものを、うかうか手放してなるものか」
理屈とは、彼らを正当化するための方便である。彼は戦車や飛行機に乗り込む兵士達に向けて、敬礼を送った。