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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1903年
183/361

‐‐●◯1903年秋の第一月第二週、カペル王国、ペアリス1‐‐

 低い太陽が、町を黄昏色に染めていく。ペアリスに住む市民の女子供達は、既にアーカテニアに退避を開始し、町には武装した義勇軍と皮の鎧を纏い太腿を露出させたままの民兵達が集うばかりだ。

 都市貴族も全員が完全武装をし、妻や跡取りを退避させた者もあった。

 毎日のように活気に溢れた声に満たされた市場は、テントや材木、ありったけの石材、モルタルで作られた堅固なバリケードで塞がれている。市壁の守りも普段であれば盤石と言ってよい代物だったが、日没は静かに屋根の上に降り注いでいく。

 宮殿の花々は秋の装いを始め、葉の色も徐々に赤や黄色に装いを改めている。紫や、白や黄の花に混ざって、木には赤い果実が実っている。


「ブローナも落ちたか……。近いうちにここも落ちるだろうな」


 アンリは薄っすらと笑みを湛えて呟いた。重苦しい緊張感の中、町の男たちは喧嘩や酒盛りを始める。松明の灯りに集う男たちの汗で、教会の前には湿った空気が漂っていた。


「随分と落ち着いておられますね、陛下は」


 簡易の記録用紙を片手に持ち、リュカは声をかける。町で武装をしていないものは、恐らく彼一人であろう。


「カペラは花の女神だ。花が落ちれば実が実るものだよ」


 アンリは沈みゆく夕陽に温い視線を送る。街角には無人の建造物があり、ベランダに植えられた花は枯れて萎んでいた。


「戦わないのなら、君は逃げないのか?リュカ」


 アンリは惚気たような柔らかい声音で尋ねる。リュカは上衣のポケットにペンを突っ込み、小さな溜息を零した。


「逃げるも何も、俺の故郷はここなんですよ」


 風が花の香りを運ぶ。枯れては咲き、咲いては実り葉が落ちる。それは自然の摂理である。アンリはただ、静かに目を細めた。


「そうか」


 彼の頬は茜色に染まっていく。仄暗い宮殿の内側へ向けて、カーテンが靡いた。


「ほうら、リュカ。マジックアワーだよ」


 空が実る麦穂畑のような黄金色に輝いている。浮かぶ雲は白よりも灰色がかり、太陽に向かって細く伸びていた。監視塔の影が長く伸び、町へかかっている。市壁の狭間は赤色を抜き取り、燃え盛るように濃く強調された。翻って彼ら自身は真っ黒に染まり、大きな体躯で町を支えている。


「黄昏は刹那だ。よく目に焼き付けておこう。私の魂が覚えていられるように」


 アンリは微笑を湛えてオレンジ色に染まる空を見る。静かな呼吸の音と、けたたましい喧嘩の声とが溶けあい、町と宮殿は重なり合った。


「陛下、いずれ夜が明けますよ」

「それはもう別の日だ」

「同じ太陽が昇りますからね」


 太陽は、彼らの敵がある方へと傾いていく。アンリは振り返り、いつものように歯を見せて笑った。


「さて、最期の大仕事だ。リュカ、折角いるのだから、手伝いを頼もう」

「陛下は本当に、人遣いの粗い人ですね」


 リュカは呆れ顔で答えた。



 戦場はすぐそこまで迫っている。玉座の間には数少ない精鋭たちが集められ、中央の玉座には王妃アリエノールの姿がある。彼女は着にくいドレスとコルセットを脱ぎ捨て、滑らかな鎧を身に纏っている。長い髪は切り落とされ、その髪を一切れずつ精鋭たちに預けていた。

 アンリは決戦級の魔術の支度の為に、その場にはいない。突き立てられた無数の槍と斧槍、剣と錫杖が仰々しく群れを成している。

王妃は先ずは深呼吸をし、そして乾いた唇を湿らせた。


「我々の強大な力でも、プロアニアを押し留めることは出来ませんでした。貴方がたの大きな忠義に応えられなかったことを、先ずは王妃として謝罪いたします」


先ずは王妃が頭を下げる。精鋭たちは武器を抱えたまま、狼狽えて顔を見合わせた。

 宮殿の貴族とは少々違う種類の王妃を、彼らは当惑しながらいつも眺めていた。いざ王国崩壊の日が近づくと、彼女のせいで王国の秩序が乱れて崩壊を招いたのではないかと勘繰る気持ちと、従来の王国の秩序が好ましからざることへの疑義とが交互に込み上がってくる。彼らは王妃が頭を下げて、改めてそうした困惑を抱いた。

 彼女は膝に置いたカペラの花冠を象った宝冠に手を添え、精鋭たちを見回した。


「貴方達にはこの国の民として戦う自由があります。同時に、今ならば、荷物を纏めて逃げることも出来るでしょう。ここに集った方のうち、王国への忠義を持たないものか、私達への忠義を認めないものは、立ち去る権利があります。貴方がたの命を国ではなく、貴方やその家族のために捧げることは、恥ずべき事ではありません、誇るべきことです。それでも、共に戦ってくれる者だけが、ここに残って下さい」


 王国のアイリス紋を胸に付けた彼らは一瞬困惑し、彼女の言葉に反応出来ないでいた。長い沈黙が続く。彼らの中には武器を下ろし、頭を下げて去っていく者もあった。そうした姿がますます彼らを惑わせた。


‐‐王国の為に命を捨てる覚悟があるかと問われれば、それは否だ‐‐


 王国が彼らに与えたそれなりの権力は、確かに生活に安息を与えた。だが、だからと言って自分の命を投げ打って戦うべきか、というと、彼らはそれほどの感謝もしていなかった。上司の貴族は面倒な上、大抵癇癪もち(のように思われた)ためだ。

 王妃は全員が去るのを待っているかのように、長い沈黙を守っている。周囲を気にする者、頭を下げて考える者、王妃をただ見つめる者、それぞれが質問に対して回答に窮しているように思えた。


 階段の上にある玉座から、王妃が立ち上がる。互いが構えても武器が重ならない程の広い赤絨毯の中心を、彼女はゆっくりと下りていく。


 やがて階段を下り切ると、その身長は精鋭たちよりも頭一つほど小さくなった。

 その代わりに、強い力のある瞳で、兵士達を見つめている。


「この場で言いづらいのであれば、戦いが始まってから直ぐに逃げるのがいいでしょう。何度でも言いますが、その選択は恥ずべきものではありません」


兵士達は武器を持ち直す。躊躇いながらする者も、迷いなくする者もあった。一同が先程と同じように隊列を立て直すと、王宮を守る兵士達に向けて、王妃により最後の命令が示唆された。


「私とアンリは、この国の為ではなく、家族を守るために戦います。それがこの国と共に戦う理由です。これは王妃としての命令です。貴方達一人一人が、守るものの為に戦いなさい。それは何であってもいい。ただ、貴方の心を裏切って、敵や味方を屠ることだけはしないで下さい。それが、私へ対する忠義を示すこととなります」


 王妃は再び深く頭を下げた。分厚い鎧が、彼女の動きをぎこちなくさせる。精鋭たちは武器を高く抱え、『王妃万歳』と声高に唱えた。


 王妃は顔を上げる。口元を綻ばせながら、ゆったりとした動きで、その場を後にした。

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