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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1903年
181/361

‐‐◯1903年、秋の第一月第一週、プロアニア、ゲンテンブルク‐‐

 王都ゲンテンブルクでは、以前と変わらず煤煙が濛々と立ち込めている。

 ケヒルシュタインから続く長大な自動車の旅は、宰相シリヴェストールに大きな衝撃を与えた。道を歩く女性の多さが、以前よりも目立っている。視界を遮るためだけに設けられた市壁の内側に至っても、女子供、高齢者は多く目にするが、成人男性の数は極めて少数である。若い男は特に少ない。市役所では女性が既に市内在住である男性の名前を記された婚姻届けを受け取っていた。


 女性労働者の数が激増した。さらに人口を下支えするべく、女性と男性の結婚を国家が管理する『未徴兵成年者の婚姻の促進に関する法律(成年婚姻法)』が成立したのだという。運転手との長い世間話を通じて、彼はこの国が徐々に自分たちの理解を超えた存在になりつつあることを悟った。

 道中にある低い塀に囲まれた通路も自動車同士がすれ違えるように広がり、かつて一年草が生い茂っていた草原は、塀の取り壊しと共に大きく後退した。代わりに設けられたガードレールは下部から小動物が道路内に侵入できる構造となっており、以前に比べると見晴らしは改善したように思われる。

 この、広く振動が少ない、快適かつ殺風景な道路を、殆ど色が異なるだけの対向車とすれ違いながら首都へと向かっていく。時折訪れる都市部では、必ずと言って良いほど工場群が立ち並ぶ工業地帯が見られる。製造物はさまざまであったが、開かれた扉の中を覗き込むと、兵器や軍装を製造している女学生の姿が垣間見えた。


 やがて霧とも煤煙とも区別できない灰色の空気が視界を遮り始めると、シリヴェストールは背中を預けた柔らかいシートから身を起こし、運転席の座席に手をかけて、フロントガラスに向けて目を細めた。


 ひしめき合う建物は混凝土製から従来の石造、煉瓦造のものまでさまざまにあり、全体的に空へ向かって細く長く伸びている。中心にある二又の川の中州には、四つの建物に分かれた公会堂が聳えており、常設の展示品に関する説明を、島の入り口へ向かう橋の手前に貼り付けている。そこには小さく『前方すぐ』とだけ記されていたが、シリヴェストールにはその単語が読み解けなかった。


 背の低いバラックの平屋が延々と続く工業地域には、以前にも増して激しく鞭を打ち鳴らす資本家や工場主らの姿がある。彼らは開かれた扉を気にも留めずに、ミスをした者や、指示に従わなかった者の背中に鞭を叩きつけている。シリヴェストールは気味が悪くなり、視線を外した。


 立ちこめた煤煙はすさまじく、車窓の数メートル先が既に白んでいる。通行人が霧の中から突然現れるたびに、彼は小さな悲鳴を上げた。


「ゲンテンブルクでは日常茶飯事ですよ」


 運転手はマスクを外して呟く。痛みすら覚える目を瞬かせ、シリヴェストールは苦笑を返した。


 人と人がすれ違うたびに、肩を退け合う。顔を上げて友人と対面するでもなく、帽子を軽く持ち上げて、ぼそぼそと挨拶を交わし合う。彼は見慣れない、異様というべき光景に当惑しながら、視線をきょろきょろと動かして『見るべき場所』を探した。

 深い煤煙と混ざり合った霧のヴェールが、彼が見て讃えるべきものを遮っているように思われた。彼は内心恐れを成しながら、運転手と共有できそうな話題を探した。


「ゲンテンブルクは今日も霧が濃いですね。我が国は曇り空ですよ」


「そうですか。今日は休みの工場が多いので、視界は悪くないかと思います」


「えぇ、まぁ、確かに。以前来た時よりも視界が鮮明な気もしますな」


 シリヴェストールは言葉を区切りながら答える。視線を送ろうにも、霧が視界を遮っている。長い沈黙の後、広い駐車場を持つバラックの宮殿が姿を現した。


「着きましたよ、閣下」


「有難うございます。長い旅路でしたが、大層為になりました」


 シリヴェストールは頬を少し持ち上げてみせる。運転手はバックミラーに映った笑顔を無表情で見つめ返した。


「ええ、こちらこそ。良い旅を」


 シリヴェストールが下車をすると、車は駐車場の入り口付近へと移動する。車両はそのまま広いスペースの端に、静かに停車した。


 彼はマスクをそっと持ち上げ、鼻にかけた。焦げたようなにおいや、ヘドロの異臭などが、町に微かに漂っている。彼はスーツのネクタイを整え、目を凝らし、前方に手を出しつつ、のろのろと宮殿のある方角へと進んだ。


 やがて目印となるブランドブラグ辺境伯の立像に手がかかると、彼は心底安堵して、立像を伝いながら、その裏へと歩む。無骨で威圧感のある巨大な建物が視界の先に霞んで見えた。


「……以前よりも空気が悪くなったような気がする」


 彼がぽつりと呟く。宮殿の前に控える近衛兵らが、シリヴェストール目掛けて敬礼をした。


 彼は腰を低くして帽子を外すと、彼らに軽い会釈を返して城へ入城した。


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