‐‐1903年、夏の第三月第一週、カペル王国、ブローナ5‐‐
市壁の上を幾つかの篝火が巡回している。町は黒い影となった建物の屋根で敷き詰められており、影や灯りの類は遠目では確認できない。プロアニア兵は草原の茂みの中を匍匐しながら、腰に帯びた榴弾を市壁の傍ぎりぎりまで運んでいく。壁に貼りつくほど市壁に隣接した擲弾兵達は、草むらの中で身を屈め、市壁の上に灯りがないことを確かめる。彼らは徐に榴弾を掴み、安全ピンを外す。耐え難い緊張感が周囲を包み込む。草むらを風が撫で、夏虫の声がこだまする。安全装置を外した榴弾を、市壁に向かって投げると、彼らは草原の中に身を伏せ、匍匐によって後退をする。暫くして、榴弾は強烈な閃光を伴って炸裂し、周囲に砂埃が立ち込める。
立ち上がった兵士が背後に向けて叫ぶと、雄たけびを上げた歩兵達が一目散に砂埃の中目掛けて突撃する。
敵襲を知らせるけたたましいベルの音がこだまする。草原の上を、矢の礫が降り注ぐ。薄くなった砂埃の中には、歪で小さな穴が開いている。
「速く、速く来て!」
見張り番の悲痛な叫び声をかき消すように、丘の上にあった戦車部隊が砲撃を開始する。拒馬で守られた関所側の市壁からも、甲高いベルの音がこだまする。
暗く狭い街路に、歩兵隊は中腰で駆け込んだ。崩落した市壁の頭上から熱した油が降り注ぎ、歩兵達の悲痛な呻き声が響き渡った。分厚いブーツの底を焼きながら、歩兵達は寝静まるブローナ市内に、続々と突入する。
市壁の上から、市内へ向けて放たれた弓矢が降り注ぎ、鉄兜や、薄い軍服や、首の付け根に突き刺さった。倒れた歩兵を背中の壁に代え、兵士達はブローナ城を目指す。
チェンチュルー城のバルコニーからは彼らに水鉄砲が放たれ、一人の脳天を貫いた。
「あそこだ、あそこが根城だ!」
「市街地は狭い、散開しろ!無秩序にあそこを目指せ!」
兵士達は蜘蛛の巣のように張り巡らされた細い道に散逸した。
街路に控えた傭兵たちが彼らを追いかけ、回り込む。歩兵達が立ち去っていく中で、市壁の上から続々と守衛が降りてゆく。穴の開いた道を塞ぎ、新たな敵襲に備えるためである。
警報の鐘は更に勢いよく鳴らされる。川面の大通り、水門の周辺を守っていた傭兵たちも水底に明かりを当てるのをやめて、入り組んだ街路へと入っていく。ブローナ市内に集められた傭兵たちが次々に防衛拠点へと移動していく中で、砲撃が水門を吹き飛ばした。
甲板が無人の砲艦は、水門の入り口まで前進すると、戻ってきた敵の頭上目掛けて砲撃を開始する。煉瓦造りの古い建築物は一撃で屋根から崩壊し、真下の街路を塞いだ。
砲艦はじっと水門の中に留まり、息を潜める。装填と同時に天高く放たれる砲弾は、放物線を描き、河川に密集した古く上質な建物を破壊していく。やがて狭い街路を瓦礫で埋めた砲艦は、僅かに前進し、市内に船首だけを覗かせた。
「ヨーソロー!ヨーソロー!」
威勢のいい声が砲艦の拡声器から放たれる。傭兵たちの注目が一気に河川へと集中した。
その刹那、歪に風穴を開けられた市壁に集った守衛たちに、弾幕が浴びせられる。からからという鉄の車輪が回転する音と共に、遠くから響く弾幕の発砲音が接近する。凄まじい速度で丘を駆け下りる『それ』は、左右に激しくふらつきながら、唐突に彼らの眼前に姿を現した。
骨組みだけで組みあがった、馬のような体躯の車両……丘から迫るにつれて加速しながら、それらの軍勢は市壁上の守衛たちに突撃した。
その勢いに気圧されて一人が転倒すると、自転車に跨ったプロアニア兵が市内へと雪崩れ込む。
サドルに腰かけ、極端な低姿勢で無理矢理括りつけた機銃を構える者と、後方で彼に覆い被さるように立ちこぎをする者とで自転車に乗り込んでいる。無理矢理低姿勢で座る者はがたつく機銃によって手を痙攣させ、太腿を真っ赤に染める。立ちこぎをする者はバランスを崩さぬように必死にペダルを漕ぎ、時折中腰の者の太腿をペダルと軍靴で引っ搔いた。
続々と侵入する敵に、水鉄砲の照準も狂い始める。自転車兵らが市内の狭い街路に入ると、ひとりでに建物が炎上を始め、市内にその住民たちが飛び出してくる。一人一人を容赦なく機銃で打ち倒しながら、自転車兵は構わずにチェンチュルー城を目指した。
彼方此方から火の手が上がる。ブローナの美しい建造物は黒焦げの影となって窓や扉から火を噴きだし、プロアニアの兵士達と共に心中していく。
「ヨーソロー、ヨーソロー!水塊の排除完了、侵入する!」
ゆっくりと前進を開始する砲艦もまた、炎上しながら幅広の川に展開する。轟沈するもの、燃え盛りながら出鱈目に城を砲撃するもの、侵入する砲艦が、ブローナ城に立てこもる「魔術師」を釘付けにした。
ブローナの町は延焼する。警報の鐘は大地に落ちて煤に塗れ、チェンチュルー城の宮殿の周りを、長い軍靴を履いた兵士達が包囲した。
炎上を続ける砲艦からの執拗な砲撃により八角階段が音を立てて崩れ落ち、ブローナ城の窓が開く。窓の中から白い旗が幾つも突き出し、火の粉を飛ばす熱風にたなびいた。