‐‐●1896年夏の第二月第三週、エストーラ、ブリュージュ近郊3‐‐
正面市壁の前には、トレビュシェットが隠されていたことを視認した時、第二歩兵連隊の面々も穏やかならざる思いを抱えていた。
古い攻城兵器ではあったが、それらが主たる市壁を守るために配置されていたということは、万が一にもあってはならないが、内通者がいたのではないか……という疑念を抱かざるを得ないからである。彼らは戦々恐々としながら、魔術師が張り巡らせた見えざる殺人糸でもありはしないかと、慎重に歩を進め始めた。
ブリュージュの市街地はまともな装備を持たない自警団と、分散された兵士とによって守られている。第二歩兵連隊の全軍が突撃するまでもなく、もはや勝敗が決したかのように思われた。
彼らはブリュージュの領主がいる邸宅の象徴であるバルコニーを目指す。六角形の鐘楼を持つ教会を目印に、彼らは目的地を探した。
一糸乱れぬプロアニア兵の行進に、ブリュージュの人々は恐れをなした。煉瓦造りの家の中から彼らの進軍を見つめる市民たちは、そのあまりにも統率された、完全な自動機械のような目的地への進行に、まったく人ならざるものを見ているような心持を抱いたのである。
多くの都市が占領されたときに行われる陰惨な略奪は一切なく、ただ事務的に、目の前を通る敵か味方か中立か判然としない人々を小銃で撃ち殺していく。パニック状態の人々が飛び出してきたときにだけ、彼らは無慈悲な殺戮を行った。
整備された石畳の上を、軍靴が規則的な音を立てて進んでいく。軍靴の足音を数えれば、プロアニアの進行度合いが分かるほどの統一感であった。
第二歩兵連隊がバルコニーを視認できるところまで進軍すると、突然地鳴りが響き渡る。彼らは一旦足を止め、武器を構えて周囲を見回した。
彼らの目前にはブリュージュの伯爵夫人がいる。既に家屋の中に避難してこそいたが、その距離は殆ど目と鼻の先といってよい。そして、眼前に本拠地があるということは、彼らがカペル王国が誇る魔術師部隊や、ブリュージュを警備する近衛兵団たちの格好の標的となりうることを意味していた。
整備された石畳が砕け、プロアニア軍の真下から間欠泉が噴き出す。バルコニーに手がかかりそうな高さまで吹き上げられた先頭の兵士たちは、ブリュージュの古い町並みの、特徴的な尖った屋根に串刺しにされたり、砕けた石のまきびしの上に体を叩きつけられて絶命した。
「ブリュージュは大地と水の交差する地上の橋渡しの街。この門を乱暴に叩くということは、全ての国に牙を剝く覚悟が必要と知りなさい」
バルコニーから町の様子を見下ろせる部屋に、伯爵夫人と魔術近衛兵達が集っている。巨大な間欠泉の為に集められたのは、総勢二十七名の精鋭たちである。
生き残り、吹き飛ばされた兵士たちが何とか身を起こすと、屋敷の玄関口に現れた儀仗兵達が不気味な詠唱を始める。咄嗟に小銃を構える兵士たちであったが、次の瞬間には武器を持つ手が痙攣し、次々に小銃を落としてしまう。そして、二度目の地鳴りが先程より宮殿から離れた位置を中心に起こり始める。兵士達は地面を這いつくばるようにして、宮殿を目指して前進した。
彼らの後方で間欠泉が起こる。地面が裂け、石畳と共に仲間たちが吹き飛ばされていく。前進を試みた歩兵達は、小銃を掴み、突然に痙攣した指先で玄関口に小銃を撃ち込んだ。
精鋭の数名が儀仗を落とす。数名の痙攣が収まり、彼らの発砲によってさらに兵士たちは力を取り戻した。
「総員、突撃!」
連隊長の背後から高射砲の発砲音と、市壁が倒壊する凄まじい音が響く。
三度目の地鳴りが最前線の兵士の動きを鈍らせた。
乱発された小銃で、ブリュージュの宮殿の玄関口は血濡れと硝子片で光を反射している。死臭が都市の中心地に漂い始め、熱射によって地鳴りする石畳の上に陽炎が漂っている。
第三の間欠泉が玄関にほど近い場所を吹き飛ばす瞬間、最前線の歩兵達が儀仗兵達の中に飛び込み、武器を構えた彼らを我武者羅に発砲した。儀仗兵達の数名が地面に突っ伏して動かなくなる。
吹き上げられた歩兵達が地面に頭を打ち、砕けた石片の上でのたうち回っている。
そして、血濡れの扉を開けた残兵たちを、火球の礫が待ち受けていた。
扉から出てきた火達磨を押し戻すように、後陣の兵士たちが突入する。
火達磨の肩越しに放たれた弾丸が、魔術師たちの肩や肺、脳天を貫通した。火達磨が床の上に倒れると、兵士たち目掛けて激しい水流が放たれる。消火も兼ねたこの攻撃に押し戻された人々は、顔の皮がはがれるか、或いは胸や肩に真っ赤な跡を作り、その場に蹲る。
「溝鼠共はいったい何体いるんだ!」
魔術師達の悲鳴を止めるべく、室内を横並びになって前進する兵士たちが銃口を向ける。黒焦げの死体の上を乗り越えて、プロアニアの兵士たちは無言で引き金を引いた。
ブリュージュの市内に命乞いをする声とすすり泣く声が響く。舗装された石畳の上を、無機質な高射砲の車輪が踏み鳴らしていった。