‐‐●1903年夏の第三月第一週、カペル王国、ブローナ近郊‐‐
砲艦隊は鮨詰め状態で詰まっていた。海軍と同乗した歩兵達は、暗い闇の中、甲板の上で不安げに話し合っている。
騎兵隊の本隊は未だ市門を潜っておらず、時折丘の上から放たれる砲火が、稀に飛んでくる奇妙な水鉄砲で弾き返される。虚しく下り坂の丘に穴ぼこを作る砲弾を、民兵と思しき人々が拒馬越しに伸ばした縄で市壁の中へと引き込んでいく。
兵士の休憩所と化した甲板からは、すぐ目前に開かれた水門があるにも関わらず、分厚い壁があるかのように何者も寄せ付けない。市壁の上の狭間から時折顔を出す小姓も直ぐに顔を引っ込めてしまうので、攻撃をすることもままならない。
肩に装備した無線機から、騎兵本隊の会議の声が漏れている。連隊長は話し合いに耳を傾けながら、決して高くはない市壁を見上げていた。
「擲弾兵を寄越してくれれば、市壁を破壊して前進できる。先に水門の裏側に回り込んだ方が有益か?」
兵士達はぶつぶつと独り言を零す連隊長を一瞥して立ち去っていく。食事の賑やかしい声が、船倉から零れてくる。
彼が顔を見上げると同時に、市壁の内側から水鉄砲が突然撃ち込まれる。連隊長は咄嗟に身をかわし、市壁の上を睨みつけた。
顔を出した小姓が即座に市壁の内側に身を引っ込める。
「こちらの動きは、市壁の上からつぶさに観察されている。水鉄砲を飛ばしているのはあの小姓なのか?」
市壁から顔を覗かせるものもない。内側から殆どランダムに打ち込まれる水鉄砲が、兵士の脳天を貫通する。
「しかし、彼が魔法を用いているとすれば、全く予兆が見られない。恐らくただの斥候で、彼とは別に魔術師がいると考えるのが妥当だろう」
連隊長のつぶやき目掛けて、水鉄砲が撃ち込まれる。彼はすかさず砲塔の裏に身を隠す。様子を見ると、砲塔に小さな錐で開けたような穴が開いている。
(図星のようだな……)
理屈は明らかになっても、彼は細い溜息を零すだけだ。無線機越しに喧嘩の声が聞こえる。ヴィロング要塞の悪夢が脳裏を過るようだ。
攻撃自体はそれほど強力なわけではない。海上に火柱を立てるわけでもなければ、多くの兵士を狙撃できるわけでもない。しかし、前線での兵士の不足は明らかであり、一人ずつ狙撃されてはたまったものではない。連隊長は肩の無線機を持ち上げて、口元に近づける。
「水鉄砲は市壁の裏側からの攻撃で間違いない。市壁に接近して気づかれづらい投擲兵器による攻撃に切り替えましょう」
『では戦闘も夜襲の方が良いか?』
「そうですね。敵の意表をつくのがいい」
(出会った頃はまるで話も聞いてくれなかったよな……)
騎兵隊長からの提案に、思わず顔が綻ぶ。応答の後、僅かに間を開けて、無線機からノイズが漏れた。
「連隊長殿。こちらはいつでも準備ができるようにしておく。陽動が必要なら連絡をしてくれ」
「助かります。有難うございます」
セーラー服の海兵たちが、彼の戦友たちにウネッザの様子について話している。水鉄砲の射程圏外では、海兵たちが自転車の練習に付き合っていた。手が届きそうなほど近い市壁の上から、砲塔へ向けて水鉄砲が襲い掛かる。船は少しずつ後退を始め、所々から船酔いでえずく兵士の声が聞こえた。
「そうか。ケヒルシュタイン出身者の海軍は多いのか」
後退していくにつれて、自転車練習の光景が鮮明になる。薄暗い中でも、操作の覚束ない戦友たちに温い笑顔を零しながら、セーラー服の兵士は自転車を片足で支えている。バランスを崩して倒れそうになる戦友には、速度を出すようにと声がかけられた。
‐‐彼らもこうして、戦友になっていくのだろうな‐‐
無線機から、議論も煮詰まった騎兵達による穏やかな談笑が零れてくる。連隊長は連絡を聞きながら、遠ざかる水門を双眼鏡で覗き込んだ。
引き揚げられた砲艦をただ見つめる人々や、鉄の強度を確かめる人々に混ざって、スクリューをスケッチする学生や、塗装を不思議そうに撫でる製鉄職人が、船舶を囲っている。一人一人の顔や形は勿論、その表情も全て異なっていた。
双眼鏡から視線を外し、ゆっくりと後退する船舶の行く先を見る。自転車に跨った人々が、彼らの船に向けて手を振っていた。
「キョキョキョキョキョ……」
どこからともなく声が響く。連隊長が見上げると、空には暗い毛色の鳥の影が旋回していた。
「ヨダカ……」
ヨダカは暫く彼らの頭上を旋回していたが、船舶が後退すると、徐々に小さくなっていく。小姓の顔が見えなくなるほど遠くに至ると、ヨダカは米粒より小さくなり、やがて星の瞬きの内へと消えていった。