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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1903年
178/361

‐‐1903年、夏の第三月第一週、カペル王国、ブローナ4‐‐

 真っ赤な水が海へ向けて流れていく。ヴィルジールは八角階段から半壊した砲艦を岸辺に牽引する民衆たちを見下ろしていた。

 自然の色で茜色を映し出す川面には静けさが残り、未だ残る水塊が水門の周辺を埋め尽くしている。水底には溺れたプロアニア兵が沈み、弾丸を受けて川岸から転落した傭兵がうつ伏せで水上に浮かんでいる。悲惨極まりない様相をしたロンター川沿いで、こめかみを抑える助祭たちが祈りを捧げている。


「大手柄でしたね、ヴィルジール閣下」


 チェンチュルー城主は優雅に歩み寄り、ヴィルジールの肩を叩く。彼は黒煙の臭いがこびりついた手で相手の手を払いのける。


「いいえ。破滅の始まりですよ。敵艦を解析する時間も能力も我々にはないですが、相手には我々を対策する時間も能力もあります」


 争いの後、鮮血と夕陽が混ざり合い、真っ赤に染まった故国の誇りを目の当たりにして、彼は何かを穢された気分になった。

 街並みはそれほど変化していない。市壁も、敵の主力が削がれた状態であれば抵抗は可能なようである。しかし、町の景観が酷く損なわれたと、感じずにはいられなかった。


「プロアニアの兵器は再現もしやすいでしょう?同じように作れば単一の兵器が量産できるのですから」


「甘いですよ。『量産に耐え得る』というのは、それ一つで偉大な発明なのです。見た目を模倣して外観を取り繕おうとも、品格や性能までは真似できません」


 牽引された砲艦から流水が滴り落ちる。凄まじい勢いで坂を下っていく様は、滝のように獰猛である。


「同じ仕組みを作ればよい、というのにですか?溝鼠に出来て我々に出来ないことなどありはしません」


 チェンチュルー城主は悠然とした態度で答える。その含み笑いは自信に満ち溢れており、退却した仇敵へ対する軽蔑すら感じられた。


(ああ、こいつは、駄目だ……)


 ヴィルジールは「そのようですな」とだけ返し、八角階段を後にする。


 彼はそのまま主人のない執務室へと向かった。狭い窓から射す光が、徐々に仄暗くなっていく。地平線の向こう側には共有地の森がわずかに顔を覗かせている。執務室の扉を開けると、王代理がベッドの端でぶるぶると身を震わせていた。


 彼は扉が開くと同時に短い悲鳴を上げて毛布を被り、外観からも見て取れるほどに小刻みに震えた。


 ヴィルジールはベッドの脇に腰かけ、膨らんだ毛布をじっと見つめる。王代理は顔を出すなり、歪で引き攣った笑顔を零した。


「プロアニアの兵器、あの音は、頭がおかしくなりそうでしたよ……」


「そうですね。砲火というのはそういう強みもあります」


「味方に騎馬兵がいなくてよかったですね……」


 王代理は小刻みに震えながらも、作り笑いで続ける。今にも泣きそうな青い顔であったが、今回の勝利のお陰で何とか平静を保て手はいるようだ。ヴィルジールは構わず続けた。


「敗色が濃厚なこの戦争で、今回の成果は非常に大きいです。ですが、今のまま休戦への交渉を有利に進めるには、一歩足りないといったところです」


「え、え、エストーラの皇帝陛下が動いてくれればいいのですが」


「あのお人柄では難しいでしょうね。無抵抗では何も守れないというのに」


 王代理は首をぶるぶると震わせる。彼自身への叱責と受け取ったのであった。ヴィルジールは内心呆れながらも、現状を咀嚼する。


 『カペル王国とプロアニアの和議』の難しさは、内政の読めないプロアニアの国内情勢に大きく左右されるところである。彼らは最早飢えてはいないだろうが、深刻な労働人口の偏りが生じているだろう。ヴィルジールは和議の申し出をうまく機能させるには、エストーラの働きが必要不可欠であると悟っていた。


「連絡路も絶たれた以上、皇帝陛下へのこちらからの申し出をお伝えすることも難しいでしょう。あくまで平和的に、陛下からプロアニア国内の人々に干渉を与えることが出来れば、あるいは……」


 王代理は口を引き結んで視線を逸らす。そのようなことは土台無理なことだと、表情で語っている。


「犬狩り、亡命者の受け入れ、エストーラがあと一歩、王国に圧をかけてくれさえすれば、もう少し交渉がしやすくなります。ヴィルヘルムが動きを止めてさえくれれば、その後はどうとでもなりましょう」


 もとより、どうとでもならないような問題はどうとでもならない。彼は言葉を飲み込んで、王代理を宥めることに決めた。彼は多少の落ち着きを取り戻した様子で、毛布を鷲掴みにしつつも、上目遣いでヴィルジールに返した。


「カペル王国は近いうちに崩壊するでしょうけど、その時の統治者は貴方がいいなと思います」


「終わった後の話は終わった後にしましょう。先ずは、窮地を切り抜けることが先決です」


 王代理は渇いた笑いを零す。徐々に夜が迫り、星々が東の空を埋め始めている。ヴィルジールは王代理に会釈をすると、主人不在の執務室を後にした。


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