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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1903年
173/361

‐‐●1903年夏の第三月第一週、カペル王国、ブローナ郊外‐‐

 歩兵達は、支給された新たな持ち物に、半ば困惑していた。


「自転車じゃないですか」


 ケヒルシュタイン出身の兵士が呟いた。


「自転車?」


 一同が同時に声を上げる。兵士はその声に困惑しながら、「こう、跨いで乗るんですよ」と、ペダルに足をかけてサドルを跨ぐ。小さな歓声を上げた兵士達に向けて、彼はペダルに足をかけて漕ぎだし、彼らの周囲をくるくると移動し始めた。

 ハンドルを倒してくるくると回ってみせたり、時には反対に方向転換をして見せたりする。歩兵達は間抜けな感嘆を零し、実演をした歩兵がはにかみがちに笑った。


「でも、こんなのどうするんだ?戦車じゃダメなのか?」


 騎兵隊長が腕を組んで唸る。自転車に乗った歩兵が地面に足をかけ、ベルを鳴らした。


「小回りが利くという事では?」


「船に乗せやすいとか?」


 騎兵隊長は頭を掻く。歩兵達は背後に佇む戦車に振り返った。頼りがいのある車体には、焦げた傷や、塗装の禿げた光沢が散らばっている。

 彼らは支給された自転車があまりに心許ないものに感じた。巨大な戦車のように、後ろに控えて損害を最小限に食い止めることは出来そうにない。速度も流石に自転車の方が遅いだろう。若い歩兵が試しに跨いでみるが、直ぐに首を傾げてしまう。


「ま、まぁ。使いどころはあるだろう。そんなことよりブローナはどう攻略するんだ?」


 騎兵隊長は歩兵連隊長に声をかける。連隊長は脇に流れる河川を指さして答える。


「ウネッザの方から来た海軍と合流して、乗船して川を渡るんです。騎兵の方は中型船で運搬するには時間がかかるので、援護射撃や安全の確保をお願いすることになります」


「え、橋は渡らないんですか?」


 部隊の一人が声を上ずらせる。隊長の二人は顔を見合わせて苦笑した。目配せで譲り合い、騎兵隊長が自慢げに胸を張って答える。


「ブローナの橋は既に壊されているだろう。我々がここまで迫っていると聞けば当然のことだ。そうすると、あの長大な川を泳いで渡るか、船で渡るしかない。こういう時の海軍だ」


 小さな歓声と、パラパラという拍手の音が響く。騎兵隊長は益々鼻を高くした。


「まぁ、そういう事だから、今回はお前たちを守ってくれる盾がない。自転車で狭い路地や敵の多い大通りを強行突破しろ、という事だろう」


 一同が深いため息を零す。連隊長は苦笑いをしたまま、目下のブローナを見下ろした。

 一方を深緑色の森林に、もう一方を背の低い丘のような山に囲まれた草原の中に、古風な市壁に守られた都市、ブローナはある。

 ブローナを横断する巨大な河川は、流れが緩やかで平坦であり、都市の大きな水門が川を飲み込んでいるように見える。碁盤状の格子門は擲弾兵の爆弾で容易に破壊できそうな外観で、ブローナの突破はそれほど困難ではないように思えた。


「とりあえず、海軍が合流するか、上から連絡が来るまでは自転車の練習だな」


「俺、教えますよー」


 先ほど実演してみせた兵士が手を振る。歩兵達は久しぶりの休戦に、半ば興奮気味に自転車に跨り始めた。


 連隊長は彼らを見送ると、首にかけた双眼鏡を持ち上げて、ブローナの様子を詳細に観察する。市門には警備をする兵士が複数名おり、手前にも拒馬を張り、さらに外側を土塁で完全に封鎖している。これまで陸軍による快進撃を見てきたカペル王国は、今度の進軍も陸地からの強行突破で来ると踏んでいるらしい。


(海軍が水門を破って突破すれば、都市の中心から兵士を大量に投入できることになる)


 反面、水門の周囲は守りが手薄である。戦車を一隻ごとに一台同乗させて向かわせれば、それでも十分な制圧力になるだろうか。連隊長は交易路に視線を移す。いずれにせよ、ブローナの領主が水門側に注意を向けないためにも、ある程度の戦力を陸路から接近させる必要がある。

 幸い、カペル王国の草原地帯は、なだらかな丘陵のお陰で、伏兵を可能な限り都市に接近させて行動に移すことが出来る。奇襲における迅速な行動は何より重要であるから、ブローナもその例に漏れずに奇襲をかけやすい土地であると言える。相手の市内がどのような状況かは計りかねるが、彼からすれば、やはり戦力を陸側に誘導することが万全な状況のように思われた。


 自転車が金切り声をあげて、背後で停車する。時折転倒する音も聞こえた。背後では唸り声や笑い声が響き、綺麗な直進を達成した兵士に拍手と喝采が送られる。


「大丈夫か、これ……?」


 連隊長が思わず呟く。拒馬の内側には、敵兵が続々と集い始めていた。日が暮れてもなお、彼らの暢気な練習の雑音はずっと続いている。連隊長の心配をよそに、暗くなった草原の背後では、ブレーキの音と拍手の音が、時折響いていた。


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