‐‐●1896年夏の第二月第三週、エストーラ、ブリュージュ近郊2‐‐
先の戦争において、プロアニア軍最高の武器は、城壁を一撃で粉砕する高射砲と、塹壕の中から敵兵を蜂の巣にしてしまう機関銃、そして窒素固定法で実現したアンモニア爆弾であった。ブリュージュ国境の森林地帯に身を隠す「志願兵」達もまた、機関銃や小銃で武装しながら、街の様子を伺っていた。
「上からの指示はまだか?」
「分からない。俺は聞いてないな」
兵士たちはそう声を掛け合うとすぐに黙り込んでしまう。
軍服の長いブーツの内側は、夏の熱気で蒸れている。一人の兵士が首筋の汗を拭くと、一人、また一人と、姿勢を崩して噴出した汗を拭っていく。こうした集団行動は、出自や職場の異なる彼らの体に、不思議なほどに染みついていた。
「そういえば高射砲が来たらばれるよな」
「こっちで組み立てるんだろ。知らんけど」
合間合間に漏れる言葉も、彼らの友好関係には直接影響を与えないものばかりである。元々、プロアニア式の戦争というのは、国民全体から一部を兵士として投入し、代替の利く非軍人による消耗戦を基本とする。彼らの間には自然と友情は芽生えることがあっても、その友情は長続きしないことが基本であった。異常に発達した技術がますます、こうした傾向を強めていく。それ故に、捕虜となった彼らは、本当に「知らない情報」を、親しくない同胞の命と引き換えに詰問されることもあるのだ。
暫く彼らは何もない森の中で息をひそめていたが、やがて、連隊長の無線機がざぁざぁと音を立て始めた。
『こちら第二歩兵連隊、第四攻城兵小隊が到着、どうぞ』
『こちら第九歩兵小隊、了解、どうぞ』
通貨代わりの煙草が各人に支給される。見慣れた資本家の馬車が、鈍重な動きで市壁の中へと消えていく。
「いよいよだな……」
兵士の一人が呟いた。かちゃり、と、どこかから安全装置を外す音が響く。それに呼応して、森の中から機械的な音がこだまのように響き始めた。
「死ぬなよ、お前」
「盾になる気は無いからな」
彼らは小銃を手放さないようにしっかりと握りなおし、噴き出す汗ごと握りしめたグリップに力を籠めた。
「まもなく、ブリュージュ攻城戦を開始する。全員、準備は良いな?」
名もなき兵士たちから返事はない。連隊長には、それが同意の合図であることはすぐに分かった。彼は全軍の士気がそれほど高くない事を確かめて、作戦の最終確認を行う。
ブリュージュは背の高い城壁で囲まれた古都である。そのため、小銃や機関銃、少しの爆弾しか与えられていない彼らの第九歩兵小隊には、少々荷が重い。彼らは城壁の門からは遠い守りの薄い位置に配置されており、その役割は奇襲に見せかけた陽動‐‐要は、正面突破を敢行する攻城兵連隊の準備が整い次第、彼らの役割は終了する‐‐である。通常であればこのような奇策など愚策も同然で、城壁を上ることもできない兵士たちの頭上を矢の雨が降ることが関の山だが、プロアニアは技術によって、この城壁を実質的に無力化していると、少なくとも他国には認識されている。よって、彼らの姿がブリュージュの監視役に発見されることは、同地の警備兵達を十分に混乱させ、その役割を破壊することに貢献できるのである。
勿論、その代償は極端に高い歩兵達の死亡率が、物語ることとなるだろう。
『こちら第二歩兵連隊、第四攻城兵小隊の準備が完了した。作戦を敢行せよ』
連隊長は大きく深呼吸する。無線機に口を近づけて、発信のボタンを押した。
「『了解』準備は良いな!0の合図で突撃せよ!」
兵士たちが一斉に、鉄兜を締めなおす。ポケットに乱暴に突っ込まれた煙草を握り、神に祈るものもいる。
「3,2,1,0!」
次の瞬間、鬱蒼と生い茂る森林の中から、曇天に紛れた鉄兜が百数十名飛び出した。警戒態勢にあった城壁の上の傭兵たちは、慌てて声を上げる。
「敵襲!敵襲!」
動揺を隠しきれない彼らだが、その道の専門家らしく即座に第二歩兵連隊の頭上に、矢を放った。鉄兜を被った歩兵達の頭上に、矢の雨が降り注ぐ。
前進していた数名に遅れて、眼鏡の臆病そうな兵士が森から身を乗り出して爆弾を投げた。
突撃する兵士の数名が、矢の雨に怯み、爆風に吹き飛ばされる。轟音を立てた市壁の一部が剥離し、振動で空から傭兵たちが降って来る。
続けて、森の中から爆弾が放たれる。先程の市壁より少し森に近い場所で炸裂したそれは、第二歩兵連隊の同胞数名とともに、市壁を破壊する。大きく抉れた市壁の上では、今も鉄兜のブーツを目掛けて矢を射る傭兵たちの姿があった。
(もしかしたら行けるかもしれない!)
市壁の意外な脆さに、彼らがそう思った矢先、曇天に紛れて隠されていた影が、頭上から降ってくることに気づく。見上げると、彼らの眼前には巨大な岩石があり、彼らはこの岩に圧し潰された。
「カタパルト遅い!カタパルト!早く放て、放て!」
「こっちにも準備が要るんだよ、馬鹿野郎!その矢ちゃんと脚を狙ってやがるのか!?」
市壁の裏に隠されたカタパルトが、次々に接近したプロアニア兵たちを押しつぶす。血と肉片が周囲に飛び散り、森の中からは悲鳴が響き渡った。
爆弾が次々に森から顔を出す兵士たちによって放たれる。そして爆弾が切れた兵士は、突撃部隊として戦場に顔を出し、足を射抜かれ、岩で潰される。それでも、確実に城壁は削られている。1個小隊
ほどの敵兵が、第九歩兵小隊の上に集まり始めている。
「今だ!押せ、押せ!」
市壁の側から巨大な爆発音が響く。背の高い高射砲が、これまた背の高い市壁の狭間から上半分を抉り取った。崩壊する市壁が、市内の無辜の民を圧殺する。真っ白な粉塵と化した市壁の半分は、今度はプロアニア兵の足場として活用され始める。一方で、第九歩兵小隊の側には、落し狭間とカタパルトからの猛攻が、変わらず降り注いでいる。混乱した男たちが、市壁の上で口論を始めても、プロアニア兵の見る空は暗いままであり、市壁の穴を埋めるように、落下した岩石が爆弾の威力をそぎ落とす。陽動の役割を終えた兵士たちは、それでも踵を返すことが許されぬまま、岩の礫や、降り注ぐ矢の雨の隙間をぬって前へ、前へと進んでいく。連隊長は先んじて森林の中に退避し、ここに控える擲弾兵達と共に、倒壊した市壁のほうへと向かう。その姿を背中で悟った兵士たちは、小銃を頭上へ向けて何発か放つと、今度は後退して擲弾兵の残した爆弾を投擲し始めた。カタパルトの角度が動くぎりぎりという音が響き、街中には、市民の悲鳴と兵士の怒号が響き渡った。