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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1903年
154/361

‐‐1903年夏の第一月第一週、カペル王国、デフィネル宮‐‐

 アビス陥落の報を受け、御前会議は日を跨ぐ直前、未だ月が中天に至る前から執り行われた。眠気も冷めきってしまった閣僚たちが続々と議場に集い、命からがら逃げ延びたオルクメステスに見舞いの言葉を告げていく。オルクメステスはしおらしげに言葉に応じ、こめかみを抑えて祈りの口上を添えた。


 未だに潤沢な食料資源を有するカペル王国であったが、技術的な遅れも手伝って、圧倒的に戦力が不足していた。飛行船の帰還は叶わず、ペアリス周辺の諸侯にも、親類を頼って他国へ亡命を始めるものが現れている。庶民もプロアニア兵が彼らの財産を略奪するであろうことに怯え、カペル王国から支給される殆ど付け焼刃のような兵器を抱えて眠っている始末である。

 閣僚が揃い、オルクメステスを守るように囲う。

 彼らを速記官の席から眺めていたリュカは、王と隣り合うアリエノールの席に、もう一つの席があることに目敏く気づいていた。

 その席は他の閣僚のそれと同等の椅子で、アリエノールとアンリの二人のすぐ隣、つまりは相当な上座にある。

 国王の二つ隣に座るレノーも神経質に隣席に視線を寄越しては、苛立った様子で机を指で叩く。レノーからすれば、挨拶もなく横から入り込んできた訳の分からない輩であるから、無理からぬことではあった。


 リュカはレノーの仕草を観察しながら、頬杖をついて落書きを始める。カペル王国の書記官らしく、ほんの小さな文字と文字の隙間に絵を書き込んでいる。それは脈略のないもので、鳥や、体から草木の生えた蚯蚓や、真顔の太陽など様々である。文字を書き込まない縁を取り囲むように書かれたこれらの細長い落書きの中に、彼は今まさに観察中の男の顔を書き込んだ。周りに放射線を書き加えれば、それはレノーではなく太陽だと言い張れる。リュカはその完成度を眺めて、小さく噴き出した。


 やがて、最後の空席、王と王妃の隣に座る人物が到着した。

 カペル王国風の巻き毛の鬘、白タイツにキュロット、ワイシャツの上にプールポワンを着込んだ、年若いフェルディナンドである。

 各大臣もオルクメステスを囲んで談話するのをいったんやめ、件の新参者に視線を向ける。足取りこそぎこちない様子だったが、挙動の一つ一つは優雅で品格があるように見えた。


「会議の前に連絡がある。皇太孫フェルディナンドに今後の為に議事を傍聴することを許してもらいたい」


 フェルディナンドも深く頭を下げる。パラパラと小さな拍手が議場に響いた。

 ジェインの壁画と向かい合うフェルディナンドの緊張した面持ちは、閣僚たちには初々しく微笑ましいものとして迎え入れられた。彼は肩に力を入れたまま席に座ると、王に渡された資料を見つめる。目を瞬かせながらそれを読む姿に、閣僚たちは生暖かい視線を送った。


 心穏やかではないものが議場にいるとすれば、それは彼の一つ隣に座るレノーである。この初々しい男は遠回しに脅しをかけてきた相手であり、これらの微笑ましい仕草も全て、演技ではないのかと疑わざるを得ない。彼の殺気立った視線の先では、フェルディナンド越しにアリエノールが睨みを利かせている。「子供を挟んだ」対立は、教会の鐘が正午を伝えると、いったん休戦となった。


「定刻となったので、会議を始める。既に伝え聞いているはずだが、アビスが陥落した。由々しき事態だ」


 アンリ王はやや早口で述べる。会議の前にする祈りの口上や挨拶を飛ばしていたが、オルクメステスでさえそれを咎める余裕がなかった。


「もはや講和より道はないように思われます。親書は送られたのですか?」


 レノーが言葉を重ねるように告げる。親ウァロー派の大臣は、小さく頷いた。

 レノーの視線の中に、フェルディナンドの横顔がある。彼はレノーを横目で見ており、レノーはその視線に内心を見透かされているような感覚に陥った。


「レノー閣下、実際のところ、プロアニアが講和に応じようとするとき、どのような条件を列挙するとお考えですか」


 アンリはジェインの勇ましい姿を仰ぎながら尋ねる。議事録にペンを擦り付ける音が、議場に長く響いた。


「……正直分かりかねますが、こうなってしまっては致し方ないことです。国体を守ることこそ、第一に考えるべきでしょう」


「私はそうは考えませんね」


 アンリは即座に反論を返した。思わぬ追撃に、レノーは眉を顰める。


「人命を慮ってとのことであれば、私はレノー閣下の言葉に賛同しても良いと考えました。しかし、国体の護持という事であれば、賛同いたしかねます。それなら、私は友のように、誇り高く死ぬことを選ぶでしょうから」


「どちらも効果は同じでしょう。我が国に勝算はないということ、それだけで講和の理由としては十分です。先ずは立て直し、プロアニアに反撃の時を狙う方がよいかと」


 レノーの言葉に、賛同をする声が幾つか上がった。アリエノールが静かに口を結ぶ。

 レースのカーテンが膨らみ、花瓶に挿されたすずらんの花が香る。それは甘い香りであり、顔を撫でるそよ風もまた、平穏で心地よいものであった。

 議席では、難しい顔をするオルクメステスに大臣たちが耳打ちをしている。『所領なし』の教皇は、控え目に手を挙げた。


「猊下のご意見を頂きたい」


 アンリはレノーから視線を外す。オルクメステスは膝の上で手を組みなおし、俯きながら答えた。


「レノー閣下のご意見、大変含蓄のあるものと思いますが、残念ながら、プロアニアにも再武装の時間を与えてしまう点を、懸念致しております」


 オルクメステスは悲壮な表情で錫杖を振るった。微かな薔薇のにおいが、すずらんの香りと混ざり合う。


「あの国は、資源を確保するために我が国へ攻め入ったのです。現状、戦線は伸びに伸び切り、前線への補給には相応の時間が必要となっているはずです。盤石に守りを固め、うまく補給路を分断すれば、立て直しの機会も訪れるのではないでしょうか」


「猊下、畏れながら申し上げます。いつ、反撃の機会が訪れるのですか?およそ反撃の余地などありません。カペル王国の国体を守ること、その為に必要なのは講和の道です。資源の確保であればなおのこと、こちらに有利な講和で交渉する道は残されているように思われます。何せ、今後彼らの進撃から正当性を削ぐ条件を飲ませる方法はいくらでもあるのですから」


 レノーがそう告げると、オルクメステスは顔を下ろして押し黙った。書記官の席から、ペンを回す音がする。アリエノールがその音に視線を向けると、音はペンで紙面をなぞる音の中に埋もれてしまった。


(レノーが逃げる道を選んだ理由は?)


 アリエノールは資料に目を落とす。その中に、彼の主張が正当化されるだけの理由はあまりに多かった。王国は粘り強く抵抗したが、プロアニアが持つ面の強さには敵いそうもない。

 ウネッザで内地決戦用に新造された中小型艦船を中心とした艦隊が、ウァロー家の膝下であるル・シャズーに迫った場合、ウァロー家も『所領なし』の憂き目に晒される可能性がある。

 彼ならそれを避けるためにプロアニアに近づいて、講和の仲介を行う可能性も十分にあった。しかもそれは、カペル王国を崩壊させないためには正解の道である。誰もが自分達を守るために仕方ない、と受け入れるような正当性の鎧を身に纏っている。


 レノーは先程までの余裕のある表情を取り戻している。親レノー派の閣僚も既に議会の勝利を勝ち取ったような雰囲気で、普段通りの優雅な振る舞いをしている。


 アリエノールの視線は自然とレノーへと向かった。レノーと視線がぶつかると、彼は口元を歪めて笑う。このまま戦争を続行するという主張は、論理的には殆ど無理筋のように思われた。


 オルクメステスが錫杖を振るわずに暫く経つ。すずらんの香りが、薔薇の香りを押しのけて香り始めた。

 アリエノールの視界には、若いフェルディナンド越しに、レノーの勝ち誇った表情が映っている。

 その時、視線の間に挟まれたオブジェが、突然口を開いた。


「レノー閣下は、ル・シャズーを落とされることを恐れているのですね」


「はい?」


 子供の戯言に、レノーは諭すように聞き返した。


「オルクメステス猊下のご意見は、もっともなことだと思います。僕の故郷であるエストーラと、カペル王国の事情は全く異なっていますから」


 書記官の議事録を書く手が一瞬止まる。書くべき略称を定めると、その手は再び動き出した。


「ですが。思うに、我が国の庶民が必死に戦うのは、この国の資源を守る為ではないのではないでしょうか。彼らが守るものは、国家や、家族や、尊厳などの精神……そういうものだと思うのです。レノー閣下のご指摘にある通り、戦争は絶望的な展開を見せています。ですが、講和を結んだときに失われるものを考えたときに、僕は、領土や富の類は些細なもののように思われるのです。レノー閣下は、領土や富の類が失われることを恐れている、そうですね?」


 大人たちが騒めく。アンリやアリエノールさえ、思わず呆気にとられた。


 子供だと思われていたフェルディナンドが、自らの言葉で意見を述べた。確かに、誇りや精神的なものを根拠とするのはあまりにも論理的ではなく、拙ささえ感じられる。しかし、置物が突然喋りだしたことに、議場は十分に混乱していた。


 そして、何より、精神的な部分だけに触れる彼の言葉は、ある意味でレノーの意見の核心に触れていた。

 彼は周囲のどよめきが収まるまで再び沈黙に潜る。レノーは首を振り、子供を諭すようにあくまで穏やかに答えた。


「私が講和を提案することは、民の命を守ることにも、王国の国体を維持するためにも有益なことと考えておりますよ。フェルディナンド様はまだお若いから分からないかもしれませんが、我々はもっと大きな大義のために戦っているのですよ」


「その大義に、貴方の富を隠すのはやめて頂けないでしょうか?もっと正々堂々と、自分たちが守るものについて話し合いませんか?僕は、あの時あなたがしたあの反応を覚えていますよ」


 周囲には伝わらない衝撃が、レノーの心臓を掴んだ。

『プロアニアに富を渡さないために、都市に火を放つ』という、一種の脅迫めいた言葉が彼の脳裏を過る。何故それを嫌うのか?それを問われた時に、ヴィロング要塞で戦死したマルタンの行動が彼の足を引っ張った。

 極限までプロアニアに圧をかけ、市民や一般兵を逃がし、食料資源を放棄させる。マルタンにできることが、何故レノーにできないのかを説明しなければならない。


 その説明を国体の護持に寄せるためには、いずれにしても自分の地位と権力を絡める必要があった。

 すなわち、自分がいることで国益にかない、国家が存続しうる。自分が富を持つことの意味を説明しなければならない。

 どうせ勝てないのだから講和を結んで平和に過ごそうという、至極もっともな大人びた理屈が、カペル王国の貴族という役割に足を引っ張られている。

 フェルディナンドの無垢に見える瞳が、レノーを射抜き、捕らえて離そうとしない。『カペル王国の貴族が富の蓄積を嫌う』、『誇りと見栄を重視する』という精神的な領域から、レノーの『至極もっともで致し方ない理屈』という鎧を引き剥がそうとしている。


「貴方にレノー閣下の何が分かるというのですか?そのような精神論で、無用な消耗を強いるべきではありません」


 ヴィルジールが顔を赤くして反論する。レノーは思わず、「いけない」と叫びそうになった。


「それでは、貴方がたがその地位を守ることに、論理的に正当な理由をご説明いただけますか?」


「それは勿論、我々貴族が政治を執り行う事こそ、専門的で道義的にも正しいからでしょう」


「貴族とは別の専門家、例えば学者による政治運営は貴族よりも正しいと言えますか?また、何故貴族による政治が道義的に正しいのですか?それは、貴方の中にある『貴族が政治を執り行うことが正しい』という思想、結論ありきの思想ではないですか?」


 ヴィルジールは目を瞬かせた。フェルディナンドは自分の地位を放棄したいのだと解釈したためだ。レノーは項垂れ、首を振った。


「我が国の統治は、多かれ少なかれ、精神的な部分に依存して執り行われています。もし、これを完全に否定したいのであれば、論理に則り、あくまで理性的に僕の意見に反論して下さい。それが、力を背景に自己の感情を正当化して統治をしてきた、貴方がたの責任です」


「戦争を続行したいというのですか?その先に何もないとしても?」


 ヴィルジールは小さな声で尋ねた。いかにも弱そうなフェルディナンドが、はきはきと答える。


「本当は終わってくれた方がいいんです。でも、守るべきものを放棄したくないのです」


 言葉が途切れ、ペンを滑らせる音だけが響く。レースカーテンが膨らみ、すずらんが風に揺れた。アンリがそっと立ち上がり、レノーの肩に手を置く。レノーはアンリの影が射した強面を、不安げに見上げた。


「王国の利益を守るために、講和の努力を続けましょう。しかし、私達の尊厳まで捨てる必要はない。彼はそう言いたいのです」


 膨らんだカーテンがゆっくりと元の形に戻る。レノーは目を伏せ、王から目を逸らした。


「……会議を続けましょう」


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