‐‐1903年夏の第一月第一週、プロアニア、ゲンテンブルク2‐‐
国王ヴィルヘルムが真っ先に指名したのは、虐めがいのあるフリッツであった。王が顎を使って報告を促すと、フリッツは緊張した面持ちで立ち上がり、訥々と語りだした。
「敵機の解析を終え、飛行船の試運転が完了いたしました。カペル王国の飛行船は柔らかな気嚢を晒した、いわば弱点を晒した構造になっていますが、我々のそれは気嚢を複数積みこんでこれを外殻で守るものであり、また空中での交戦も想定した重火器を配備しており、同高度上での戦闘において有利に機能すると考えます」
フリッツは額一杯に汗をかいている。大粒の汗が頬を伝った。ヴィルヘルムはその言葉尻のたびに片眉を持ち上げながら聞き、全ての説明を終えたフリッツが着座すると静かに手を叩いた。
「今後の戦闘に有利に働く兵器の開発、ご苦労だったね。厳しいことも言ってきたが、やはり我が国の底力には驚かされる」
「陛下。私からも報告がございます」
アムンゼンがラルフと向き合ったまま呟く。ヴィルヘルムが視線を彼に寄越し、そっと顎を持ち上げて言葉を促した。
「現在、フランシウム閣下も協力の下、自転車兵の配備を急いでおります」
「自転車兵?」
「えぇ。ケヒルシュタイン周辺ではメジャーな乗り物のようです。縦に車輪を並べたような構造で、ペダルを漕ぐことで徒歩よりも素早く移動をこなすことが出来ます。悪路においては自動車より高機動を発揮し、障害物があっても細い道を走破可能で、持ち運ぶことが出来る点で戦車より優れています。威力は両自動車両に劣りますが、資源の消費がない点で優れています。現在、鋭意改良中です」
鮨詰めの上級会議室に、色彩の鮮やかなパンフレットが差し出される。ヴィルヘルムはそれを摘まみ上げると、首を傾げながら観察をした。
「なるほど。平地以外での戦闘で優位を発揮するということか。あまり期待せずに待っておくこととしよう」
ヴィルヘルムはパンフレットを回しながら、細い鉄パイプのような車体を物珍しそうに眺める。やがて興味を失ったらしい彼は、パンフレットを返すと、閣僚に報告を促していく。
ヴィルヘルムに言葉を促された閣僚は、皆緊張した面持ちで報告をする。特に、交通相は飛行船による被害報告を要求され続け責め立てられており、国王に顎で示されるたびに、動揺していた。
しかし、今回の報告会は全く様子を異にしていた。
ヴィルヘルムから発せられる労いの言葉は、閣僚たちを驚愕させこそすれ、感謝されることはなかった。「また何らかの意地悪をしてくるに違いない」という恐怖感が拭い去れぬまま、穏やかな雰囲気の報告が続く。国王の機嫌が酷く良いのだと感じ始めた閣僚は、膝に置いた握り拳を解き、肩の力を抜いて座りなおした。
あの科学相フリッツが詰られなかったのだから、そもそもほかの閣僚に被害など及ぶものか。そんな和やかな雰囲気の中、ヴィルヘルムは静かな笑みで最後の報告者を指名した。
「ラルフ。ウネッザからの子細な報告、ご苦労だった。幾つか質問があるので、私の質問に答えてもらおうか」
ラルフは徐に立ち上がる。
「ヤー、カイゼル」
「君はウネッザで確認されたエストーラの飛行する兵器を視認したはずだが、これを撃墜・回収することはなかったようだ。何故そうしなかったのか?」
「それは、エストーラ海相ベリザリオ・デ・コンタリーニ閣下との約束を守ったためです。閣下もこちらへの攻撃はせず、早朝から夜明けの間に避難を完了させるという約束を守られました。ウネッザの市民が搭乗しておりましたから」
ラルフは毅然とした態度で答える。アムンゼンが静かに資料をたたむ。閣僚たちは視線を下げた。
「相手と約束を取り付けたなら、敵機を奪うチャンスはいくらでもあったはず。それをみすみす逃したその責任を、君はどう払う?」
ラルフは拳を握り、唇を噛み締めた。
飛行船の影がバラックの宮殿の上空を覆う。ゲンテンブルクの空を、身なりが整い始めた中産市民が仰いで帽子を振るった。自動車が地面に排気ガスを吹き付けて、魔王の威容を追いかけ讃えている。
ヴィルヘルムは肘をつき、真紅の瞳をラルフに向ける。赤い電灯の光を受けて、ラルフは険しい表情で王を睨みつけた。
「カイゼル、私は間違ったことなぞしておりません。私は誇りある行いをしました」
ヴィルヘルムが腰から拳銃を抜く。ゆっくりと持ち上げられた銃口に吸い付くように、ラルフはヴィルヘルムの右手を掴んだ。
「この誇りにかけて!貴方の臆病な虚勢に抗って見せよう!」
ラルフはヴィルヘルムの拳銃を乱暴に奪い取ると、その銃口を自らの喉元に突き付けた。閣僚たちが絶叫する。歓喜の歌声が町を覆いつくし、上級会議室のラジオから響く。喉元に貼りついた引き金は一切の迷いなく引かれた。
飛行船に帽子を振るう熱狂、閣僚たちの絶叫、そして上級会議室に響く耳をつんざく銃声。
燻る硝煙のにおいの中、閣僚たちは恐る恐る目を開いた。
ラルフの屈強な腕を、細い腕が強引に持ち上げている。上級会議室の壁に小さな弾痕が残っていた。
ラルフは細い腕の持ち主を恨めしそうに睨む。机に手をつき、無表情のアムンゼンが、ラルフと向き合っている。
「気は済みましたか?オーデルスロー閣下」
「……何故止めた?」
「貴方が必要な人材だからです」
アムンゼンは粛々と答える。彼はラルフから銃を奪うと、ヴィルヘルムにそれを手渡した。
「今回は不問としますが、今後はこのようなことのないように」
「今度は殺処分かい?」
ヴィルヘルムは安全装置を掛け直し、銃口をハンカチーフで磨きながら尋ねた。
アムンゼンは暫く沈黙したのち、口の端で笑って見せた。
「いいえ。海軍の兵士を公開処刑することといたしましょうか」
ラルフは声にならない声を上げる。アムンゼンは真顔に戻り、静かに手を払う。騒めく閣僚たちの声が、町の熱狂の声を曇らせる。
「誇りというものは厄介なものだね」
ヴィルヘルムはそう呟くと、くっくと笑いながら席を立つ。王とアムンゼンが上級会議室を後にすると、閣僚たちはラルフの身を案じ労う言葉をかけた。ラルフはその場に立ったまま歯を食いしばり、拳から血が滲むほど強く手を握った。