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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1903年
148/361

‐‐1903年、春の第三月第四週、プロアニア、ケヒルシュタイン‐‐

 海岸沿いの路上には見慣れた車両が連なっている。立ち入り禁止を示す表示板が立てられた隣に、軍服を着た兵士が二人佇み、周囲には異様な緊張感が漂っていた。

 アムンゼンは車両から下車すると、砂浜へと降りていく。既にそこには白衣やつなぎを着た人々が集い、彼らは巨大な楕円の物体を取り囲んでいた。

 アムンゼンの到着に気づくと、国民一同は敬礼でもって彼を迎え入れる。背筋の伸びた、統率の取れた敬礼である。

 ゆっくりと振り返ったフリッツは、隣にコンスタンツェを連れてアムンゼンに歩み寄る。形式的な握手を終えると、二人の公人は取り囲まれた巨大な物体に視線を戻した。

 海岸線に空の青色が降り注いでいる。海猫が水上を飛び回り、水上に急降下しては魚を狩り取っている。


「それでは、水素を入れて下さい」


 つなぎを身に纏った人々が迅速に装置を設置し始める。フリッツは白衣のポケットに両手を突っ込み、眼鏡越しに彼らの背中を見守った。


「博士、随分と重量がありそうですが、本当に浮くのですか?」


 開発者の一人がフリッツに耳打ちする。フリッツは首を横に振り、「私にも分からない」と静かに答えた。

 灯台のある港には海軍の巡洋艦が十数基停泊している。巡洋艦の搭乗員からはこの巨大な鯨のレプリカは、異様に大きなパスタ皿の様に見えた。海猫が甲板に止まると、身を乗り出している乗組員は慣れた手つきでその羽毛を撫でる。彼らの緊張した面持ちが僅かに綻んだところで、砂浜で歓声が上がった。


「少し浮いたぞ!」


 飛行船が砂浜から数センチ浮かび上がる。気嚢にガスを満載すると、作業員が機体から距離をとった。飛行船はゆっくりとだがその高度を増していき、最後には空を飛ぶ海猫たちよりも高い位置まで浮上した。完全に高度が安定したところで、フリッツが大きな声を上げる。


「エンジンを動かしてください!機動力もテストいたします!」


 飛行船の船尾に取り付けられた、エストーラ式のレシプロエンジンが駆動し始める。飛行船はゆっくりと海上から舵を切り直し、廃鉱山群の方へ船体を向ける。巨大な船体は優美ではあるが鈍重で、その長い船体はカペル王国のそれに増して無機質で厳かである。柔らかな船体の揺らぎはなく、無機質な白い船体が完全な形で上空に蓋をする。その威圧感は、水上に落ちる分厚い影の大きさだけからも読み取れる。


「空の魔王だ……」


 硫黄のにおいが漂う背の高い山々が連なるケヒルシュタインの遠景。投棄されたままのトロッコや、木材で補強された洞窟の入り口、不自然に剥き出しにされた傾斜の大きな山道が、ケヒルシュタインの市街地に蓋をするように聳えている。削られて晒された山道を覆いつくすように、白い無骨な飛行船が旧鉱山の前を通り過ぎる。


「……やはり、気嚢を内部に複数積めば問題は解決したね」


「外装は薄いが十分に頑丈で、気嚢を直接傷つけるような飛行体には耐えられる。機動力は少々劣るが、安全かつ大胆に、敵機への攻勢もかけられるだろう」


 フランツはケヒルシュタインを囲い込む山岳をものともしない無骨な飛行船の威容を仰ぎながら呟く。白衣とつなぎの人々が抱き合って歓喜する。カペル王国に後れを取った屈辱を晴らせるのだと、巡洋艦の乗組員たちがセーラー帽を振って羨望の眼差しを向ける。


 コンスタンツェは感心して声を上げた。手で太陽を遮り、巨大な飛行船の優雅な駆動に目を輝かせている。フリッツは微笑みながら、彼と同じものへ視線を向けたまま続けた。


「敵は初めから鉄球の投擲程度しか武器を搭載していないと見える。地上への攻撃は出来ても、同高度への攻撃は出来ないだろう。装甲も厚い。こちらに分がある」


 コンスタンツェは泣きながら抱き合う人々や、海上のセーラー帽を振る一団に一瞥をくれると、フリッツに耳打ちをした。


「ところでこいつは海軍のものなんですか?陸軍のものなんですか?」


 フリッツは白衣のポケットにしまっていた手を出し、顎を手に乗せて暫く考え込む。


「運用自体は陸上が主たるものだろうから陸軍では?」


「ですが、ウネッザを占領した海軍の証言では、エストーラのそれは海軍に分類されているようでは?」


「だが……ふむ……うーん……」


 フリッツは年甲斐もなく頭を抱え始める。コンスタンツェは自分の一言が彼を悩ませているにも拘らず、気にする様子もなく、試験飛行を続ける飛行船の動きを追っている。


「新しい兵科が必要かもしれませんね」


 アムンゼンが落ち着いた声で答える。フリッツはアムンゼンを見つめ、「そうですな」とだけ答えた。


 その日の試験飛行は何事もなく終わり、天に蓋をする巨大な飛行船は、ケヒルシュタインの山岳地帯の内側へと、夕日が沈むよりごく自然に降りて行った。


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