‐‐●1903年春の第一月第三週、カペル王国、アビス‐‐
朝課の鐘が鳴ると同時に、アビス周辺に戦車が展開し始める。その背後には歩兵達が続き、鼓笛隊が続く。突撃の合図は彼らのシンバルに始まる。
潤いに満ちた風が草原に吹き抜ける。動物たちが騒めき、森からは遠吠えが響く。カラスの鳴き声と木々の揺れる音が、アビスの高い鐘楼に答えた。
緊張した面持ちの歩兵達は、しきりに草原の中を睨む。伏兵が何人いるかも分からない。静かに、息を潜めてその時を待った。
鐘の音が響き終えると、鼓笛隊がシンバルを打ち鳴らし、太鼓を叩く。戦車のエンジン音が響き、なだらかな丘陵を直進する。防壁を浮かび上がらせる焚火の中から、弓矢や鉄球が放たれる。矢の雨、鉄の礫を受け止めながら、戦車が激しい砲撃を開始した。
本陣で双眼鏡を覗く連隊長は、背中に嫌な予感を覚えて振り返る。本陣は薄い布で覆われただけの簡素なもので、周囲で蠢く影を視認することが出来た。彼は即座に拳銃を構え、高速で移動する影目掛けて発砲する。影は発砲と同時に崩れ落ちたが、複数の影が重なり合いながら、本陣へ向けて距離を詰めていく。連隊長は冷静に照準を合わせ、一人ずつ、影を地面に落としていく。
彼は銃を構えながら、肩につけた無線機に口を近づける。
「こちら歩兵連隊本部。敵僧兵から本陣への急襲があった。そちらは無事か、どうぞ」
僧兵の影はついに目前に迫る。拡大した影の中心目掛けて、連隊長は殆ど間を置かずに発砲した。
弾倉をリズミカルに取り換えながら、ほんの近くまで迫った伏兵の影を睨みつける。その数は、装填が容易な自動式拳銃であっても対処は困難に思われる程だった。彼は装填が済むと、安全を確認したうえで即座に影へと発砲する。血痕が本陣に飛び散り、彼らが目前に迫っていることが理解できた。
「おい、聞こえているか?そちらは無事か!?こっちに護衛を寄越せるか?」
無線機からの応答はない。発砲するたびに本陣に飛び散る血痕はその濃度を増している。床に飛び散った薬莢同士がぶつかって音を立てる。立ち込める火薬のにおいが、焦りを助長させた。
『こっちにも来ている。至急、救援を求む』
「できるわけがないだろう!そっちに護衛を寄越したせいで、こっちの本陣は一人だぞ!」
僧兵が本陣の布を斧で引き裂いた。分厚い布が引き裂かれる激しい音が辺りに響き、血眼の剃髪が顔を覗かせる。連隊長は彼の脳天を目掛けて発砲する。白目を向いて倒れる僧兵を蹴飛ばして、続々と僧兵が本陣へ侵入する。
斧、連接棒、斧槍など、柄の長い近接兵器が連隊長を取り囲んでいる。
「気配を消すのはどうやっているのでしょうか。よほど鍛錬したのでしょう」
連隊長は武器を構えたまま構える。僧兵達は目配せをしながら答えた。
「伊達に長く生きては居りません」
目を細め、僧兵達の動きを観察する。同時に攻撃されれば、全員を撃ち倒すことは出来そうにない。彼は腰に帯びたナイフの位置を確かめた。
「死をも恐れぬ信仰心、尊敬に値します」
「有難う。ですが貴方がたは涜神者ですから、我々に下らなければ私達は手を下さなければなりません」
「申し訳ありませんが、それは出来かねます。祖国に殺されてしまう」
「それは、残念だ!」
僧兵は一斉に距離を詰める。連隊長はナイフを抜き、応戦する。斧はかわし、斧槍を受け流す。連接棒の殴打は腕や脚でもろに受けたが、振るったナイフで動脈を切りつけた。
周囲に迫る歴戦の攻撃は、どのような近代兵器よりも激しく彼を痛めつける。ほんの一瞬で腕や脚は打撲痕だらけになったが、切り傷は殆ど受けずに距離をとった。
すかさず迫る僧兵を、一人ずつ発砲して処理していく。『応援求む』という無線機から漏れ出す言葉は、勿論汲み取る余裕もない。
侵入した僧兵を何とか無力化すると、連隊長は息を切らせながら彼らにとどめの一撃を撃っていく。最後の敵にとどめを刺し終えると、彼は両腕をだらんと垂らし、その場に座り込んだ。
「指示を……」
彼は青く腫れあがった腕で無線機を掴み、それを口元に運ぶ。激しい息切れを起こしたまま、無線機に細い声を流した。
「俺は大丈夫だ!そのまま進め、アビスを落とせ!」
それだけ伝えると、彼は無線機を持ったまま腕を落とし、その場に倒れこんだ。
丘陵を下る半ばから、雄々しい軍歌の演奏が響き渡った。