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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1903年
133/361

‐‐1903年春の第一月第一週、カペル王国、デフィネル宮3‐‐

 レノー・ディ・ウァローにとって直近の課題は、王国の存続である。わからず屋のアンリ王は、彼の危機感に全く気付いていなかった。


 王国の統治を守るためには、伝統的に強力な魔術師の王が必要であること、その為にナルボヌ王家は不十分であることは明白であった。ただでさえデフィネル朝はカペル朝の血統よりも魔術師の格式が低いのである。これ以上の混血は、王国の混乱を招きかねない。


 しかも、プロアニアへの徹底抗戦の姿勢は、敗戦が濃厚になった今では、レノー自身に身の危険を感じさせる。王国最高の権威よりも、プロアニアへの接近を本気で考えなければならないのではないか。彼は内心そう考えていた。


 魔術不能の国から招かれた皇太孫とすれ違う。礼儀正しい彼は、レノーに丁寧な礼を返した。彼もまた、王政崩壊の不安材料ではある。とにかく自分の血統をどこかに混ぜなければ、脆弱な王朝がますます衰弱してしまう。


「レノー閣下」


 先程すれ違ったばかりのフェルディナンドが、レノーに声をかける。レノーは丁度考えていた裏切りを感づかれたように思い、声を裏返らせて立ち止まった。


「はい、フェルディナンド殿下。本日はお早いお目覚めですね」


 彼は努めて笑顔を作る。春風が、レースのカーテンを波打たせている。笑顔のフェルディナンドは、戸惑うようなそぶりを見せながら、レノーにと向かい合う。怪訝に思った彼は、思わず眉を顰めた。


「な、何か?」


「その……。ヴィロング要塞の件で、少し、思うところがありまして」


 レノーは疑り深く眉根を吊り上げた。多くの話題のうち、現在最もセンシティブな話題である。彼は手を後ろに組み、言葉を促した。


「どのように思われたのですか?」


「はい。単刀直入に申し上げて、現状の戦力で勝利するのは困難ではないかと」


「確かに厳しい戦いではございますが、まだまだ諦めるのは早いかと」


 レノーも内心では頷きたくなるのを堪える。戦況は困難だが、こうした事態は和平を結ぶ直前まで責任を負わされないように内密に進めるべきである。


 晴れた空に一羽の蝶が飛んでいる。蝶は窓の付近まで近づくと、光を受けて輝く蜘蛛の糸に絡めとられた。纏わりつく糸を振り払おうともがく蝶に向かって、八本足を俊敏に動かし、蜘蛛が近寄って来る。蜘蛛は暴れる蝶をじっと見つめている。


「……。そこで、聡明なレノー閣下のご意見をお聞かせください。うまくプロアニアの資源を枯渇させ、和平に運ぶ道があれば、それが最も王国にとって有利な結末ではないかと考えております」


 フェルディナンドは不安げに視線を逸らし、腕を摩る。レノーはその仕草に、子供特有の、他意のない不安の暴露を読み取った。

 皇太孫殿下は国王アンリよりもはるかに聡明で思慮深い人物だということも、短い会話から容易に感じ取れた。


 ‐‐自身が実権を握るために、フェルディナンドは使えるかもしれない‐‐


 瞬時に状況を把握したレノーは、不安げな少年の肩を叩く。うまくいけば、少年を王として擁立し、カペル王国の安泰へと導くことが出来るかもしれない。既に彼の脳裏には、明確な祖国復活のヴィジョンが浮かんでいた。


「フェルディナンド様、実を申し上げますと、私も同じ意見でございます。戦争の長期化は避けられぬ枯渇と飢えへと双方を導くことでしょう。貴国の……いえ、エストーラでの犬狩りの成功、ヴィロング要塞からの略奪の失敗は、前線のプロアニア兵士にとって大きな打撃となっているはず。何としてもこれ以上の侵攻を食い止めることが、我が国の再興に繋がるはずです」


 レノーは優しく彼に語り掛ける。暴れ疲れた蝶に向けて、蜘蛛の毒牙が迫る。最後の力を振り絞った蝶だが、外顎で腹を貫かれると、身をのけぞらせて痙攣した。


 レノーは、必要な条件を整理していく。一つ、アンリ王からフェルディナンドへと、王位を譲渡すること。一つ、フェルディナンドに嫡男なく、可能ならば嫡子が女性であり、エストーラ朝を一代で断絶させること、一つ、彼にウァロー家への王位継承権を認めさせること。

 これらの条件を満たすために、レノーはフェルディナンドへの態度を改めて友好的なものとする必要があると悟った。敵意のないことを、彼に理解してもらう必要があるのだ。御しやすい無垢な少年など、レノーの手にかかれば容易に懐柔できる。


 フェルディナンドは顔を上げ、まだ澄んだ瞳でレノーを見上げる。以前と比べれば、首の角度は苦しくなさそうではある。


「幸い、カペル王国は食糧難に陥っていません。プロアニアがウネッザを攻撃してくれたことが、却ってよい方向に働いている。レノー様、もしプロアニアの勢いを止められず、次の侵攻が成功したならば、その時は都市ごと焼き払って頂けますね?」


「……はい?」


 レノーは思わず間抜けな声で聞き直す。少年はいざという時のために、国土の破壊を推奨するというのか?彼は慌てて彼を諫める。


「フェルディナンド様、落ち着いて下さい。恐らく次にプロアニアが集中的な攻撃を仕掛けるのはアビス、あの、教皇庁のあるアビスです」


「そうですね。もてるだけの至宝と食料だけを持って、都市と近郊部を焼き払わなければ、プロアニアに資源を与える結果となってしまいます。そうなれば、カペル王国に明日はありません」


 レノーは脂汗をかいた。掌もじっとりと湿っている。

 少年の目は輝いていた。思わず唾を飲み込む。恐ろしいことに、この少年は既に覚悟を決めていた。


 文化と芸術の都から来たフェルディナンドが、アビス教皇庁の価値を知らない筈はない。アビスを取られれば王国の文化が損なわれると覚悟して延命せよと、暗にレノーに命令しているのである。その上、彼は初めにアビスを名指ししたわけではない。つまり、その他の都市、レノーからすれば生家ウァロー家の膝下である、ル・シャズーも例外ではないということである。もし、カペル王国を裏切ったらどうなるのか……レノーは年甲斐もなく恐れおののいた。

 レノーは屈辱に唇を噛み締める。懐柔しようとした皇太孫に、逆に脅され、従わされるという屈辱。しかも、名目上は彼に賛同をする言質まで取られている。まだ純朴そうな瞳に、忌々しい商売女の瞳が重なった。


「えぇ。きっと、そうなることでしょう。そうならないように、何としても死守せねばなりません」


「絶対に守りましょう。レノー閣下を信用していますよ!」


 少年は目を輝かせて笑う。やがて動かなくなった蝶を、蜘蛛は糸で囲いながら啄む。


 レノーは全身が総毛立つのを感じた。


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