‐‐1902年、次代への総括‐‐
1914年、サライェボの銃声と共に始まった第一次世界大戦では、互いに近代兵器を総動員するようになり、連合国・同盟国双方に甚大な被害をもたらした。硬直した戦線を突破するために開発された兵器の一つが、農業用トラクタを参考として作られた戦車である。戦車は、無限軌道による高い走破能力を利用して、従来の車両では困難だった凹凸の多い塹壕地帯を走破することに成功し、戦争に一つの進展を齎した。
戦車開発によって新たな突破力を得た連合国側は、さらに戦車の性能を発達させ、機動力と乗員の快適性をより充実にしていく。戦車の発明に限らず、人類史上類を見ない程の戦争の惨禍は、新たな技術の開発に貢献を続ける。やがて人類の友となる飛行機は、戦間期の黄金時代には、象徴的な存在にもなった。
技術は多くの欲望の裏返しである。同様に、あらゆる政治思想が、数多の犠牲の上に、個々の人類の欲望を満たしていくことは、決して珍しいことではない。かつて人類が直面した第二の世界大戦、その端緒となったのは、当時『世界で最も民主的』と謳われたワイマール共和国であった。アドルフ・ヒトラー率いるドイツ社会主義労働者党が実権を握ると、彼らは全権委任法を成立させ、実質的に実権を自己に集中させることに成功した。やがて彼らが自国内で『解決を図った』問題については、最早語る必要もないだろう。
状況を纏めてみたい。西部戦線では、戦車の開発により、戦争が新たな局面を迎える。塹壕と弓矢、魔術では破壊しきれない巨大な戦車の群れは、強固なヴィロング要塞を包囲し、平原での酸鼻極まる戦闘を終結させた。
一方、補給路を断たれたエストーラでは、自国民の生存を賭して、この戦争において始めて略奪を伴う侵略行為を推進した。しかし、自国の困窮を挽回するために必要な略奪をきっかけとして、ムスコール大公国では反エストーラの機運が最高潮に達していた。やがて彼らは、その矛先をコボルト達に向ける。正規の立法手順を取りながら、大福祉国家は、致命的な人権侵害へと舵を切っていく。
さて、そろそろ時間を進めることにしよう。次の年は、硬直状態から一転、攻勢に振り切ったプロアニアによる大躍進から始まる。厳しい冬の季節を過ぎ、雪解け水と暖かな春の日差しと共に、西部戦線は徐々にその硬直した戦線をほぐしていき、プロアニア優位に戦局は進んでいく。
歴史は過ぎ去った現実、拭い去ることの出来ない不可逆的な過去の累積である。永遠に名を刻まれるのは、果たしてどのような国であるべきか。私達は再び、各自の持つ色眼鏡を掛け、物語を追いかけていくこととしよう。
何故なら、その結論を導くのは、他ならぬ私達個人なのだから。
1902年
主な出来事
プロアニア、対塹壕用兵器『PANTHER-1』を開発、ヴィロングの戦いに導入
エストーラ領ウネッザ、本国への一時避難により無人化、プロアニア海軍により占領
エストーラ、コボルト騎兵軍のスエーツ山脈越境を開始(犬狩り)
ムスコール大公国、コボルト奴隷の強制収用を開始
カペル王国のヴィロング塹壕が壊滅、カペル王国内へのプロアニア軍侵攻が開始