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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1902年
127/361

‐‐●1902年冬の第三月第三週、カペル王国‐プロアニア国境、ヴィロング要塞1‐‐

 もしも地獄があるのなら、この地上をこそそう呼ぶべきだ


 穴ぼこだらけの地表には最早草花の蕾も見られぬ 焼けて爛れた煤の跡


 鉄条網の埋まった 塹壕の下には肥えた鼠


 もしも地獄があるのなら、これより幾らかマシだろう


 命の残り香は耐え難く、集る蠅さえ愛おしい


 崩れた壁の石片が、空と地面に転がって


 命の蕾も圧し潰す、芋虫の群れがぞろぞろ迫る


 もしも地獄があるのなら、カペラよそこに、連れていけ


 地上の遍く命さえ、憎むべきほどの苦しみを


 断ち切ることさえ、神は許さじ



 ヴィロング要塞の周辺には、破損した戦車が煙を濛々と上げて集っている。

 後続の戦車部隊が次々と壊れた戦車を盾にして現れる。至る所に塹壕が設けられた凄惨な草原地帯の守りも、キャタピラの走破性能の前では全く役に立たなかった。


 均衡を保っていた戦死者数は一気にカペル王国が上回るようになった。戦車の強固な守りの後ろで、歩兵達は列をなして進むだけで良かったのである。


 戦車が破壊されても、背後の歩兵が前進をやめて後続の戦車や隣の戦車の後列に回るだけで、被害を最小限に抑えられる。地下からの強力な魔法も、直撃を避けられれば戦車はよく耐えた。


 当然、急上昇する弓矢では対処できず、塹壕の土諸共キャタピラの餌食となる者も少なくない。数年かけて築き上げた強固で複雑な蛇の腹も、無慈悲な装甲戦車を前にしてはなす術もない。


 ヴィロング要塞の古いタレットにある狭間から、マルタンは迫り来る戦車の大行進を眺めた。


「うぅぅん、まずいな。これは」


 彼が呟くと、要塞に帰投した兵士達は顔面蒼白となった顔を見合わせる。生気のない戦士たちは、暢気にナッツを食べるマルタンのことを訝しみ、自分の命の終わりを嘆いた。


 ナッツを口の中一杯に放り込み、頬袋のように頬を膨らませ、豪快に噛み砕く。

 やがて彼は「よし」と小さく呟くと、集った兵士達に向かって笑顔を向けた。


「よし、諸君らはお疲れ様だ!ひとまずアビスに帰還命令を下す!」


 一瞬、籠城戦を覚悟した兵士達が呆気にとられる。彼らは武器を持ったまましばらく硬直し、慌てた様子で身振りを交えてマルタンに迫った。


「え、ちょっとマルタン様?ヴィロング要塞が落ちればもはや歯止めが効かなくなるのでは……!」


「ベテランの精鋭と、この古く防衛困難な要塞とならば、私は胸を張ってベテランの精鋭が重要だといえる。ここの足止めは任せなさい。元よりそれが城主の仕事だ!」


 戦士たちは戸惑い、顔を見合わせる。戦車は少しずつヴィロング要塞へとにじり寄って来る。やがてはこの城を包囲してしまうだろう。戦士たちは迫り来る戦車と、マルタンの顔を交互に見る。意を決した一人が叫んだ。


「有難うございます、マルタン様!ご武運を!」


 彼が駆けだすのに倣って、一般兵が次々と城外へと飛び出していく。タレットの螺旋階段を駆け下りるけたたましい音が響き渡る。


 マルタンは静かに踵を返し、外の様子を狭間から覗き見る。戦車はじりじりと城壁との距離を詰め、定期的に砲火を浴びせてくる。魔術のごとき近代兵器の前に、城壁は殆ど無力も同然であった。


 マルタンはナッツを噛み砕く。城内はすっかり静寂に包まれ、代わりにプロアニアの戦車が騒々しく城の周囲へと分散し始める。荒涼とした草原に、平らな獣道が広がっていく。


「……さてと。十分に近づいたと見える」


 マルタンは手についたナッツの脂を服の裾で拭う。突き出た腹に纏った鎧が、歪に光を反射した。


「……戦車は少々堅そうだが、歩兵ならば柔らかかろう。俺はこう見えても陰湿なのでね」


 戦車の背後にいる歩兵達が、構わず前進する戦車に後れを取り始める。規則正しく前進する兵士の中には、前方の兵士に衝突するものも現れた。


 マルタンは手に持つ袋を探る。一粒のナッツを取り出すと、それをゆっくりと口へと運び、前歯で思い切り噛み砕いた。


 瞬間、歩みを止めていた兵士達が背後から徐々に距離を詰めていく。宛ら何かに押し出されるように、前方の兵士から隊列が崩れ、それらにのしかかる様に後方の兵士が転がっていく。


 戦車は構わずに城壁に砲火を浴びせている。城壁は次々に剥がれ落ち、倒壊した瓦礫が時には味方の戦車すら圧し潰した。それでも、彼らは「規則正しく」攻撃を続行する。


 やがて限界を迎えた歩兵達は、坂道から塔のように高くまで押し込まれる。前方に血溜まりが溜まっていく。


「ここで潰せるだけ潰しておけば、コストにメリットが見合わぬようにもできるだろう」


 マルタンは再び、戦車の背後にある空間に潜む兵士達を睨みつける。彼がナッツ一粒を舐めまわすように嗜むと、安全圏に身を潜めていた兵士達が次々と迫り来る何かによって前方へと押し込まれ、尻もちをついては転がった。


 また一つ、巨大な城壁が倒壊する。残存した要塞も先端から罅割れ、今にも崩壊寸前であった。


 地下に籠っていた騎士たちがタレットを昇りながら叫ぶ。


「マルタン様。穀物庫への放火、完了いたしました」


「御苦労!もう帰還して良いぞ!」


 そう言うと、階下からは階段が揺れるほどの激しい振動が起こった。そして、城壁の内部にある幾つかの塔から、どす黒い煙が立ち込め始めた。


「何も得させやしないさ。俺は最期まで陰湿なんでね」


 戦車は背後の惨劇に構わず進軍を果たす。やがて倒壊した城壁を這い上がるように、戦車が一台、また一台と、城内へと侵入を始めた。


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