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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1902年
125/361

‐‐1902年冬の第三月第二週、ムスコール大公国、タイガ地方‐‐

 針葉樹林が生い茂る深い森の中を、蒸気機関車が風を切って走る。貨物駅に降り立った人々は、新たに森の方へと設けられた線路の上を歩んでいく。深く積もった雪が、長靴の形を立体的に写し取った。


 ムスコール大公国の中でも、人間の活動限界と目される険しいタイガ地方は、降りやむことのない激しい吹雪と、苔と見るからに刺々しい針葉樹といった植物だけに満たされており、原住民との毛皮取引などに利用される以外には、殆ど誰一人利用するものがいない。同国の険しい自然を象徴するこの地では、人の睫は数分の静止で雪が積もり、毛先は凍り付き、呼吸をするたびに肺が痛むほどである。この地に大量の暖で囲い、さらに風雪から身を守る背の低い塀で囲われた施設が設けられた。


 議会の法案に対して一定の発言権を持つ弾劾権を持った裁判官たち‐‐その多くは商人や職人の家系から大学において法学を学んだ有力者である‐‐の提案によって、出来る限り人の目に付かない場所に設けられたそれは、分厚い塀の内側に、さらに鉄条網と二つの門扉を与えられた堅牢な作りとなっている。分厚い塀から突き出た受付には、二人の武装した警備員がおり、これも二つある門扉それぞれに設けられていた。歩んできた人々が労働者証明書を見せると、警備員は彼らに敬礼をし、門を開ける。貨物駅から連結を外され、新たに動力と連結された車両が、彼らの後に続いて内部へ入っていく。その機関車の中には、大量の資材が詰め込まれていた。


 険しい横殴りの吹雪をいくらかは緩和してくれる分厚い塀に守られながら、薄い壁の長い建造物が幾つか建ち並んでいる。最後の一つは未完成であり、労働者らは先ず機関車によって運ばれた建材をこの建物の前へと運ぶ。彼らは資材を担ぎながら、踏み固められた雪の上を慣れた足さばきで進む。急ピッチで進められた施工をいよいよ終える算段が整い、この過酷な環境から解放されることに幸福を感じていた。


「しかし、こんな薄い壁で大丈夫なのかね」


「コボルトは体毛も濃いし、大丈夫なんじゃないの?」


 施工主の意向など、末端の職人には関係がない。彼らはラジオを流し聞きするが、わざわざ望んでその話題を聞きに行くほどの興味もなかった。


「息子が、この法案は危険だって言ってたな」


 建材を運び終え、命綱と安全帽を被った男が、工具を持ち上げて呟いた。


「お前の息子は大学通ってるもんな。それで、何が危険なんだ?」


 彼らは除雪作業に取り掛かる。背の高い建物ではなかったが、先ずは雪を取り除かなければ作業に取り掛かることが出来ない。若手から率先して雪かきをはじめ、熟練の職人たちはのんびりと工具の整理を進めている。


「コボルトの陰謀という不確かな風説に基づいて、倫理上問題のある法案を通すと、その対象が拡大していったときに歯止めが利かなくなるってよ」


 雪かきを持ち寄った彼らは、若手に混ざって雪下ろしを始める。激しく吹雪くことが日常的なこの近辺では、凍てつく風が高く鳴る中でも、作業が優先された。


「あれだろ、嫌いな上司を一人ずつ潰していったら、最後にはすべての上司がいなくなるってことだろ」


「はははっ、違いねぇ!」


 彼らは今日の昼食のこと、昼間の寒さのこと、新式懐炉の話などを片手間に続けながら、作業を中断する昼過ぎまでに、建物の大部分を完成させた。


 交代で暖を取りながら休憩をしていた彼らが、昼休みに屋根付きの休憩施設で焚火を囲う。彼らはタイガ特有の食材である、海獣の生肉を広げて胡坐をかいた。


「しっかし、吹雪くよなぁ」


「仕事が進まねぇ。勘弁してくれよ」


「こう寒いと飯も凍っちまうよな」


 寒さを和らげる背の低い塀に囲まれているとはいえ、横殴りの吹雪は囲いの中に十分侵犯してくる。中央まで進めばもはや恩恵はない程度には、その建造物群は巨大な敷地を有していた。


「コボルト共はここで働くんだろう?気の毒だねぇ」


「俺たちも働いているけど?」


 海獣の肉を咀嚼しながら、彼らは会話を続ける。心なしか激しくなった風の音に、自然と声は大きくなっていた。


「ここに住むのは御免だろ」


「まぁな」


 大工たちは暖で温めた白湯を片手に建物群を見る。薄く心許ない壁、剥き出しで扉のない建物の中には、簡素な藁が敷き詰められている。


「厩舎みたいだよな」


「競馬が趣味だからか?」


「違う!」と否定する男を囲んで、小さな笑いが起こる。焚火がバチン、と音を立て、彼らの赤く染まった頬に感覚が戻っていく。


「あの上で冷めた飯を食うんだろ?雑魚寝をするんだろ?俺は御免だぜ」


「コボルトじゃなくて、良かったなぁ」


 高齢の大工がしみじみと呟く。彼が熱い白湯を完全に飲み干し、海獣の肉を平らげた指先を払うと、ほかの大工たちも立ち上がった。


「それじゃ、もう一仕事、しますか」


「はーい」


 間延びした暢気な声が響く。一同は重い腰を上げ、名残惜しむように焚火を見つめながら、最後の仕上げに取り掛かった。


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