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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1902年
122/361

‐‐1902年冬の第一月第三週、ムスコール大公国、サンクト・ムスコールブルク3‐‐

 ムスコールブルクの低い空に、プラカードを高く掲げる人の群れが連なる。見慣れた光景に民衆も驚くことはなく、人々はこの国特有の低い空の下で、日常の営みに没頭していた。


 シリヴェストールは車のエンジンをかける。二回誤作動を起こしたエンジンは、三度目でようやく息を吹き返す。停車のギアをリズミカルに動かせば、車両はエンジンをふかしながら街路へと発進する。


 大衆の行進を避け、狭い路地裏でアクセルを踏む。心臓の鼓動が、闇の中に浮かび上がる貧民たちの顔とすれ違うたびに加速していく。

 大通りに登場した車両は、石畳の段差に激しく車体を揺すられながら、左折をする。

 資本家の男とすれ違い様に、彼は普段であれば気にも留めないそれの顔を目にする。思わず踏んだブレーキによって、雪を巻き上げる馬車が急停車する。御者台の男が不快そうに運転席を覗き込んでくる。彼は慌ててギアを変えながら、車道へと入っていった。


 これからの世代のために、雇用の再創出は必要不可欠な経済政策であった。銀行への特別措置としての補填、倒産した大企業への義援金だけでは、中産市民への補償が不十分となる。何より、ムスコール大公国という国は、大多数の中間層に重い負担を強いることで、福祉国家の国体を維持してきたのである。その数を増やすことこそが、現在の危難を解決するために必要な政策であった。


 国家予算が危機的な状況にある現在、雇用を意図的に増やし、中間層を増やし、税収を増やす魔法のような方法があると、ヴィルヘルムは暗に提案した。それは両国の国民に理解が得られる方法であるとも。シリヴェストールはアクセルを踏み込み、国会議事堂に続く長い道を一気に駆けていく。凍てつく空気が彼の頬にぶつかる。車両は宮殿の敷地へと入り、雪化粧をした、庭園の芝生に駐車する。


 彼の心臓は運転中ずっと高鳴っていた。それは人道に悖る行為であるというのも、彼なりに自覚を持っていたからである。何より、脳裏を過る「処刑」の2文字が、より間近に迫っているこの2文字が、決定的なものになるのではないか、という懸念があった。


 彼は議事堂には向かわずに、議員宿舎へと向かう。胸ポケットに入れた計画書が心臓を強く押さえつける。


 彼は公共の通信施設に入ると、光沢を湛える電話機を見おろす。彼は計画書を開くと、深い溜息を吐き、呼吸を整えた。


 一度咳き込み、声色を低くくぐもったものに装う。


 慎重に事を運ばなければならない。もし取り込むのであれば、第一に愛国主義的なマスメディアである。受話器を手に取り、通信局に繋ぐ。非通知で通信局に相手の番号を伝えると、彼は即座に電話を取った編集者に対して、彼は先程の誰とも判別がつかない声で応じた。


「……実は、私は議員なのですが、即座に国民に伝えなければならない事件が起こりまして……それに相応しい出版社は貴社しかいないと感じ……宰相閣下への報告に先んじて、ご報告させていただきます。……情報の正確性を担保するために、匿名のリークでお願いいたします。命の危険も……ありますので」


 もう戻れないと悟った。こうして子細な情報をつらつらと述べると、その情報元となる文書を、編集局に送付することを確約して受話器を置いた。


 脂汗が頬を伝い、足元に滴り落ちる。彼は計画書と共に渡された南方式の公文書を開く。羊皮紙をスクロールに丸め、濃いインクで細かく文字を書き込んだもので、最後に幾何学的なサインと国章の捺印がされている。


 彼は徐にこれを開くと、この文書をタイプライターで打ち込んだ。

 リーク情報をコピーしたものを添付し、公文書をシリヴェストールが持つ。これ以上の信憑性があるだろうか?

 彼は出所が分からないようにタイプライターの端正な文字で一字一句違わず、慎重に目を細めていく。


(確かに、よく出来ている。十分に雇用を創出できる……)


 彼はタイプライターを激しく打ちながら、その計画が国家を救うヴィジョンを想像した。

 彼は幾何学的なサインを打ち終えると、これを封書にし、出版社へと送付する。手配を整えた彼は、幾らか心持ち穏やかになり、だらしなく腰かけに腰を下ろして、満足げに息を吐いた。

 分厚い曇が、低い城壁の彼方まで空を覆っている。


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