‐‐1902年夏の第三月第一週、旧エストーラ領ウネッザ‐‐
ラルフは、占領地を隈なく探索した水兵たちの報告を、一言一句漏らさずにタイプライターで叩く。ここに島民は既にいないこと、型落ちの巡洋艦数隻が、造船所アルセナーレで発見されたこと、そして空を飛ぶ飛行体についてなど、雑多な情報を箇条書きに打ち込んでいく。
ピンク色の壁を持つ、鮮やかな旧元首官邸から望むことのできる海面のきらめきと、高い空に吹く風のコントラストは、浮かない表情のラルフの心も多少なりとも和らげてくれる。慰め程度のものではあったが、この煌めく海原の景観だけで、ヴィルヘルムが満足してくれないだろうか、などと、彼は冗談交じりの妄想をしていた。
進まないタイプライターの記録の中に、一文、『かの名高きパレッツォ・ドゥカーレ宮殿からの景観はとても善い。世界の七割を手に入れたような気分である』などと認める。彼は消すのも億劫となり、報告書に手遊びで入れたこの一文を残したまま、残りの報告に着手した。
海上のラグーナ、葦の原、海洋都市国家の盟主、かつてウネッザにつけられた異名の数々に相応しく、色彩豊かな街路の外壁や、美しい外海からの白色の眺め、そこに映えるピンク色の旧元首官邸はラルフと水兵たちを大いに元気づけた。旧元首官邸の宴会場では、水兵たちがどんちゃん騒ぎをしているに違いない。疲れて眠ってしまった者を介抱するのも、ラルフの大事な仕事であった。
彼は懐中時計を確認する。ヴィロング要塞の熱戦に比べて、この包囲戦はあまりにも短い。エストーラの海軍相である、あのいけ好かないウネッザ人が、弱腰で交信を試みてきたことは、彼にとって渡りに船ではあった。
無人島となったウネッザに価値はない。どちらかと言えば、ラルフと水兵がここに駐屯することに意味がある。ベリザリオはそれを理解していて、両軍に人的損耗のない、あまりにも呆気ない講和を持ちかけてきたのである。
「これでは、本当にこちらが侵略者ではないか……」
夏虫の鳴き声が外壁に染みわたる。大運河に停泊した潜水艦が水面から顔を半分覗かせてこちらを窺っている。ラルフは深い溜息を吐き、新たな紙をタイプライターにセットする。
彼には、ヴィロング要塞での勲の方が性に合っていたのである。ベリザリオによる大人の対応を呑んだのも、この商人気質が簡単にウネッザ人、つまりは一般人を餓死させる方を選べるからというのもある。それについては、彼の矜持が許さなかった。とどのつまり、ラルフはベリザリオの口車にまんまと乗せられたのである。
目的を果たしたにもかかわらず、敗北感を拭えず、彼はひたすら報告書に打ち込みを続ける。
奪った資源はそれなりに使えるだろう云々と、回収した資源の量をつらつらと列挙する。鉄資源がそれなりにあるのは幸いであった。香辛料も土産物としては喜ばれる。少なくとも、贅沢をする分にはいい資源を収奪できたのである。
そこで、彼は再び頭を抱えた。無抵抗の一般人から、資源を奪い、犠牲を要求した。水兵たちの面子も考えて、彼らを騙しながら攻撃を促したというのも、彼の矜持を悉く穢した。
「この作戦に義があるとは、到底思えません」
じじじ、と夏虫が彼を責め立てるように激しく鳴いている。
短い沈黙の末、彼は自らの不甲斐なさに思わず机を叩く。机上に置いた濃いコーヒーが倒れ、滝のように腿を濡らす。水兵たちと揃えた制服に、黒い染みが広がっていく。
わだつみが空の暗い群青を映している。時には凪ぎ、時には波打つ荒々しいウネッザの海は、今は星月のない絶望の色をしていた。
それは彼にとって、実に機嫌よく空を映していたわだつみが、沈思した末の心を映すような無表情をしたように思われた。
彼は顔を手で擦り、指先に乗せて最後の一言を添えた。
『カイゼル、どうかわだつみの表情を見てくれませんか。報告書なるものでは、我が軍の現状は伝えきれません』