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鉄塔のアエネイス  作者: 民間人。
1902年
110/361

‐‐●1902年夏の第二月第一週、エストーラ、ウネッザ‐‐

 水平線に朝焼けが昇る中で、プロペラの回転音が無数に響く。揺蕩う陽炎の中、真っすぐに、訓練された操縦士たちは、聖マッキオ広場に次々と着陸する。広場の中では海の男たちが両手を振って、魚群のような飛行機の群れを出迎えた。


 海上はもはやもぬけの殻である。かつて忙しなく往来した大ガレーは全て煮炊きの燃料として処分し、完成された模造宝石などの交易品は店頭に陳列されたまま沈黙している。女子供は既に定期便で本土に保護され、アルセナーレの造船技術者や学者も保護が完了し、残るは屈強な海の男達だけであった。


 操縦士たちは到着すると、皮の帽子までゴーグルを持ち上げ、姿勢を正して敬礼をする。海の男達もぎこちなく同じ仕草をとった。

 操縦士たちが点呼をとる。保護した者の名前を一つずつ消していくと、彼らはその用紙を全て纏め、同席した海相に手渡した。


「ウネッザ市民として登録された臣民はこれで恐らく全員かと思われます」


 ベリザリオは首筋を伝う汗をタオルで拭い、名簿を捲る。紙面には「保護」の欄と「死亡」、「消息不明」の各欄にレ点が一人ずつ記されている。ベリザリオは死亡・行方不明者の数と生存者の数を合計欄で確認し、操縦士に敬礼を返す。彼らは姿勢を正してそれに応じると、駆け足で操縦席へと向かった。


 全員の搭乗を確認したベリザリオは、海と本島とを繋ぐ大運河の入り江を一瞥する。凪いだ海がさざめき小さく波打っている。


「閣下、参りましょう」


「あぁ、そうでしたね」


 ベリザリオは徐に飛行機に搭乗する。彼は水底を気にかけながら、プロペラのけたたましい呻きを聞くともなく聞いていた。


 彼が視線を前方に向けると、プロペラはその残像だけを置き、背景の中に薄く色を映していた。聖マッキオ広場の狭い陸地の上を、殆ど海面すれすれに走行した三台の飛行機が、建物の屋根をなぞるようにして上昇する。そうした危険な離陸を終えた飛行機が、ウネッザの広場彼方此方から顔を出した。


 海原は徐々に視界の下方を埋め始める。飛行機の群れが、規則正しく横一列に並び太陽の昇る方へと向かっていく。


 そして、海上に不気味な暗い影が浮かび上がる。ベリザリオはそれを確認すると、朝焼けの空に再び視線を戻し、見慣れた職場に向けて目を細めた。


「『故郷はなく、ただ異郷があるのみ』とは、よく言ったものだね」


 操縦席から出た革の帽子が僅かに動いた。海底から浮かび上がった不気味な潜水艦は、大運河の入り江に向けて慎重に前進する。視界の外れで動くそれは、ベリザリオが久しぶりに見た、故郷の海を征く船であった。


「ラルフ閣下が聞き分けのよいお方で本当によかった」


 彼は遠ざかる故郷を背にして呟く。操縦士がこくり、と一つ頷いた。


 皇帝きっての願いで故郷を売るのは心外ではあったが、潜水艦も未開発で、戦艦の性能も圧倒的に劣っているエストーラには、妥協するよりほかにはなかった。もし仮に、大規模な海軍力を導入されたならば、何とか高度を維持して飛行できる飛行機であっても、容赦なく撃ち落されてしまうだろう。自分の功績に泥を塗るというわけではないが、それだけは絶対に避けなければならなかった。


 彼の故郷を、不気味な楕円の球体が包囲する。球体の蓋を開き、水兵たちの晴れやかな表情が現れる。彼らがウネッザに上陸すると、最後に上陸するラルフの浮かない表情が潜水艦から現れた。


 抱き合い喜ぶ彼らの間で、軍の将は作り笑いをする。普段から物事の表裏を突き詰めるベリザリオには、海の男・ラルフの表情はあまりに素直だった。


「君は、今の仕事に、誇りを持っていますか?」


 ベリザリオは眼下の光景を見つめながら尋ねる。操縦士は操縦桿を握ったまま小さく唸ると、自嘲気味に笑って答えた。


「誇りを持つも何も、任された仕事をこなすだけですよ。それが英雄なんて持て囃されて、おかしいですよね!」


 ベリザリオが口の端で笑う。空を横一線に広がる飛行機の群れが、白い太陽の光を受けて輝いていた。


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