‐‐●1902年春の第三月第二週、カペル・プロアニア国境、ヴィロング平原‐‐
「おぉ、凄い、これは頑丈そのものだ!」
第一騎兵連隊の精鋭たちは、合流した第二歩兵連隊に見せびらかすように、新兵器の前で自慢げな歓声を上げた。
連隊長は真新しい軍服を着た騎兵連隊の連中を冷徹に観察しながら、その背後にある兵器に眉根を吊り上げる。
「歩兵連隊長殿も、隣に女を連れているとは余裕のあることですねぇ」
騎兵連隊の一人が厭味ったらしい笑みで言う。連隊長の隣には、轡を外されたマリーがしおらしい表情で控えていた。
「彼女も大切な隊の一員です。何もお遊びで連れているわけではありませんよ」
「ははぁ、どうだか」
由緒ある騎兵達の間でせせら笑う声がする。ここに至れば同じ穴の狢と、そう簡単にはいかなかった。
彼らの布陣はずっと後方まで後退していた。ヴィロング要塞は米粒ほどの大きさで遠景に佇むだけで、あとはひたすらに草原地帯が続いている。彼らの前方には草原の中を這いまわりながら身を隠す歩兵達がおり、寄せ集めから成り上がった精鋭たちは、最早立つのも覚束ない様子で目を赤くして帰還の指示を待っている。
それに引き換え、連隊長と向かい合う騎兵連隊の兵士達は、汚れ一つない昔ながらの赤い軍服を身に纏い、襟を立て、銀色の縁取りをぎらつかせながら胸を張っている。
その真っ赤な軍服が、屈強な胸板を強調しながら、痩せ細り、襤褸雑巾のような汚れた黄土色の軍服の肩を叩いた。
「まぁ、連隊長殿もよく頑張りましたな。我々が来ればもう安心です」
勝ち誇ったような言葉を残して、騎兵隊たちは連隊長の掛け声に従って持ち場につく。間もなく攻撃の再開を告げる鼓笛隊の奏楽が響く。
連隊長は風の吹く方向へ向いて、米粒大のヴィロング要塞に目を細める。ところどころにある草の隙間から、鉄製の兜が鈍く輝いている。
「あの態度は何様?前線の様子も知らない癖に」
マリーが低い声で耳打ちをする。右肩にかかる細い指に、汚れた革グローブの手が重なる。
「彼らも陛下の采配に誇りを傷つけられたのでしょう。仲間割れを避けるためにも、おだてておくのが順当ですよ」
「騎兵は戦場の華である」と言う古い時代の風習は、近代国家プロアニアでもなかなか抜けることはなかった。国王ヴィルヘルムは、旧時代の習慣にあっさりと見切りをつけるように、騎兵達は半ば補給部隊の役割に留めていた。実際、近代的な兵器を十分に扱う上では、従来の騎兵部隊は有効に機能しなかったのである。
「どこの国でもお偉い方はふんぞり返っているものね」
新兵器を引っ提げ満を持して戦場に登場した華は、カペル王国の兵士を蹂躙するべく着々と準備を進めている。砲台を動かして可動域を確かめたり、十分な視界をとるために潜望鏡がどの程度役立つのかを確認したりしている。こうした細かな戦車の駆動は、馬上の戦士といった憧れよりは、工兵達による地道な布陣作戦の様子に似ている。
「戦況が動くことがあれば、草原の兵士達も晴れて自由の身ですよ」
連隊長は首にかけた双眼鏡で敵の塹壕を確認する。凹凸のある中から僅かに顔や帽子の先端を出した兵士達が、草原を険しい表情で眺めている。鉄条網が生える荒涼とした地面の上を、鼠たちが窮屈そうに通っていく。
その時、本陣から鼓笛隊の勇ましい行進曲が響き渡った。
鼠がまずは逃げ出し、戦車が芋虫のような履帯を動かし始める。無限軌道が雑草を踏み倒しながら歩兵達の前方を塞ぐように布陣する。双眼鏡越しの敵兵たちが、背の低い高射砲に眉を顰める。彼らが弓を射る動作を始めた瞬間に、歩兵達の盾となった戦車の履帯が回り始める。遥か空まで至る長弓の礫が、戦車周辺にいるであろう砲兵たち目掛けて襲い掛かる。しかし、そこにいるはずの砲兵への手応えはなく、双眼鏡越しに焦る兵士達が再び弓を放つ。一方、草原からようやく立ち上がり、ゾンビのようによろめき歩く歩兵達は、前方の鉄塊が駆動する音に勇気づけられて、ビタミン剤を口に捻じ込み、歩幅を広げる。足並みの揃わないよろめく足が、徐々に感覚を取り戻し、ザック、ザックとなぎ倒された草木の間を歩き始める。
やがて戦車が機銃よりも二回りは大きい弾丸を放つ。その甲高い咆哮に、塹壕の戦士たちは身を捩じって狼狽える。尻もちを搗き、弓を構える手が震えている。
戦車は歩兵よりもやや速い速度で前進する。やがて最初の塹壕へ至る。塹壕の前方で進路を阻む鉄条網は履帯に絡めとられ、なぎ倒されると、歩兵達が足を高く上げて走り出した。先程まで遥か彼方にあった塹壕が、数センチの前進と後退を繰り返してきた戦場が、遥かなヴィロング要塞の城壁へみるみる迫っていく。それは彼らに支給された数多の薬剤よりも精神を昂らせるものであった。
草原地帯から後退するように、戦場を魔法の嵐が吹き荒れる。魔法が後退するにしたがって、歩兵達は続々と前進していく。連隊長は双眼鏡を下ろした。
「これ程とは……」
荒涼とした草原地帯に、焦げたにおいが漂う。排気ガスの懐かしいにおいが、ヴィロング要塞のごく付近へと、風に乗って運ばれていく。