‐‐1901年終幕、次代への総括‐‐
現代戦争の端緒となったのは、第一次世界大戦であると言われている。そして、この大戦に影響を与えた可能性のある、それ以前の人物を一人挙げるとすれば、私はナポレオン・ボナパルトを挙げたい。
もちろん、彼が第一次世界大戦に直接関わったわけではないが、彼は国民全体を戦争へ志向させる、有効な方法を実践していた。
それは、祖国の革命を広めるためという触れ込みと、国民軍の形成である。所謂ナポレオン戦争は、防衛戦争から拡張戦争へと向かっていくのであるが、その戦力を下支えしたのが、専門家集団である騎士階級や傭兵に代わる、「国民軍」であった。この強大で無尽蔵にも思える戦力は、少数精鋭の専門家集団を大いに苦しめ、同時に、自国の多くの労働資本を疲弊させた。
第一次世界大戦は、こうした国家全体を巻き込んだ総力戦による、国民同士の戦争となった。兵士の未熟な技術でも十分に戦争に参加できるために、多くの技術革新も利用されていくことになる。戦争に大量に投入されていく労働資本は、いずれかの陣営だけでなく、相対する陣営にも同様に消耗を強いていく。
この総力戦によって生み出された数多の犠牲は、決して戦死者だけで計ることは出来ない。戦争によって負傷したもの、シェル・ショックに代表される心身への悪影響などは、後の時代へも禍根を残していくことになる。
さて、この仮想の世界にある歴史の断片も、同様に悲惨の色を強めていく。両陣営は硬直状態の消耗戦を打開するために、自国や、或いは他国から盗取した技術を最大限に活用し、技術開発と軍事転用を試みていくことになる。
状況を簡単にまとめてみたい。カペル王国とプロアニアの一進一退の戦闘において、先に打開を試みたのはカペル王国であった。カペル王国はエストーラとの協力の下、飛行船による敵の攻撃範囲外からの強襲を試みていくことになる。旧来からの手堅い戦法を取っていたプロアニア王国は、カペル王国の新たな動きに、完全に対応することが出来なかった。飛行船は戦線を飛び越え、プロアニア本土の交通の要衝も破壊していくことになる。これまでの閉ざされた国内に張り巡らされた交通網が妨害され、前線への補給が滞るようになっていく。一方で、プロアニアはその猛攻に対抗できるだけの訓練された国民軍があった。こうして、泥沼の西方陣営は硬直状態から若干のカペル王国優位に傾く。
東部戦線では、プロアニアも同様に敵の補給路を破壊する戦略を取り始める。世界の胃袋たるカペル王国からの食糧供給を封鎖するべく、彼らは潜水艦による商船の破壊作戦を敢行する。これによって、ブリュージュ侵攻以降、嫩葉同盟の重要な補給路となっていたウネッザ経由の海路が機能を停止した。以後、エストーラ帝国は、食糧不足への不安と、ウネッザ島民の保護という二つの問題を同時に解決するために、奔走することとなる。
一方で、ムスコール大公国は熱戦に喘ぐ三ヵ国に対して、沈黙を守っていた。次の一年では、同国は責任に揺れ動く宰相下ろしの波に歯止めをかけるために、両陣営への積極的な行動を取るようになっていく。そして、それもまた、新たな禍根を残すことになるのである。
さて、戦争はますます多くの人々を巻き込んでいく。いよいよと深まっていく各国同士の溝は、最早取り返しのつかない選択へと彼ら自身を誘っていくことになるだろう。
あらゆる技術、あらゆる宣伝、あらゆる正義が戦いの進展へと向かっていく。私達は息を呑んで、再び煮えたぎる悲壮な鍋の中を俯瞰することにしよう。
決して忘れてはならない。これは、人間の物語であるということを。
主な出来事
カペル王国、国家総動員法の制定
カペル王国、魔動式飛行船サン・ド・ジルファによる空爆を開始
プロアニア、ウネッザ周辺海域で無差別攻撃を開始