‐‐1901年冬の第三月第二週、ウネッザ、アルセナーレ造船所‐‐
世界初の流れ作業による工場製造は、プロアニアではなくウネッザの国立造船所、アルセナーレで始まったとされる。軍船や警備用のガレー船のほか、商業用の帆船も手掛けてきた歴史ある工場の職人たちは、これまでに作ったことのない奇怪な船を組み立てていた。
それは、プロアニアでは一昔、或いはもっと前には利用されていたと思われる、鋼鉄製の巡洋艦である。ウネッザはアルセナーレでの蓄積された知識のお陰で、設備の上では十分に、こうした兵器を作ることが可能であった。問題は誰もがこれを使えるわけではないということと、主要な地下資源の産出国であるムスコール大公国とプロアニアが蜜月の関係にあり、地下資源が殆どウネッザに流入してこなかった点にある。その為、プロアニア・ムスコール大公国を除くほとんどの国が、多積載・遠洋航行に適した快速帆船か、人員を大量に導入できることから軍船として有用で、気候の変動に影響を受けにくいガレー船かを選択して利用してきた。
カペル王国領であるナルボヌでの初歩的な蒸気機関の開発以降、エストーラ帝国は傍受したこの技術の軍事転用の為に、様々な試作を試みてきた。その際にようやく地下資源の重要性に気づくと、ガスや石炭の採掘が始まったのである。
こうしてようやくウネッザに齎された希少な石炭資源は、先ず第一に軍船の開発の為に使われた。その試作機が有効に駆動することが確認されたのは、ごく最近のことである。
アルセナーレの職人たちは、作られた部品の機構を漠然と把握しながら、比較的スムーズにこれらの組み立て作業を物にし、既に十数隻を組み立てていた。
ウネッザ包囲から既に七か月が経過していた。海は大いに荒れ狂い、食料の供給機能も停止した。
備蓄した食料で越冬は困難に思われたが、晴れ凍みわたる冬に、空を飛ぶ奇怪な機械から、エストーラの軍人たちが着陸した。
本土人たちは彼らにとって貴重な食糧を一部ウネッザの人々に提供すると、武装について、口頭で手短かに説明して去っていく。運が良ければ週に数度、海の時化がないような穏やかな気候の時に、彼らは食料を運んできた。
何とか助け船を得たウネッザだが、空前の食糧難には流石に追いつけず、ウネッザではかつての包囲戦のような極限状態は避けられなかった。
アルセナーレの職人たちは黙々と作業を進める。彼らの真下に陣取る敵から、海の覇権を再び奪い取るために。
完成した巡洋艦は、いずれも小型の外輪船であった。技術的に、エストーラ本国よりも若干後れを取っているウネッザでは、航空機の主要な燃料となる石油を用いずに、燃料は石炭を採用している。そのため、背の高い煙突を有している。
外側に取り付けられた二本の車輪は、水車の要領で水を掻き分けて進む。この二つの車輪が損傷を負った場合でも、小さな窓が複数付いた船体からは、櫂を伸ばして船を動かすことも出来る。その場合、木造の機動力には遠く及ばないが、これはウネッザ人が愛好するガレー船やゴンドラ船への強いこだわりであった。また、風を動力とするための帆を取り付けられるよう、甲板には木製の帆柱や三角帆も名残として残っている。
中央の蒸気を放つ煙突の下には機関室がある。ここには蒸気機関の動力が設置されており、この動力がパドルを回転させ、推力となる。そのため、機関室は外壁も頑丈な鋼鉄で作られており、また水没を防ぐために可能な限り高い位置に設けられている。
この艦船の主砲は機関室の前方を守るように設けられた銃座である。銃座は向きを上下でき、200度程度を見回すことが出来る。そこには、周辺に昔ながらの硝石銃が積まれている。銃はそれぞれ独立した単発式の武器となっており、連射性能は低いが、これを多数取り付けられた砲台は一人が装填を、一人が発砲をすることが出来るように工夫されていた。この、扇状に広がっている銃口の中心には、野戦砲と同様の仕組みである大砲が取り付けられ敵艦自体への打撃力となる。これも連射性能は低く、この固定砲台による攻撃効率はあまり高くはない。これらに加え、砲座を手動で動かすことのできる銃座が、四方に設けられている。
外観は、船底は黒の塗料で塗られ、甲板付近は真っ白に塗られている。この蒸気船が現在、アルセナーレの船着き場にずらりと整列していた。窮屈そうな外輪が、隣の外輪に気を遣いながら、少し間を開けて浮かんでいる。
アルセナーレでは今も、流れ作業の規則正しさで、彼の仲間が大量生産されていた。