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緑の指

作者: 梨香


 夏でも雪の冠をかぶったアルマ山の麓に寄り添うようにケトン町がある。小さな田舎のケトン村の産業は農業と畜産、そしてアルマ山に新たに見つかった鉱山だ。


 ケトン村の前からの住民の多くは、農業と畜産を生業としている。そして鉱山で働く人達との仲は残念ながら良くない。何故なら、アルマ鉱山からの排水がソルマ川を汚すのではないかと疑念を抱いているからだ。


「お父さん、お弁当」


 ケトン村の外れに鉱山で働く技師の家や長屋が建っている。デイジーの家は長屋では無いが、技師の家ほど立派では無い。父親のモリスは、技師の下請けというか、鉱夫のまとめ役なのだ。それは大学を出た技師では無いが、モリスが持つ特殊な技能が重要視されているからだ。


「おお、ありがとう。デイジーは本当に学校に行かなくて良いのか?」


 ケトン村に引っ越した時、デイジーも一応は学校に行ったのだが、レベルが低く習う必要性を感じなかったのと、鉱山関係者だと知られてからは無視されたりしたので、数日で辞めたのだ。


「うん、もう学校で習うことは無いし、私は家事をしている方が好きだから」


 町で暮らしていた頃から、母親を亡くしたデイジーは家事を引き受けていた。モリスは家に引きこもっていたら、友だちもできないのではと心配する。


「では、行ってくるよ。何かあったら技師のシュマーケンさんの奥さんに頼んであるからな」


 技師のシュマーケンは、新婚さんだ。まだ十三歳だけど家事に慣れているデイジーより、新米主婦のアマリアの方が手伝いが必要そうに見える。それでも、自分がいない小さな家の中でデイジーが一人っきりでいるよりは、近所の主婦と共にいる方がモリスにとっては安心だ。


「わかった。家の用事がすんだら、アマリアさんの家に声を掛けてみるよ」


 デイジーは、前に住んでいた町の家より小さな家の掃除をテキパキとすまし、洗濯物を干してしまうと何もする事が無くなった。こんな時は、町の暮らしが懐かしくなる。


「みんなどうしているのかな?」


 大きな町の下町で育ったデイジーは、学校の友だちや賑やかな暮らしを思い出す。一緒に学校の帰りに寄った屋台など、そして家に帰れば美味しそうなシチューが……


「お母さん……ううん、私が悲しんでたらお母さんも心配するわ! さっさとアマリアさんの家に行こう!」


 亡くなった母親の事も懐かしくなったデイジーは湿っぽくなった気分を晴らすように家から出て行く。台所に置いてある大きな買い物かごを手に青くけぶるアルマ山を見上げる。


「ケトン村は良いところなんだけど、村人はいけすかないわ」


 村を見下ろす雄大なアルマ山、緑の牧草地、小麦畑。町のゴミゴミとした下町育ちのデイジーには、風光明美で空気の美味しいケトン村は最初とても魅力的に見えた。学校に行くまでは。


「お前、鉱山の娘だろ!」


 転校初日から男の子に突っかかってこられ、女の子達からも仲間外れにされたのを思い出し、デイジーはうなだれたが「こんな田舎者に負けるものか!」と勝気な瞳を絡めかせて胸を張る。


「アマリアさんの都合が良ければ、一緒に買い物に行こう!」


 ケトン村の子どもだけで無く大人も鉱山関係者に感じの悪い態度をとる人もいる。でも、商売なのでパンや野菜などは売ってはくれるのだが、やはりデイジーみたいな子どもには愛想の一つもない。


 この前もパン屋で、先にデイジーが注文したのに、後から来た村の奥さんの方を優先した。一人で買い物に行くより、大人と一緒の方が心強い。


「アマリアさん、おはようございます」


 デイジーが鉱山技師のシュマーケンの家の玄関で声をかけると、アマリアが「入ってきて」と応えた。


「まだ朝食の片付けもできてないの」


 アマリアはお嬢様育ちなのか、どうも家事が苦手なようだ。夫のシュマーケンもお手伝いを雇いたいのだが、村人は鉱山関係者を嫌っているのでかなり給金をはずまないといけない。若い技師の給料では厳しい。


 鉱山の責任者のドルマンの家には前からの使用人がついてきていた。鉱夫達の長屋には村の主婦が雇われ、朝、昼の弁当、夜の食事を世話をしている。


 元々、そんなに人数の多いケトン村ではないので、新婚二人の家に雇われる暇人もいないのだ。


「アマリアさん、お手伝いします」


「助かるわ。その間に私は洗濯を済ませるわ。実家にいた時にもっと家事を習っておくべきだったのよね」


 アマリアが洗濯をしている間に、デイジーは焦げた朝食のフライパンや皿を片付け、ざっと掃除も済ませた。


「やれやれ、疲れたわ。デイジーちゃん、お掃除までしてくれたのね。お茶にしましょう」


 洗濯で疲れたと言っているアマリアを台所の椅子に座らせ、デイジーがお茶をいれる。


「美味しい! デイジーちゃんは家事が得意なのね。羨ましいわ」


「うちは母が亡くなったから、私しか家事をする人がいないので」


 アマリアは、悪いことを言ったと慌てたが、デイジーは「気にしないで下さい」と止めた。


「それより、これからパンと野菜を買いに行くんですが、アマリアさんの都合はどうでしょう?」


「そうね、パンとチーズを買おうと思っていたの。ちょうど良いわ」


 二人してケトン村の中心に歩いて行く。そこにはパン屋、肉屋、雑貨店、そして農家の人達が余った作物を売っている屋台が並んだマーケットに人が集まっていた。


「あら、今日はマーケットの日なのね。町にいた頃は毎日開いていたけど、ケトン村では週に一回か二回だもの。買っておかなきゃ!」


 ケトン村に来て二ヶ月が経つのにマーケットの開催日も覚えてないアマリアに呆れたが、確かに不便だとデイジーも思う。


「そうですね。ケトン村ではほとんどの人が野菜は家で作るから……あっ、そうだ! 私も作ったら良いんだわ!」


「えっ、デイジーちゃんは野菜を作れるの?」


 下町育ちのデイジーは野菜など作った経験はない。せいぜい出窓で花を育てたぐらいだ。


「へへへ……実は未経験です。でも、学校も辞めたし、暇を持て余しているから」


「学校は行かなくて良いの?」心配そうなアマリアに、デイジーは笑顔で応える。


「もう習うことは無いもん!」


 アマリアは町で上の学校も卒業していたので、少し心配した。後で、父親のモリスに近くの町の学校へ通う事を話してみる事にする。その後は、デイジーの事は親が決めるのだ。


「じゃがいも、玉ねぎ、にんじん、それにキャベツ……あのう、初心者でも作れる野菜の苗か種がありませんか?」


 基本的な野菜を買い、簡単に作れそうな野菜の種を買うことにしたデイジーだ。


「あんた、今まで畑仕事をした事があるのかい?」


 農家のおかみさんは細っこいデイジーを鼻で笑った。隣で見ていたアマリアはカチンとくる。


「デイジーは初心者だと言った筈よ。だから、簡単に育てられる種を分けてちょうだい」


「へぇ、あんたもするのかい? わざわざ種や苗を家から取ってくるのは面倒だけど、二人分なら分けてやっても良いよ」


「もちろんよ」


 アマリアは家事だけで手一杯で、家庭菜園どころでは無かったが、勢いですると答えてしまった。家をおかみさんに教え、じゃがいもなどを買い物かごに入れてパン屋、肉屋、チーズ屋を巡る。


「アマリアさん、ついでに雑貨屋さんでクワかなんかを買って帰りましょう!」


 アマリアは、クワで家庭菜園を作る自信は無い。


「ええっと、さっきは家庭菜園を作るって言ったけど……デイジーちゃん……」


 言いにくそうなアマリアの顔を見て、デイジーは笑った。


「あっ、そうだったんですね。じゃあ、食料品も重いし、一旦家に帰りましょう!」


 デイジーは少しがっかりしたが、家事だけで手一杯そうなアマリアに家庭菜園までする余裕はなさそうだと諦める。



**


 農家のおかみさんは、アマリアさんの家にトマトの苗、葉野菜の種などを約束どおり持ってきてくれた。


「お父さん、家の庭で野菜を育てて良い?」


「そりゃ良いけど……お前、隣町の学校へ通う気はないか?」


 家庭菜園を作る許可の話から、不自然に隣町の学校へと飛んで、デイジーは父親が何故そんな事を言い出したのかピンときた。


「アマリアさんから聞いたの? もし、あのまま町に住んでいたら友だちと上の学校に通ったかもしれない。でも、隣町まで通う気にはならないわ」


 家事は苦手なアマリアだけど、教養はあるし、女の子が勉強することにも積極的だった。デイジーも苗や種を取りに行った時、遠回しに上の学校について勧められていたのだ。


「考えが変わったら、そう言うんだぞ」


 モリスはガシガシとデイジーの茶色の髪を撫でた。


 事後報告だが、モリスに家庭菜園の許可を貰ったデイジーは、早速、雑貨屋で買ってきたクワで庭を耕す。


「何となくウネってものを作るってのはわかるんだけど……これで良いのかしら?」


 素人のデイジーだが、その家庭菜園は玄人でもびっくりするほどのできだ。


 デイジーがクワを一振り打ち下ろすと、土がもこもこと盛り上がる。他の人が見たら驚き呆れるだろうが、デイジーは素人だ。そんなものなのだろうと思っている。


「ええっと……このウネにはトマト、次のにはキヌサヤ、ブロッコリー、ナス、カボチャ……こんなものかしら?」


 家庭菜園ど素人のデイジーは、ジョウロで水をやって、出てきた芽を見て満足する。すぐに芽がでるなんて、あり得ないとは知らないのだ。


「収穫するのが楽しみだわ! 庭の横には家庭菜園を作ったけど、家の前には花壇を作ろう」


 鉱山の開発の為に作られた長屋や家は新しく機能的にできていたが、何も飾りも無かった。デイジーは、下町の家でも出窓で花を育てていたのだ。


「花の種は雑貨屋さんに置いてあるかしら? 花の苗は……無さそうね。森や山で採って来て良いものかしら?」


 デイジーはケトン村で友だちがいないのに溜息をついた。町なら友だちがいっぱいいたのだ。一緒に森に植物の採取に行ってくれた筈だし、ピクニックもしただろう。


「お父さんに一人で森に行くと言ったら、きっと禁止されるよね。でも、聞かなきゃ、禁止されない。それに家庭菜園は許可貰っているし、庭に花壇を作るのだって同じだよ」


 勝手な解釈をして、デイジーは森に植物の採取に行くこと決める。



***


「わぁ、綺麗!」


 森の中にはデイジーが見た事がない花が咲いていた。


「こんな花、庭で育つのかな?」


 森の木の間、光が差し込む場所に薄紫の花が群生していた。


「何株か貰って行こう!」


 駄目だったらもったいないので、デイジーは何株かスコップで掘り起こす。もこもことスコップは花の根を傷つけないように土を退けていく。


「森なのに畑みたいに土が柔らかいのね」


 デイジーはまだ自分の特殊さに気ついていなかった。


 森で薄紫の花を採ったデイジーは、ソルマ川沿いに帰ることにする。


「あんまり森には花は咲いてないのね。川沿いの方が色々咲いているわ」


 木々が生茂る森より、水とお日様が照らす川沿いの方が花にとっては居心地が良いのだろうとデイジーは笑う。


「これは……バラに似ているけど、小さい花ね。町のお屋敷には不似合いだろうけど、うちの庭ならきっと素敵だわ」


 野バラをスコップで掘り起こす。もこもこと土が野バラを押し上げていくので、根も傷めることなくデイジーは手に入れる。


 家に帰ったデイジーは、庭のどこに何を植えようか腕を組んで考える。


「野バラは玄関の両側に、そして薄紫の花は少し陰の方が良いのよね。そうだ、庭なら花が咲く木も植えれば良いんだ。できればサクランボとか杏とか……果樹園も欲しいかも」


 食欲に走るデイジーだ。ついでに料理に使うハーブも川沿いの原っぱで採ろうと走る。


「あっ……」


 原っぱには村の男の子がいた。それも、学校で「鉱山の子だろ!」とケチをつけた子だ。名前も知らないけど、デイジーは嫌いだ! とソッポを向く。


「おい、お前! 学校をサボってこんなところにいるのか」


 デイジーが無視しているのに声をかけてきた。どうやら学校を辞めたのを知らないようだ。


「私はサボっているんじゃないわ。もう学校には行かないことにしたの」


「何故だ? 俺が鉱山の子と言ったからか? だってお前は鉱山の子だろ?」


 面倒くさいが、答えないとずっと付いて来そうだ。


「私はデイジー。鉱山の子じゃないわ。鉱山で働いているお父さんの子よ」


 デイジーを無視していたくせに学校に来なくなったのはお前のせいだと、女の子達に責められていた男の子は、一人でいるのを見つけてチャンスだと思って声をかけたのだ。


「そうだよな。鉱山の子じゃなくてデイジー、それでなんで学校に来ないんだ?」


「あんたに言う必要はないけど、町の学校で習った事ばかりだったし、うちにはお母さんがいないから家事をしなきゃいけないの。だから、学校には行かないことにしたのよ」


 これで良いだろうと思ったが、男の子はついてくる。


「お前、お母さんがいないのか……俺もなんだ。俺はハインツ。仲良くしようぜ! で、こんなところで何をしているんだ?」


 デイジーは、どうしたら追っ払えるのかと溜め息をつく。男の子なら、きっと花やハーブなんかきょうみないだろうと考える。


「私は庭で育てるハーブや花、それと果樹園も欲しいから探しているのよ」


 ハインツは、果樹園は小さなデイジーには無理ではないかと張り切る。


「ハーブなら任せておきなよ。お姉ちゃんがいつもハーブを採ってこいっ言うから、どこに生えているのか知ってるぜ。それにしても果樹は、ちょっと重たくて無理じゃないのか?」


「ハーブは嬉しいわ。でも、果樹は挿し木で増やすんだと聞いた事があるの。枝を切って持って帰るつもりよ。でも、どの木が、何の木かわからないの。実がなってないんですもん」


「当たり前じゃないか! 実がなる季節じゃないと。でも、俺は知ってるぜ」


 ハインツのお陰で、デイジーはハーブと果樹の枝を手に入れた。



****


 庭の横の家庭菜園にはトマトが青い実をつけ、かぼちゃとナスは花盛りだ。葉っぱものは、もうサラダとして食卓に上がっている。朝早く鉱山に働きに行き、夕方帰ってくるモリスは、順調すぎる家庭菜園に気づいていなかった。家庭菜園が鉱山への道の反対側だったのもある。だが、玄関の前の庭の変化にはさすがに気づいた。


「なんてことだ! デイジー!」


 始めの野バラや薄紫の花ぐらいの時は、自分の娘が何処かで花の苗を買ってきて植えたのだろうと考えていたが、今朝までなかった木がそよそよと葉を風に揺らし、家庭菜園の反対側には果樹園が出来上がっているのを見て、モリスは頭を抱え込んだ。


「お帰り、お父さん。夕飯の準備の途中なんだけど、何?」


「何じゃないだろう。この木はどうしたんだ?」


 デイジーは、あちゃあと肩を竦めた。


「そういえば、お父さんに果樹園を作って良いか聞いて無かったかもね。森にリンゴやサクランボの木があったから採ってきたの」


「採って来たって……こんな木をお前がか?」


 まだ細い若木だけど、デイジーの身長ぐらいはある。


「違うよ。挿し木っていうのかな? 枝を切って、土に挿しておけば根がつくって前に聞いた事があるから、何日か前に挿しておいたんだよ」


 挿し木とはそんなものではないと、モリスは頭が痛くなる。


「ちょっと家で話そう……もしかして、家庭菜園も!」


 家で話そうと言った父親がダッと横の家庭菜園まで走り、ガクッと膝をつく。デイジーは、父親の行動が理解できない。お腹が空いているからかもしれないと首をひねる。


「お前は緑の指を持っていたんだな……」


 デイジーは『緑の指』よりも、夕飯の準備の方が気になる。


「お父さん、それは夕飯の後で良いかしら?」


 モリスは、落ち着いて話した方が良いと頷いた。



****


 アマリアもデイジーの庭の変化に驚いた。いつもはデイジーがアマリアの家に寄るのだが、このところ遊びに来ないので訪ねて来たのだ。


「まぁ、なんてことかしら!」


 デイジーがせっせと家庭菜園で収穫している横で、アマリアは驚き呆れていた。


「アマリアさん、どうやら私は『緑の指』を持っているようなんです。でも、父は秘密にしておいた方が良いと言うので、アマリアさんも内緒にしてね」


「内緒ったって……もちろん、秘密にはするけど……バレるんじゃないかしら?」


 デイジーは、確かに鉱山関係の家の周りでこんなに花が咲いているのは自分の家だけだと思った。


「そうですね。うちだけだと目立ちますね。アマリアさんの家にも花を植えたら良いんじゃないかな?」


「そんなわけ無い!」と言ったものの、アマリアも野菜やハーブ、そして果樹園、綺麗な庭の誘惑に負けた。


 デイジーはシュマーケン家の庭に小さな家庭菜園、手がかからないハーブ園、少々水やりを忘れても枯れない植物を選んで植えた庭、丈夫な果樹園を作った。


「ハインツ、ありがとう。ハーブは丈夫でほっておいても良いのね」


「ああ、ハーブはこうして花壇を囲んで植えた方が良いんだ。そうしないと庭中にはびこってしまうからな。バラもこの種類は丈夫だよ。花は小さいけど、つるで伸びるから」


 家事だけで手一杯のアマリアが負担にならないようにハインツと相談しながら植物を選んだ。もちろん、デイジーは『緑の指』については秘密にしていた。


「植えるの手伝おうか?」との申し出を、デイジーは「家の用事もあるんでしょ? それに学校の宿題は?」と追い返した。


 デイジーは、自分の家よりも慎重にシュマーケン家の家庭菜園、ハーブ園、庭、果樹園を作った。


「アマリアさん、この程度なら世話できる?」


 家庭菜園は本当に少しだけにする。


「ええ、苗を枯らしてしまうのは困るから、少しずつ始めるわ」


 枯らすのを前提としていたアマリアだったが、デイジーが手伝ってくれるのもあり、どうにか収穫に持ち込めた。その上、育てるのが簡単な花や緑に溢れた庭にデッキチェアーを持ち込んで本を読むのは、アマリアのお気に入りになった。



*****


「ねぇ、シュマーケンの家の庭は素晴らしいと思いません?」


 鉱山の責任者であるドルマン家で、シュマーケン家の庭が話題になった。


「そうなのか? きっと良い庭師を雇ったのだろう……」


 新聞から目を離さず、自分の話に無関心な態度に奥方は苛々する。


「うちの庭はまだ手付かずですのよ。これでは見劣りするわ」


 ドルマン氏は、どうやら雲行きが怪しいと気付いた。


「シュマーケンの奥さんに庭師について聞いてみたら良い。うちの庭も手を入れなくてはな」


「そうですね! アマリアさんをお茶に招待しますわ」


 どうやら合格の返事ができたようだと、ドルマン氏は新聞の記事に戻った。そこには鉱山開発と環境汚染について書いてあり、ドルマン氏にとっては頭が痛い問題だったのだ。


 アマリアはドルマン夫人のお茶の誘いを受け、何か手土産を持っていくべきか悩んだ。本来ならクッキーとかケーキとか持って行けば良いのだろうが、生憎とアマリアはスイーツなんて作れない。こんな時は年下でも家事が得意なデイジーに相談するに限る。


「ええっ、ドルマン夫人のお茶……上司のお家でお茶ですか? こんな時って何か持っていくべきなの?」


 子供にはそんな常識はない。アマリアは、そこは自分の判断を話す。


「できればクッキーとかケーキを持って行くのがベストだとは思うけど……ドルマン家には家政婦さんがいるぐらいだし、普通のスイーツじゃ気がきかない感じなのよね」


 その普通のスイーツすら作れないのではないかとデイジーは心の中で突っ込んだ。


「ならこのケトン村ならではの手土産が良いのでは?」


「そうなのよ! でも、私はケトン村に知り合いなんて無いし……」


 デイジーだって知り合いなんてハインツぐらいしかいない。


「ケトン村のスイーツは無理でも、この地方の花とかならどうですか?」


 アマリアはパッと顔を輝かせる。自分が焼いたわけでもないスイーツを持っていくのは何となく嫌だったのだ。


「それは良いわ!」


「うちの庭に植えている紫色の花なんかどうです? あれなら森に群生していますし、庭でも半日陰で育ちますよ」


 デイジーの庭でグランドカバーのように群生している紫色の花を思い出し、アマリアはそれなら良さそうだとうなずく。


「デイジーちゃん、一緒に森に採りに行ってくれる?」


「ええ、もちろんです。ついでに長屋の前にも何か植えようかと思っていたんです」


 デイジーの家の横には長屋がある。自分の庭が花盛りになったので、デイジーは長屋の前にも花を植えたら良いなと思っていたのだ。


 丁度、ケトン村に短い夏が訪れようとしていた。長屋の前にデイジーが河原や森で採ってきた花が咲いて、坑夫達の疲れた心を和ませる。


 アマリアもデイジーと森で撮ってきた紫色の花とハーブを寄せ植えにした手土産が、ドルマン夫人に大層気に入られ、ホッとしていた。やはり、上司の奥様のご機嫌はとった方が良いのだ。


「アマリアさんがこんな趣味をお持ちとは……庭師かなんかを雇われたのだとばかり思っていたのよ」


 アマリアは、デイジーの『緑の指』を秘密にしなくてはいけないので、笑って誤魔化す。


「ええ、ケトン村に来てから趣味で庭に花を植えてみたのです」


 ドルマン夫人はアマリアが庭を作ったのかと疑問に思った。何故なら、この春から夏に作ったにしては立派すぎるからだ。素人にできるとは思えない。


「凄腕の庭師をご存知なら、紹介してもらいたいの」


 アマリアは冷や汗をかく。自分が趣味で作った庭だと言い張っても無理がありそうだ。


「ええっと、村の少年に手伝ってもらいましたの。確か……ハインツくんとか……」


 デイジーの『緑の指』を内緒にしようとアマリアは誤魔化す。


「まぁ、専門の庭師じゃないのね。私の庭もどうにかしたいと思っていたのに残念だわ。本当に困っているのよ」


 アマリアは、上司の奥さんからの頼みを断れなかった。デイジーの『緑の指』を内緒にしながら、どうにか庭を作れるのでは無いかと頭でぐるぐる考える。


「大きな木やバラは町から取り寄せになりますが、花などは森や河原などから採ってまいればどうにかなりそうですわ」


 アマリアが受けてくれたのでドルマン夫人は喜んだ。


 家に帰ってアマリアは頭を抱え込んだ。自分の弱さがデイジーに迷惑をかけてしまうのを思うと自己嫌悪だ。


「でも、デイジーに頼むしか無いわね。うちやデイジーの庭と違って野バラより、大輪のバラの方がドルマン家にはお似合いだわ。木やバラは町で購入したら良いと思うけど……多分、ドルマン夫人は少し野生の植物も混ぜた庭にしたいと考えていると思うの」


 アマリアは、溜息をついてデイジーの家に向かった。どう言い出そうか悩んでいたが、そのままズバリ言うしか無い。


「デイジー、ドルマン家の庭を作る手伝いをして欲しいの」


 デイジーは突然アマリアからの申し出にびっくりしたが「良いよ」と軽く応えた。


「ハインツにも手伝って貰うわ……でも、少し悪いかなぁ」


 自分やアマリアの庭と違って、ドルマン家の庭は広い。木やバラは町で買うとアマリアが言っていたが、グランドカバーの花もいっぱい採って来なくてはいけない。


「それはドルマン夫人にお手伝いのお金を貰うわ。もちろん、デイジーちゃんのも貰うからね」


「お手伝いのお金を貰えるならハインツに頼みやすいわ」


 村の子ども達は家の手伝いもしているので、それを休ませて庭作りをさせるのだから、何か代価が必要だ。


 デイジーがハインツにドルマン家の庭作りを手伝って欲しいと言った時も、お手伝いのお金が貰えると聞いて二つ返事で承諾した。


「あの庭ならいっぱい花がいるなぁ。何か包む物があった方が良いかもな」


 デイジーやアマリアの庭ぐらいなら籠に入れて採って来たが、花の根が乾くのを心配する。


「それなら、家やドルマン家の新聞でどう?」


 二軒分の古新聞なら、株を包むのに十分だ。アマリアにバラや木の注文は任せて、デイジーとハインツは森へ花を採りに行く。


*******


「ねぇ、このくらいで良いんじゃない?」


 森の中、二人でせっせと薄紫の花を掘っては、古新聞に包んでいたが、デイジーは疲れてきた。


「そうだな、今日はこのくらいにしておこうか。バラや木を植えてから足らなかったら増やせば良いんだから」


「ハインツ、植えるのは私がしておくよ。だってハインツは学校にも行かなきゃいけないんだし」


 ケトン村の学校には夏休みは無い。春の種まき、秋の収穫の時、そして雪が積もった時が休みになるからだ。


「そうだな。後は、デイジーに任せるよ。また足らなくなったら言いに来いよ」


 二人して籠を背負って森から出て家に帰ろうとしていたら、丁度、男の子達が牛や山羊を村の牧草地から連れて帰るのにぶつかった。


「ハインツ、お前、家畜の世話をサボって鉱山の子と仲良くしてるのか」


 ハインツは、言いがかりをつけてきた男の子に言い返す。


「家畜の世話もちゃんとするさ。それに、この子は鉱山の子じゃない。デイジーってんだ」


「ふん、お前も鉱山で働きたいから仲良くしてるのか? 鉱山ってのは川を汚すんだってお父さんも言ってたぜ。牛や山羊も死んじゃうんだぞ」


 デイジーはまた悪口を言われるのだとうんざりする。


「ハインツ、花は明日までに持ってきて。じゃあね」


 あんな奴ら相手にしない! デイジーはハインツにだけ挨拶して家へと急ぐ。


 家に帰ってデイジーは、やはりケトン村の子ども達は嫌いだと腹を立てていた。


「田舎の子って他所から来た人を排除するんだから!」


 ぷんぷん怒っていたデイジーだけど、ハインツが花の株と家で作ったチーズを持って来てくれたのでご機嫌をなおす。


「花をドルマン家に植えよう!」


 翌朝、デイジーは張り切ってドルマン家に向かった。古新聞に包んだ薄紫の花を植えていく。スコップで土を掘るともこもこと筋になる。そこに薄紫の花を互い違いに植えるのだ。


「新聞紙、焚き付けになら使えるよね。家では新聞は取ってないから、乾かせば丁度良いわ」


 一仕事終えて、デイジーは花の株を包んでいた古新聞をまとめて籠に入れる。その時『鉱山の公害!』の見出しがデイジーの目に飛び込んだ。


「えっ、鉱山の公害?」


 デイジーは、ドキドキしながら駆けって家に帰る。青い顔をして土で汚れたシワクチャの古新聞を手で広げ、記事を読む。


「ケトン村の鉱山についてじゃないみたいだけど……もしかして、村の子ども達の方が正しかったの? 牛や山羊も死んじゃうの?」


 その日、お父さんに尋ねようと思いながらも、もし本当に鉱山が公害を出していたらどうしようとデイジーは悩む。


「お父さんの仕事が……無くなると困るけど……ハインツの家の牛が死んだらしたら嫌だわ」


 いつも失敗しない料理を焦がしてしまった。


「お父さん、ごめんなさい」


 デイジーの様子が変なのにモリスは気づいた。


「デイジー、ドルマン夫人に『緑の指』がバレたのか? もし、バレそうなら庭作りはドルマン氏に私から断っておく」


 そんなことではない。自分のことなら言いやすいのだけど、お父さんの仕事のことで言い出しにくいデイジーだ。デイジーは、隠して置いた古新聞を黙って差し出す。


「なんだい?」


 モリスは記事を見て、大きな溜息をついた。


「この記事なら事務所で読んだよ。デイジー、心配しなくていい。ケトン村の鉱山は鉛や銅じゃないし、俺がいる。だから、川を汚したりしないさ」


「お父さんがいるから大丈夫なの?」


「そうさ、私も少し変わった力があるんだ。土の中の鉱物を見つけるのも上手いし、川を汚さないように鉱物を仕分けるのも上手いんだ」


 デイジーは、父親の力なんか知らなかったので驚いた。


「そんなの知らなかったよ。お父さんの力についても、鉱山が公害なんか起こさないことも。それにケトン村の人も知らないよ。私、鉱山の子って馬鹿にされているんだもん」


「デイジー、それで学校を辞めたのか?」


「それだけじゃないよ。もう習ったことばかりだったから」


 モリスは、鉱山の責任者であるドルマン氏にケトン村の人々の誤解について話した。


「そうか、だから村の人は私達に挨拶しないんだな。田舎の人だから閉鎖的なのだとばかり考えていた。これは説明会を開く必要があるな。シュマーケン、資料を用意してくれ」


 ドルマン氏やシュマーケンの説明会で、ケトン村の人々も少しずつ鉱山に対して疑いを薄めていった。それに、ドルマン家の庭も素晴らしく、デイジーとハインツに庭を作ってくれとの頼みも増えた。


「デイジー、もうすぐ秋だな。庭作りも出来なくなるけど、どうする?」


 ハインツの家の庭を仕上げたデイジーは、手の土を叩いた笑う。


「隣の町の学校に通うことにしたの。私にはもう少し勉強が必要だと思ったから」


 ハインツもニッコリと笑う。


「俺も隣町の学校に通うよ! 家はお姉ちゃんが結婚して継ぐから、俺は勉強して仕事を見つけなきゃいけないんだ」


 デイジーとハインツは、満足そうに薄紫の花が咲く庭を見つめて、手を繋いだ。


「これからも宜しくね!」


 ケトン村の短い夏が終り、仲良く二人は隣町の学校に通い始めた。


「私は植物について勉強したいの!」


「俺も!」


 ケトン村に腕ききの庭師が生まれそうだ。


          おしまい


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― 新着の感想 ―
[良い点] 種を植えて芽が出たときって、感動ですよね。緑の手が 羨ましいです。健気で優しいデイジーに友達ができて良かた〜。
[一言] 緑の指、素敵な指ですね。 どうも植物を育てるのが苦手な私、必要にかられてミニトマトを種から育成しているのですが、どうにも発芽する気配がありません。素直に苗から育てれば良かったです……。 両…
[良い点] 緑の指というところから、もしかして梨香さん、ひだまりの合同誌用の作品を間違ってあげちゃったのかな――。 そんな気がしたのですが、杞憂でしたね。 鉱山だって緑の野原だって、同じ自然だし同じ…
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