27.魔法のない世界のおはなしと
閑話休題。
すぐに思考を彼方に飛ばすのはわたしの悪癖である。
ひとつ咳払いをして、わたしは彼女に向き直った。随分と話がそれてしまった。
「ええと、そうですね。私たちの世界には魔法というものが存在しませんでした。ですから、魔法を使わない方法……「科学」と呼ばれる技術が発達していったのです」
魔法は存在しない。ファンタジーは実在しない。
空には竜がおらず、鉄の塊が空を飛ぶ。草の根掻き分けても妖精はいない。
夜に輝くのは、名づけられた星たちだ。指先で火は操れない。人に生えた尻尾は退化した。
空は青く高く、一つだけの太陽が空で輝く。
魔法の存在しない世界を支配するのは、強い力、弱い力、電磁気力、重力の四つの力。
そんな世界を示しだすのは机上の数式。兆、億、那由他、恒河沙。
途方もない大きさの数字たちが、世界のあり方を映し出す。
夜を切り裂く電磁気力の光、生活を支える電気の力。科学の中でも、とりわけ電気分野と、それを扱う技術が発展し、生活は一変した。
指先ひとつで温度を操り、水を出し、火をつけ、灯を照らす。
魔法は存在しなくても、女も子供も老人も、個々の才能も。科学の前ではひとたまりもない。
幼児の持ったスマートフォンで、簡単に世界を知ることができる。老婆の指先がエアコンの運転ボタンを押せば、部屋の空気は途端に冷やされ始める。指先一つでコップが汗をかくくらいに冷えた水はあふれ出るし、汗を流すシャワーは湧き出てくる。
電子レンジ、冷蔵庫。ガスコンロ、エアコン。自動ドアに、スマホに、パソコンに、ええとそれから。
指先一つで、人は何でもできるのだと、わたしたちは疑うことなく信じていた。
フリッカ様の瞳が、きらきらと輝いた。煌めく眼球は、おおきく開かれた眼窩からこぼれおちてしまいそうだった。
「まあ、まるで夢のようですのね!」
「ふふふ、そうなんです。本当に、すごかったのですよ」
苦労を減らし、労を排し、世界はめんどくさいをかき消していく。
面倒臭い、手間がかかる。人を煩わせることは悪とされた。
それでも、そういったものも、捨てたものではないと思ってしまうのは、上から目線の発想なのだろうか。
手元のお茶に視線を落として、わたしはぼんやりと考えた。
だから、反応が遅れてしまったのだろう。
「指先、ひとつで、ねえ。そっか」
ミーミル様が吐息交じりに吐き出した言葉はひどくかすれていて、わたしの耳に届いた時には、今にも息絶えそうに千々に千切れてしまっていた。
その言葉をどうにかこうにか飲み込めば、その響きの苦さに喉の奥がしびれた。
そのしびれは脳を震わせて、彼方に飛んだ思考力が戻ってくるのを阻害した。
「あ、」
「ねえアヤ、そう致しますと、魔法に特化した種族というものは存在しませんの? わたくしたち……魔族でいうと、精霊やドワーフと呼ばれるような魔法を得意とする種族などはいませんの?」
わたしがミーミル様に言葉をかけるより先に、むむむとうなり声をあげていたフリッカ様の言葉が差し込まれた。
人との会話を一方的に打ち切ってしまうのはいけないことだ。
「……そうですね、基本的には、この世界で言うところの、人間族のみが存在していると思っていただければと思います」
だけれども、このときばかりは、彼女との会話を打ち切って、彼に声をかけるべきだったのかもしれない。
長身から落ちる影の濃くなった彼が、わたしを見た。わたしはその視線に答えて、彼と瞳を合わせる。
彼の口角が緩やかな孤を描くのをみて、わたしは確信した。彼の瞳。わたしを貫く彼の瞳。胃の底を冷やすような、そんな瞳の色。
透き通ったモスグリーンにかかる、ぼんやりとした白いモアレ。
その色合いから、わたしは、嗚呼わたしは、察してしまったのだ。
どうやら、わたしはミーミル様に嫌われてしまったようである。
その後、どんな風にお茶会がお開きになったのか、わたしはあまり覚えていない。ただただ言いようもない焦燥が、わたしの胸を焦がしていた。




