24.美しいひとと
「な、に、言ってるの! 美しいとか! そりゃ私は美しいけれども、けれども!」
わたしの言葉を放り込まれて、彼女の口はぽかんと空いた。
その口は引き結ばれて、また開かれて、そこから言葉がかろうじて滑り出した。
「……わたくしの、お母様が、おっしゃっておりましたの。努力の及ばない物を誉める者は、信頼してはならないと。努力でどうにもならない物を嘲るのは、畜生であると。
そして……人の努力を誉める者は、信頼に値するものだと」
引き結ばれた彼女の口角が、少しだけ上を向いている。そのことが、わたしの胸を撫でるように降りて行った。
絵具を垂らしたように、形のいい口角の端から頬へと、じわじわと赤色が広がっていく。瞳の輪郭まで上り詰めた赤色は、そこから耳の先まで染め上げると、満足したように彼女の鼻の一番高いところに集まった。
頬よりもいっとう赤い、つややかな彼女の唇が開かれた。
「……あなた、その、名前はなんと言いまして?」
「わたくしは……そう、アヤ、です。アヤと申します」
少しだけ、濁した。
魔族である彼女に、聖女であるわたし。
すぐにわかってしまうだろう、隠しきれるはずはないだろうと分かっていても、それでも「わたし」という生き物として彼女に接したかった。
聖女という存在であることに寄りかかって、人と関わる勇気を奮い立たせているというのに。聖女だからここにいてもいい、そんな安寧を抱きしめているというのに。
こんな時ばっかり、随分と虫がいい話だ。自分の小狡さが気持ち悪かった。
彼女の美しい笑顔が、突き刺さってどうしようもなかった。
「そう、わたくしはフリッカと申しますの」
フリッカと名乗ってくださった彼女は、わたしから視線をそらし、丁寧に櫛の通された髪を指先でくるくると巻き取るように弄んだ。彼女の尾が、ぺちんぺちんとしたたかに床を打っていた。
「ま、まあその? 貴女は他の馬の骨とは違うようですし、仲良くして差し上げてもかまいませんことよ!」
「……フリッカ様。老婆心からのお節介を焼かせていただいてもよろしいでしょうか?」
「なにかしら」
「美味しい話だ。と持ちかけられても安易に乗ってはいけません。うまい話には裏があるものでございます」
「意味は直接的には分からないけれども、貴方、遠回しにわたくしを侮辱していますでしょう」
言葉を返さず、乾いた笑いでもって答える。
向けられた非難の瞳が、わたしにはどうしようもなく心地よかった。
「……お兄様?」
「そですよー。ウォーデン君は、フリッカちゃんのおにーさんですよー」
「はあ……」
わたしは椅子に腰かけたまま、座っているフリッカ様とウォーデン様の二人を見比べるように視線を動かした。
二人とわたしの間に挟まれた机には、柑橘の香りのする飲み物が用意されていた。フリッカ様が用意してくださったものである。
準備ができましたよ、ミーミル様の言葉にひっぱられて顔を出せば、人が座れる程度に片付けられた机と、寄せ集められた種類の違う椅子が4つ鎮座していた。
何の準備ができたんだ、せめてお茶のひとつでも用意してから人をお呼びくださいまし。そう胡乱げな瞳でフリッカ様にとがめられたミーミル様は、胡乱な笑みで答えたせいで、彼女の尻尾に小突かれていた。
結局、お茶を淹れたのは彼女であった。
柑橘の匂いが、ふわりと鼻に抜けた。
確か柑橘の匂いは気分を上げ、意識を高揚させる効果があったと記憶している。ああそうだ、お茶の香りが部屋にあふれることは、飲むことよりも楽しいことだと、そんなことが書かれた本を読んだことがある。
だから飲まなくても楽しめるのだ。一口目で舌先を熱さにやられたわたしは、ぼんやりとそんなことを考えた。
話を眼前の二人に戻す。
ミーミル様によって与えられた情報によれば、夜を形どったような男性は、フリッカ様のお兄様とのことである。
あんまり似ていないなあ、というのがこっそり抱いたわたしの感想である。ふたりの共通点といえば、透き通るように赤い両の瞳ぐらいであった。
妹が魔族であることが判明し、連鎖的にわたしに正体を掴まれてしまった彼は、顔の半分を覆っていたフードをはずし、闇を溶かしたような黒髪から伸びる角を好きにさせている。太く節くれだったそれは、流れ落ちるような絹髪の繊細さとは裏腹に、山間の山羊のような豪快さをもって存在を主張している。
見つめていたら、ぱち、と彼と目が合った。
ピジョンブラットの色合いが、まっすぐにこちらを射抜いている。心臓を掴まれたように、わたしはその視線にとらわれて、ぴくりとも動けなくなってしまった。
彼の唇が、開いた。
「そんなことより、ですの!」
だか、そこから音飛び出すのよりも早く、場を切り裂いたのは、語気強めに吐き出されたフリッカ様の言葉であった。
「聖女? 貴方が、アヤが、ですの?」
秒だった。言葉通り、その通り、すぐだった。
隠しきれるはずはないだろうとは思っていたが、まさか茶の席につこうとした時点で明かされると思わなかった。
そういえばこの胡乱な眼鏡の男性は、わたしのことを役職で称していたのだ。
じとりとした視線を向ければ、稀代の魔法使い様は、お茶が美味しいですねえとにこやかに笑った。
わたしは息を吐き出して、机の向こうで身を乗り出している彼女に視線を戻した。
「はい、お恥ずかしながら、その大役を努めております」
「……ふうん」
すがめるような視線。瞳孔が小さくなり、こちらを伺うように見つめてくる視線。
「でも、ずいぶんと貧弱な聖女様ですこと。今までの聖女は空を自由に舞い、雨の様に魔法を降らせたものや、治癒の魔法に長けており、死をも恐れぬ軍団をつくったもの。果ては龍人族にも匹敵するような膂力で戦を制したものなどがいたといいますわ。貴方は何ができまして?」
色でいうなれば、黒色の視線がわたしに絡みつく。
喉奥からこみ上げる、せっかく、どうして、たらればを無理やりに飲み込むと、大きすぎて飲めなかったそれらがわたしに吐き気をもたらした。ぐるぐると状態を訴えてくる下腹に手を当てて、それらをどうにか抑え込んだ。
たらればは思考を鈍らせる。頭の中で、その言葉を何度も反響させて、わたしは努めて人好きのする笑顔を作った。
「わたくし……そうですね。本に対してなら、物覚えがいい方だと自負しております」
「……魔法は?」
「今のところ、火球も治癒も転移も変異も何も確認されておりません。」
これは本当のことである。
異世界に転移した、しかもそこは剣と魔法の世界だという。すわヒロイックファンタジー。有名どころで言えば指輪物語。英雄コナン。異形三国志。
わたしにだって、人並みの憧れくらいある。魔法のある世界に転生となれば、少しくらいその恩恵にあずかれるのではないだろうか。具体的に言えば、魔法が使えたりするのではないだろうか。
転生初日の、状況に流されるばかりで疲弊した頭では、冷静な判断などつかぬ。浮かれ切ったわたしは、なんにも知らないのに、どうしようもなく浮かれ切ったまま魔法の行使へを踏み切った。
ハイ・ファンタジー。エピックファンタジー。そう表現してしまうのは、この世界の人々に対して失礼かもしれないけれども、夢見たわたしは浮かれてしょうがなかったのだ。
結果は惨敗。
なんにも起こりやしなかった。
抱いてしまった夢に対して、さよならだけが人生さ、と吐き出したのをよくよく覚えている。




