22.とんでもないのです
方便でない。上っ面でない。
その言葉を信じ込んで、のこのことミーミル様のおうちを訪問したら、とんでもない美人がいた。
「……え、あ……」
声が出なかった。わたしの声帯は役割を放棄して、乾いた音しか漏らせなかった。
ふわふわとした灰褐色の髪が、窓からの光を透かして輝いていた。
昨日の今日の話である。今さっき、ついさっきの話である。
押しの強さに負けたのと、稀代の魔法使い様の「社交辞令ではない」との言葉を信じ込んで、わたしはミーミル様のおうちを訪問していた。
本日の同行人はグラム様であった。彼は街に用事があるとのことで、わたしに同行がてら、その用事を済ませてくるとのことである。入り口の扉をくぐらないままに、稀代の魔法使い様にわたしのおもりを任せると、騎士団長様は早足に町の方へと消えていった。
なにやら手を離せないらしい魔法使い様は、声だけでわたしを迎えいれた。落ち着いたら客人様をもてなす準備をするから、奥で待っていてくれと言われた。そのため、家の中で一番奥まった部屋を開けた。
そこにいたのはとんでもない美人だった。
確かそんな状況であった。
「……なに、わたくしの姿が恐ろしくて、声も出ないのかしら?」
わたしの存在に気が付いて、振り向いた美人はその柳眉をひそめ、目を細めてわたしを見やる。
美人は、眉根を寄せるだけで周囲の心に刺激を与えられるのだと、そんな話を聞いたことがある。
確かに、寄せられた柳眉の谷は、確かにわたしの心を穿ったように思えた。脳の震えが、指にまで流れているのか。わたしは、ふるふると震える指を握りこんだ。
「……ミーミル様って、本当にすごい魔法使いなのですね」
「は?」
「いいえ、何もおっしゃらないでくださいませ。分かっております。わたくし自身、魔法というものを軽んじていたことは認めております。魔法で姿かたちを変えられること、そのこと自体は知っておりました。でも実際に目の前で行われていると、なかなかに思考が追い付かないもので、そう、そうです。有体にいえば、わたくし、興奮しているのです。確かに、狐や雉、果ては琵琶なども「封神演義」の中で美女に姿を変えております。時代をすすめれば、白鳥に変えられてしまった姫君や、恐ろしい獣に姿を変えられてしまった王子など、列挙に暇がございません。たくさんの物語で、それらが描かれているのは存じておりました。存じていたのですが、眼前となりますと、わたくし、想像しておりませんで。まさか、本当にそんな魔法を拝めるなんて。ええと、でも、誤解なさらないでください。先ほどのものをすべて「魔法」とひっくるめてしまうのはいささか乱暴かもしれませんが、この世界の魔法というものについて、わたくしはとんと無知でございます。分からないものに対する先入観からの定義は視野を狭めま―――いや、待ってください。もしかして昨日お会いしたあの姿は、仮の姿で、こちらが本当のものなのでしょうか。ええと、それでしたらわたし、とんでもない勘違いを―――」
「お待ちなさい」
わたしの言葉を、ぴしゃりと叩き落すような鋭い声。
目の前の麗人は眉間を抑えるように額に手をやると、私に胡乱な瞳を向けた。
「……貴方、なんの話をしておりますの?」
「えと、だから……」
「大変申し訳ございませんでした。」
両膝を合わせ、足首と脛の前面を床に着ける。脇を開き、八の字に開いた両の手の指先を触れ合わせ、床に触れさせた膝の前に落とす。その手にこすりつけるようにして額を落とす。
平伏して礼を行うこと、所謂日本式土下座。最大限の謝罪を示す姿勢である。
「ご婦人のお支度に水を差してしまうなんて、本当に申し訳ありません」
この世界に土下座という文化はないのかもしれない。
それでも、わたしの鬼気迫る雰囲気が伝わったのか、目の前の麗人はわたしの謝罪を受け入れると、その面を上げさせたのである。
「……まさか私をミーミルだと思うものがいるなんて。どんな思考回路をしていたらそうなりますの。」
「いえ、その、昔から、蛙だの馬だの白鳥だの、魔法は姿を変えられるものだと、わたくしの中では相場が決まっておりましたので……その、稀代の魔法使い様ということで、そうなのかと思い込みまして、その、すわ眼前にその状況がと興奮してしまいました……」
「なるほど、貴方が幾分かおかしいところのある方だというのは理解しましたわ」
彼女の中で何か得心がいったようで、目の前の麗人は肉付きの薄い頤を何度も上下させる。
わたしは、ちらりと床についた自分の指先に視線を落とす。中指の第一関節は、筆記具が触れるせいで、不格好に盛り上がっている。本をめくるのに邪魔にならないようにと、深爪気味に切り落とされた爪は、一緒に色気も切り落とされているようだった。うすぼけた肌色をした爪の間には、こびりついてしまった黒色のインクが存在を主張していた。
彼女は、顎の先端から耳へと流れる、顔の輪郭の鋭角な角度すらも、光を反射してきらきらと輝くようで美しかった。
わたしは少しだけ自分が恥ずかしくなった。
ふと、彼女が目を瞬かせる。
そこで私は、彼女の瞳が、血のように赤い色をしていることに気が付いた。
「いやでも、可笑しいでしょう。貴女先ほど、ミーミルと話していたでしょう? 声が違うことに気がつかなかったのかしら?」
「……わたくし、ひとのおうちに遊びにいくという経験が、とんとございません。加え、わたくし、少々複雑な出自でして、わたくしが好きにできる空間というものにあまり触れてまいりませんでした。人を呼べるほど寛げる空間に、自分以外がいるという感覚に乏しいのです。だから、呼ばれた家には、その本人しかいないと思っていたのでございます」
「寝ている妖精の巣に火を放つようなものでしたわ。さて、そう! この話はここまでにいたしましょう!」
ぱし、と床を打つ音がした。
音の出所が分からず、わたしはあたりを見回して身じろぎする。
光を取るための大きな窓。四角く壁を切り取たその近くには、大きな姿見が壁に立てかけられていた。鏡の近くには腰ほどの高さのテーブルが置かれており、そのうえには小さな小瓶や刷毛などが広げられていた。質素な部屋だった。本棚ひとつなく、窓と鏡とテーブルしかなかった。
なんのための部屋だろう、とわたしは首をかしげて、身じろぎした際の足のしびれに脳をやられた。
「いいえ、いいえ、貴方のペースに巻き込まれてしまって、お話ができていないのだけれども、そもそもわたくしが申し上げたいのはそういうことではなくて。
……貴女、わたくしを見てなにも思わないの?」
もう一度、床を打つ音がする。
彼女の身に着けている、丈の長いドレスの裾から、髪と同じ色合いで、ぐにぐにと動く生き物めいた円錐形がのぞいている。
ぱし、ぱし、ぺしん。円錐形は床を打つ。さっきの音はこれだったのかとわたしは思った。
それがぺしんと床をはたく。首を傾げるわたしに、彼女は先に向かうにつれて細くなる、鱗の付いた円柱を見せつけた。
これは、もしかしたら彼女に付属しているものなのだろうか、ええと、じゃあこれは彼女の尻尾なのだろうか。わたしは首を、今度は逆側に傾けて、その先端が導くように、彼女の顔を指し示すのを見て、そして。
彼女の顔の輪郭を覆うように、びっしりと張り付いたその存在に気が付いた。
「……あっ、鱗!」
「今更ですの!?」




