21.夜のような男
はっと声の主を振り替えれば、そこに立っていたのはひとりの男性である。
わたしの茶色くぼやけた安麻とは違う。ぬばたまより黒く、夜より暗い、底の見えぬ色合いの絹髪を持った男性だった。
瞳は滴る血のようであり、ピジョンブラッドの色合いが、こちらをまっすぐに見つめている。紅玉がわたしを映して瞬いた。
髪と同じ色合いのフードが、顔の半分を隠している。そこから漏れた髪と、覗く紅玉しか、人となりを推し量るものがない。年齢や顔立ちを伺うことは難しい。えもいわれぬ底知れなさを感じて、畏れから背が寒くなるのがわかった。
息をのんだわたしを横目に、ミーミル様は差し出していた手をしまいこんで、へらりと胡乱な笑みを彼に向けた。
「あ、ウォーデンくーん。すいませんねぇ、そこのお嬢さんが想像以上に賢い子なもんでしてね? ついつい楽しくなってて招きいれちゃったんですよぉー」
「……今日は満月だ」
フードを指先でかぶり直すように摘まみ、呟くように彼は吐き出した。ぼそりとこぼれた音はどこかみずみずしく、彼の年齢が想像よりも若いのかとわたしは考えた。
「すいません、すいませんってばぁー。忘れてないですよー。そもそも、そこの人がこっちの都合も考えず押しかけてきたんですよー。ちなみに、こちらが押しかけてきたシグルドさんで、こっちの女性がアヤさんですー」
「あ、はい。わたくしは――――」
言葉を切ったのは、背中越しの気配に息をのんだ為である。
おおよそ地球で生きていた間には感じたことのない感覚。背中を泡立て、足を震えさせるその気配。氷の指先がわたしの足元から這い上がってきて、背中を撫で上げ、喉元に指先を突き立てる。
それが殺気と呼ばれるものだと、わたしは直感的に理解した。
背後のシグルド様から放たれる殺気は、わたしたちを気にも留めず、夜の様な男性に襲い掛かった。
冷たい気配に凍えながら、ミーミル様とわたしはそっと身を寄せた。ミーミル様はわたしの耳元に口を寄せ、からがらに言葉を注ぎ込んだ。
「……皆さん初対面でいらっしゃいますよね?」
「え、ええ、少なくともわたしは……」
シグルド様と男性は、いつの間にか面を合わせ、お互いに鋭い眼光で刺しあっていた。
聞こえていたのだろうか。二人が吐き出した薄氷は、わたしたちに投げられたものであった。
「ああ、会ったことはない」
「そうだな、こちらもお会いしたのは初めてだよ」
青色のヴェールが辺りを覆う幻想を見る。
二人の間の雰囲気が、周りの温度を下げていくような、そんな錯覚さえ起こさせた。
「ええと、なればなら、何故に一触即発な感じなんでしょうか……」
今でも口火を切りそうな光景に、隣の御仁も同じことを考えたのだろう。横目でちらりとその瞳を伺えば、ミーミル様は静かに頷いた。
「オジサンには分からないんですが、男には色々あるみたいなんですよー」
「『オジサン』も男性を形容する言葉にございます。男には、とひとまとめにするのであれば、ミーミル様、その辣腕を振るわれてはいかがでしょうか」
「ご遠慮願いますねぇ。なんなら君が、「争いはおやめになって」なんて涙の一つでも見せてみたら、この場は収まったりするんじゃないでしょうかねぇー」
「相済みません。わたくしの涙腺は、この寒さで凍り果ててしまいました」
「言いますねぇ。安売りはしないということでしょうか」
「わたくし、聖女ですので」
「それはそれは、失礼いたしました。この世界で最も希少な生き物ですものね」
「隣に並び立つ者のない、稀代の魔法使い様、もなかなかのものでございましょう」
「いやですねぇー。救世の聖女様にはかないませんよー」
閑話休題。
楽しく楽しく会話のこぶしで殴りあって、言葉の応酬で刺しあっていても仕様がない。
わたしはひとつ咳払いをして、冷たい空気に身震いをしながら、一歩踏み出した。横の魔法使い様が口角を上げたのを、わたしは感じていた。
射抜くような、突き刺すような。言葉の表現通りの、身をつままれるような眼光がわたしを縮み上がらせた。
ぐっと奥歯をかみこんで、わたしは夜のような男性に手を差し出した。
「ええと、改めてとなりますが、わたくしはアヤと申します。どうぞお見知り―――」
彼の手を握った瞬間、体の中を何かが弾けて通るのを感じた。
「え、今の」
目の前にちかちかと星が瞬いた。脳のシナプスを電流が走り抜け、脊髄に信号を出した。輪郭を広げるような、じんわりとした痺れが掌に広がっている。
男性も紅玉の瞳を、零れ落ちそうなほど見開いて、わたしを見つめていた。
彼の薄い唇から溢れ落ちた言葉が、木造りの床に跳ねる。
「……お前、」
彼は言葉を続けようとして、そうして。
「触るな」
空気を断つような音だった。
シグルド様の、熱い指が、わたしの肩に食い込んで、夜から引きはがす。
ひゅ、とわたしは息をのんだ。
わたしの後頭部はシグルド様の肩口に引き寄せられ、想像以上にしっかりとしている胸板に受け止められた。
彼の白磁の美貌が、肌の匂いを感じさせるほど近くにあって、わたしの鼓動は場違いにも跳ねてしまった。鎖骨にかかる節くれだった指先のくすぐったさと、肉腫の感触を感じさせる程力を込められた掌が、わたしの時間を止めた。きらきらとした透き通る色合いの髪が、その瞳が、いやに目についた。
木造りの床に落ちた沈黙が、凍える空気を伴って顔をもたげた。
いやもたげたら困る。
わたしは声を絞り出した。
「ええと、その。ミ、ミーミル様。本日はええと、お暇いただきます……」
「え、ええ、その方がいいかもしれないですね。いやあ、僕も用事を思い出しましたし? 本についてのお話をするのは、またの機会にしましょうか! ここ2、3日ならば僕も時間が取れますから。また是非ともいらしてくださいねぇ、あっはっはっはっはー。あ、これは方便とか上っ面とかの言葉じゃないので安心してくださいなー。僕は本当に君とお話したいと思ったんです。こんなに賢そうなの、なかなかいないし楽しそうじゃないですか。だから、是非是非またいらしてくださいなー。なんなら明日にでも! てか聖女様っていつも何をしてらっしゃるんですか? まだ戦争始まってないし多分暇ですよね? じゃあもう明日は僕のところに来ましょうか、折角ですし。君の世界の話も色々聞きたいんですよねー」
「ええと、その、とりあえず一言だけ言わせてください……押しが強い、です」
あまりのことに、さすがの二人も黙り込み、雰囲気もなりをひそめてしまった。
これはこれで、場が収まったのでよかったのかもしれない。




