10.邂逅、そして困惑
ぐるぐると回る肉塊をそぎ落とし、どうみてもピタパンにしか見えないような、内部にポケット状の空洞のある膨化食品にはさんで提供している。ソースと肉汁まで丁寧にまぶしている。野菜もあふれるほどにはさまれている。
ケバブだ。もうまごうことなきケバブだ。
「確か、現在の出店で売られるような「ケバブ」が「発明」されたのは、20世紀後半であるとされているんですよね。それと、イギリスでは、深夜ののん兵衛の主食とまで言われ、親しまれているという話もありました。この世界が具体的にどのくらいの文明レベルなのかは推して知ることはできておりませんが、中世ヨーロッパ……中でも大航海時代の15~17世紀くらいではないかと考えていたのですが、時代考証どうなってるんですか。「まだらの紐」の蛇の描写なんですか、でもあれはコナンドイル世界の生き物だから大丈夫なんですよ。そういえば、ケバブといえば、その通り、マライ・メントラインの「ケバブ」という作品があります。あれはケバブ屋に住み込みで働いていたフェリークス少年のお話で――」
「なーにぶつぶつ言ってんだい、嬢さんや! そんなにぶつぶつ難しそうな顔をしてねんだぁな。さっきケバブの名前を出してたんべ? 興味があるならどうだい、ちょっとこれを食べてみないかい?」
貨物船もかくや、入ってきた情報量に対抗し思考のアウトプットを行っていたわたしに、いきなり威勢のいい声が飛んできた。排出阻害のために、思考が鈍ったわたしの脳からは、乾いた声しか出てこなかった。
「あ、いえ、えっと、」
屋台の主人が、こちらをにこにこと人好きのする笑顔で見つめている。全体的に肉付きの薄い、骨ばった印象を受ける男性だった。骨の形がはっきりと見て取れる亭主の手には、まさに今わたしがくぎ付けになっていたケバブが乗せられている。
ずいと差し出されたそれを、困惑と共に受け取ると、出店の男性はシグルド様にも同じようにケバブを手渡して、からからと笑った。
「ほらほら遠慮すんなって、うめぇんだ、こら」
「む、確かに美味だな。味付けがいい」
がぶり、と以外にも豪快にシグルド様がケバブに食らいつく。ざぐり、と噛まれた生野菜が新鮮さを訴えた。
彼のお気に召したのか、続けて二口三口とケバブを口に運んでいく。
あっという間にぺろりと平らげてしまい、シグルド様は空になった手でケバブの代金を払う。
代金を支払うために、わたしも財布を取り出そうとすれば、手と微笑みで制された。
その気持ちのいい食べっぷりに気をよくしたのか、屋台の亭主は、続けてもうひとつケバブを手渡してくる。
まだ口をつけられていないわたしにも手渡し、わたしの両手はケバブで埋められてしまった。
「ずいぶんと気持ちよく食べてくれたかんね、こっちはサービスさ。さっきとは違う味付けなんだ」
「それはうれしい。ありがたく頂くよ」
にこやかに亭主に礼を言い、その場を離れる。屋台から少し離れたベンチに二人で並んで座り込んだ。
飲み物もあった方がいいだろう、とシグルド様は果実の入った飲料水まで買ってきてくださった。その結果、わたしは両手にケバブを持ち、傍らに果実水を置いた、食いしん坊の女みたいになってしまった。
それにしても、とわたしは声に出さず呟いた。
端正な顔立ちとは似合わない豪快さでケバブを召し上がるシグルド様。その横顔をこっそりと横目で盗み見た。
意外とこの方、ワイルドに召し上がる。勇者様は庶民の食べ物は召し上がらないと思っていたが、全く抵抗がなさそうだ。
人間は育つうえで獲得してきた倫理観にはなかなか抗いがたいものだ。
例えが悪いことはわかっているが、幾らたんぱく質や栄養素に飛んでいるからと言って、大方の現代人が虫を食べることができないのと同じだ。合理的、そうした方がいいと頭でわかっていても、長年連れ添った倫理観はそれを許さない。
もしかしたらこの方、高貴なふるまいとは裏腹に、市井の出で、叩き上げなのかもしれない。
わたしの食が進んでいないことに気が付いたシグルド様が、眉根を寄せた。
「どうしたんだい、アヤ。先ほどから口をつけていないようだが……何か苦手なものでも入っているのかい? そうだとしたら申し訳ないことをしたね。」
「えと、違います。食べられぬものはほとんどございません」
ぶんぶんと首をふるわたしに、シグルド様の眉間のしわが深くなる。
青い瞳がいぶかしげに細められていた。
「ふむ、ならば気分でなかったということだろうか? ごめんねアヤ。断れないのなら、私に助けを求めてもよかったんだよ」
「……そうですね、そうすればよかったのかもしれません」
助けを求める。その言葉を、かわいた唇で繰り返した。
わたしは大きく首を振った。
「い、いや、そういう話ではございませんね。気分でないのでもございません。食欲をそそる香りに、わたしも何か頂こうかと考えておりましたので、そういうことではなくてですね……」
情けなさから、顔に熱が集まっていくのがわかる。言葉はひどく重く、それを喉から吐き出すのがひどく億劫だった。
「その、ええとその、わたしの世界では、ケバブというものは主にお祭りや行事、人の集まるイベントに伴って出店される出店で売られていることが多かったんです。そして、わたしはそういったところに出向いた経験が少なく……その、」
言葉がしりすぼみになっていく。
どうやらわたしの言葉から、伝えたいことを察したらしい。シグルド様の瞳が泳ぎ始めた。
すました顔をしているが、先ほどより口角が上昇している。目の周りの筋肉も収縮している。
作り物でない人間の表情には状態の同時性と、左右対称性が存在する。そのどちらかしかなければ、愛想笑いのように、意図的に作られた表情として分類されることになる。今回はどちらもあった。
口元を見られていることに気が付いたのか、シグルド様は右手で口元を覆い隠した。
分かっていて何も言わないのは、わたしに口に出させようとしているからか。性が悪い。面白がっていらっしゃる。
わたしは観念した。
「どうやって食べればいいか、その、分からないんです!」
がぶっていけばいいんでしょうか。
情けなく呟いたわたしの言葉に、シグルド様は「んふ、」とくぐもった音を上げた。
笑っていらっしゃる。




