78 地下道を抜けた先に
「やめなさい、2人とも。ここは私がやるから」
メルはそう言うが、勝敗の決まらない戦に激高して『緋色の魔女』を出させるわけにはいかないのだ。
この広い庭でセルティオと戦っているのは、俺たちだけじゃない。何十体いるか分からない奴等の中で、俺たち三人の相手がこの1体だけなのは幸運と言える。
「僕たちのどっちか1人じゃ頼りないかもしれないけど、二人ならダメかな? 隊長の背中を任せられない?」
「任せられないわよ……任せたくないの」
メルは戦いながら声を荒げて、「けど……」と少しだけ弱音を吐いた。
「居てくれたら、心強いわ」
「でしょ」と笑顔を広げたヒルドは、「行くよ」と俺に合図した。
こんな状況に、酔いもだいぶ抜けたようだ。
横に飛び退ったヒルドにセルティオが再び食らいつく。
ヒルドが視線で送ってくる指示は、メルが驚く程に的確だった。
セルティオの長い舌が限界まで伸び、鞭のようにしなったところで、俺は無我夢中にヤツの背後から切り込んだ。
肉を切る感触がダイレクトに伝わってきて、全身に鳥肌が立つ。
言われた通りにやるだけだった。ダメージなんて与えられなくてもいい。セルティオを惑わすことが出来ればと思った。
メルが「全く」と唇を尖らせて、俺たちの間に入り込む。地面を蹴る音が聞こえて、小さな身体が高く跳躍した。
彼女の長い剣が、一振りでセルティオの舌を根元から切り落とす。
「ギャオス!」
人間めいた悲鳴を上げて、セルティオの巨体がのけ反る。
口元から吹き出す血しぶきに警戒するが、「これじゃないわ」とメルが叫んだ。
「毒液を吐くのは、瀕死の時なの」
ビターンと鈍い音を立てて水たまりに落ちた舌は、ビクリビクリと痙攣しながら、ジュウウと音を立てた。白煙と異臭を放って、やがて炭のように黒く固まる。
セルティオは上半身をのけ反らせたままその位置から動かず、低い唸り声を響かせていた。
腹の肉をバインバインとたわませているのは、何か意味があるのだろうか。
「来るのか?」
ぼんやり見ていた俺の横で、ヒルドがヤツに警戒しながら隊長の支持を待っている。
「城まで走って」
メルが声を張り上げる。
それはセルティオの最期なのだろう。俺は慌ててそこから逃げ出した。
城までほんの数十メートル。
走り出した途端、背後で嫌な音がして、俺は反射的に顔を回した。
空を仰いで、上向きになったセルティオ。
これでもかというくらいに口を開いて、塊になった黒い液体を高く空に吐き出したのだ。
瞳孔は開きっぱなし。断末魔は「グァ」という声に聞こえた。
俺はそのグロい光景に吐き気を覚えて、右手で口を強く押さえた。左手で城の壁にタッチして、3人でセルティオの最期を見届ける。
「一匹に手こずったわね」
メルが憤りを露にして深い溜息をつきながら、剣の刃を強く下へ払った。
俺とヒルドも隊長に習って剣を鞘に戻す。
「メルは大丈夫か?」
「えぇ、どうにか」
あまり望ましくない返事だが、俺は「そうか」と呟いて「ありがとな」と礼を加えた。
三人いるのにまだ一匹しか倒していない。けど、俺たちがすべきことは戦う事ではなく逃げる事なのだ。
徐々に戦場は広がっていて、城の反対側からも戦いの音が聞こえた。
焦りは禁物だと自分に言い聞かせて、俺は息絶えたばかりのセルティオに近付く。
横向きに転がった巨体は、白い身体の至る所に大きな黒い斑点を浮かばせていた。
「お前等、まさかコレも食う気か?」
この世界に来て何度も驚かされた食の話を気分転換にぶつけてみると、何故かヒルドとメルが同時に怪訝な表情を浮かべ、「えっ?」と声を合わせた。
「ユースケ、セルティオは食べられないわよ?」
「そうだよ。こんな気持ちの悪いの、誰も食べようなんて思わないよ。ユースケの世界では平気なの?」
「いや……」
俺だってこんなの食いたくはない。
「そういうものなのか」
カーボやシーモスは食べて、セルティオは食べないというのは、やはり動物型と妖怪型の差だろうか。
メルは手早くヒルドの腕に応急処置を施し、先を急いだ。運良く骨は折れていないらしい。
どこかでまた爆発が起きて、地面が軋んだ。
「危ない」と叫ぶメルの視線を追って顔を上げると、絶賛戦闘中の庭の奥からヒュルルルと大きな火の塊が飛んできて、すぐそこの地面へ轟音と共に突き刺さった。
衝撃で砕けた無数の黒い塊が高く跳ね上がって、今度はバラバラと音を立てて頭上から降って来る。
「ユースケ」と手を引かれた俺とヒルドは、メルが言った茂みに全速力で飛び込んで、地面に隠された小さな扉から中へ入り込んだ。
入口こそ狭いが、中は俺が両手を広げられるほど広く、少し屈むと立って歩くことができた。俺より背の高いヒルドにはちょっとキツそうだが、燭台に灯した火を頼りに目的地まで無事に着くことが出来た。
メルの説明だと、中央廟の側で、塀の外側らしい。
「ここから一旦町へ戻りましょう」
そう言って静かに天井の扉を押し上げたメル。辺りを確認すると火を消した燭台を中に戻し、俺たちに「大丈夫よ」と声を掛けた。
彼女の後に俺が続いて、ヒルドが最後に扉を閉めた。
ここから逃げる事を正直俺は遠慮したかったが、メルに反抗する気も起きなかった。
けれど、この後の展開は俺が一番望んでいないものだった。
「ここまで来れたんですね」
彼の気配を俺は感じ取ることが出来なかった。
メルもヒルドも突然響いた声に肩を震わせて、俺たちは顔を見合わせつつ同時に彼へと視線を向けたのだ。
声を聞いただけで俺はその主が誰なのか分かった。この騒動が起きてから、ずっとこんなことになるんじゃないかと予想していたからだ。
やっぱりという確信。
「ハイド……?」
メルが困惑顔を向けたのは、白髪の老父だった。
穏やかな表情で笑む彼の後ろで、真っ赤な四つの瞳が俺たちをじっと狙っていたのだ。