69 彼と彼女が見せた変化
――『お願いだから、帰ってよ!』
昨日、美緒が別れ際に言ったその言葉は、俺の豆腐メンタルをズタズタに粉砕した。
だから『俺の歓迎会』と称されるこの宴に、彼女が現れるとは思っていなかった。
昨日の今日で円満に仲直りできるとは思わなかったし、その予測通りテーブルの端から俺を見る美緒の視線は、「まだ帰ってなかったの?」と言わんばかりの鋭さだ。
けれど今ここで騒ぐわけにもいかず、俺はひとまず彼女から顔を逸らし、クラウに習ってジュースの注がれたグラスを手に取った。
「今日はユースケの歓迎会だ。みんなも知ってる通り、僕の弟だからね。仲良くしてくれたら嬉しいよ」
俺がこの世界に来た本当の理由が、クラウの口から語られることはなかった。
向かいの席で「よろしくね」とはしゃぐエムエル姉妹に「はい」と返事し、俺はクラウの合図でグラスを高く掲げ、乾杯をした。
「乾杯、ユースケ。中央廟はどうだった? なかなか帰ってこないから、待ちくたびれたよ」
「何でお前が隣なんだ、ヒルド」
こんなに女子が居るというのに、何故か俺の席はクラウとヒルドに挟まれている。
「ええっ。いいじゃないか。僕だってリトさんと一緒にこのご馳走を食べたいと思うけど、忙しいって断られちゃったから我慢してるんだよ?」
身振り手振りで哀愁を表現しながら、ヒルドは酒の注がれたグラスをぐいぐいと空けていく。
けれど、リトはそんな言葉とは裏腹に、俺たちと並びの一番奥でマーテルと仲睦まじく談笑中だ。そこに向かいの席の美緒も加わり楽しそうに笑い合う姿を見ると、俺まで辛くなってくる。
「ヒルド……やっぱりお前が隣で良かったよ」
妙な仲間意識が沸いてきて、俺はヒルドの肩をボンボンと叩いて寂しさを分かち合った。
気持ちが少し落ち着いたところで、俺は改めて宴の始まった部屋をぐるりと見渡す。
アニメでは定番の『お城での食事シーン』を再現したような、中央に置かれた細長いテーブル。
総勢13人が囲んでもまだまだ余裕の広さだ。その外側を数人の侍女が固め、食事の支度と飲み物の手配にせわしく動いていた。
ただ残念なことに、目の前にいっぱい並べられた豪華な食事も進んで食べる気にはなれず、俺は少しずつ柑橘系のジュースを口に運んでいる。
上座はクラウ。そこから手前に俺たちメル隊3人が並び、向かいにはエムエル姉妹がいた。
積極的に話しかける二人に、クラウも必然と笑みがこぼれる。
二人はただ胸が大きいだけじゃない。若干幼く見える甘い顔立ちに、他のメンバーにはない大人の色気を兼ね備えている。しかも、同じ顔が二つも並んでいるのだ。
彼女たちに触れられているわけでもないのに、見れば見る程えっちな身体は、テーブル一つ挟んだ距離でも強すぎるくらいの刺激を放って来る。
俺はフェロモン攻撃から逃れるように彼女たちの隣へと視線をスライドさせた。
そこへ飛び込んできた光景に、思わず「えっ」と声を詰まらせる。
何か場違いなものを見てしまったような。一度逸らした顔を恐る恐る戻して、俺はクラウに真相を尋ねた。
「何でここにもう一人イケメンが居るんだ?」
「あぁ。まぁ、彼がそうしたいってことだからね」
ここは異世界の巨乳女子が集うハーレムだったはずだ。
もう一度としつこくそっちを振り向いた俺に、チェリーが何食わぬ顔で笑顔を返してくる。酒場に行った時と同じ、男バージョンでだ。
胸もないし、チャイナも着ていない。むしろこの部屋でクラウに並ぶ主役級の美男子と言い切れる。
女としてこの世界に来た彼が、この城で男として振舞うのはアリなんだろうか?
「そうなの。チェリーすっごくカッコ良くて、びっくりしちゃった」
俺にはまだ判別のできないエムエル姉妹の片方が、隣に座るチェリーをちょっと恥ずかしそうに見上げた。
「ありがとう」とスマートに返すチェリーは、女性の雰囲気などかけらもない。
「リトが彼を連れてきた時は驚いたけど、ゼストとも仲が良いみたいだし、無理に帰すことはないと思ってさ」
だいぶ懐の大きい魔王だ。
そんなチェリーの向こう側には、ゼストと佳奈先輩が続いていた。人目もはばからず、和気あいあいとツーショットを見せつけられると、もはやここが何の集まりだか分からなくなってくる。
俺の中の『ハーレム』といえば、ソファの真ん中にクラウが座って、その周りを女子が取り囲む図なのだ。それなのに、ここにいる女子の面々は、エムエル姉妹を覗いて皆各々に食事を楽しんでいる。
俺の視線に気付いた佳奈先輩が、微笑みながら手を振ってくれた。その横でゼストが「いいだろう」と言わんばかりのドヤ顔をする。
羨ましいという気持ちと、ここでオープンにしていいのか? という疑問が同時に沸いて、俺は答えを求めてクラウへ視線を返した。
「佳奈はゼスト一筋なんだよね」
クラウは呆れ顔で苦笑する。
「いいのか? お前のための女の子達じゃないのか?」
「無理強いしてまで心を奪おうとは思わないよ。きっかけは僕だったのかもしれないけど、彼女たちはこの世界に来る選択をしたんだ、辛い思いはさせたくないだろう?」
そんなこと言って、『次元の間』でリトが連れてきたおばさんには丁重に帰って貰っていたけど。
「ねぇ、ユースケ」
ほろ酔い加減のヒルドが、俺に顔を近付けて耳打ちしてくる。
「あそこの端に居る女の子が、ユースケの追って来たミオなんでしょ?」
何気に聞かれたその質問に、俺は緊張を走らせた。
「可愛いけど、ずっと怒ってるみたいだよね」
ヒルドの言葉が耳に届いたとは思えないが、美緒はそれを察したかのように立ち上がって、何故か俺の所に向かってきた。その様子に、ゼストも驚いた顔で俺と美緒を交互に見つめている。
「ファイトだよ、ユースケ」
ヒルドの応援は心強いが、平然とした顔で彼女を迎えることなんて俺にはできなかった。
動揺を必死に抑える俺の前に立って、美緒は「佑くん」と小さく呟く。
「美緒……?」
「ちょっと、いいかな」
怒りに満ちた表情を覚悟したが、彼女の顔には寂しさが広がっていた。
だから俺は意を決して「おぅ」と立ち上がったのだ。