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38 彼と交わした視線の重さ

 別れ際ゼストに渡された剣は、俺がメルーシュとの戦いで一度手放したものだった。俺を崖から救出した時に拾って、メンテナンスしてくれたらしい。


「ピカピカですね」

「俺を誰だと思ってんだ」


 普乳(ふにゅう)普及協会代表で、魔王親衛隊の1人で、俺の担任の保健体育教師であり、更に鍛冶屋のゼストだ。


「たいして傷んじゃいなかったぜ。メルのは酷かったけどな」


 そりゃ、メルの剣は一度俺の心臓を貫いているのだから、彼女の腕をかすめただけのなまくらとは違うだろう。

 俺はゼストに礼を言い、一日ぶりに剣を腰に提げた。


 街中には殆どモンスターは現れないと聞いて一安心。

 俺がクラウに貰った力は特殊で、一度使ってしまうともう効果は無くなってしまうそうだ。『少し分け与える』という行為もクラウにしかできないらしく、ゼストに「俺は無理だ」と言われてしまった。

 俺は魔法なんて持っていないのが普通なのに、その便利さを知ってしまうと名残惜しく感じてしまう。


「いいじゃない、その剣。メルのと比べると大分貧弱そうだけど。騎士(ナイト)って感じね。いざって時は守ってね」

「は、はぁ」


 チェリーなら素手でモンスターと戦えそうな気がするが。

 『チェリーと二人きりで過ごす夜』の開始五分で彼の気分を害すわけにはいかない。


「そういえば、お腹空きましたね」


 昼に弁当のような箱入りの肉料理を食べて以来だ。

 空腹を感じて腹に手を当てると、チェリーは長い髪を片手で払って「外に行きましょうよ」と俺を誘ってきた。


 一度部屋に戻り、用意してもらった服に着替える。着替えとはいえ、シャツとパンツのみで、再びくるくると裾を折り返している。

 女の格好をしている割に、チェリーは俺がこの世界で会った誰よりも背が高かった。ハイヒール効果で、俺はもう彼の肩に頭が届くのがやっとだ。


 支度して玄関に下りたところで、俺は待ち構えたチェリーの姿に思わず「あれ?」と疑問符を投げかける。

 斜め上に振り返った顔は、俺の知っているチェリーではなかった。


「行こうか」


 そう言って扉を開けた彼は、いつもの化粧顔ではなく、すっきりとした男の顔だったのだ。後ろで束ねられた髪も、服も、女の要素が一つも感じられなかった。

 ヒールのない分、顔の距離も近く感じるし、格好のせいか声もいささか男らしく聞こえる。


「どうしたんですか?」


 何故か俺はドキドキしてしまった。これは別に恋してるとかではなく、驚愕のあまりというやつだ。


「胸が大きいと、異世界人だってバレちゃうでしょ? 私と貴方だけなんだから、厄介ごとは避けたいの」


 確かに納得できる話だが、そう簡単に男女を使い分けられるものなのだろうか。


 「ほぅら」とチェリーは俺の手を引いて、自分の胸に押し付けた。

 「うわぁ」と声を上げながらも俺はその硬さに驚いて、ペタペタと何度も胸板に指を滑らせる。何かで胸を押さえつけるように巻いているらしい。


「男装の麗人みたいですね」


「でしょう?」と笑むチェリーに、俺は馬鹿正直に「あっ、違うか」と訂正を入れる。


「逆? 男装の女装? あれ?」


 頭が混乱してきたが、


「そういうの、ハッキリさせなくていいから」


 と釘を打たれた。


「貴方って、ちょっと無神経なとこがゼストと似てるわね」


 チェリーは疲れ顔を見せて、前髪をかき上げた。


「そ、そうですか? えっと、じゃあ今日はチェリーさんのこと何て呼べばいいですか? の……」

「桜でお願い。どうせカタカナ読みの名前ばっかりなんだから、気付かれないでしょ」


 範夫(のりお)の「の」しか言わせてもらえなかった。

 一瞬睨まれた目に肩をすくめ、俺は彼を追って家を出た。


   ☆

 見慣れない男バージョンのチェリーと並んで夜の街を歩く。

 中心部に行くにつれてどんどん通りには店が増えて来るが、殆どの灯は消えていた。ヤシムさんの服屋を見つけて、俺はようやくここがメルの家がある街なのだと納得した。


 元居た世界の繁華街とは違い、人もまばらでひっそりしている。

 見知らぬ街の夜の姿に胸を躍らせながらも、すれ違う人の足音や、遠くで呻く獣の声に敏感になってしまう。


「怯えてるの?」

「い、いえ……」

「モンスターはたまに出るみたいだけど、治安はそんなに悪い所じゃないわ。これもクラウ様の実力ね」


 町にモンスターは入れないようにしてあるとクラウに言われていた筈だが、さっきゼストから聞いた「殆ど出ない」の言葉に込められた出現率が三割くらいな気がして、背筋がゾクゾクと震えた。

 町と山の境に塀のようなものは見当たらないし、やっぱりウロつくこともあるのか。


 なるべく、いや絶対に今夜は遭遇したくない。

 ここにはメルもゼストもいない。勝手の分からない異世界人二人組じゃあ、戦って生き長らえる自信はない。


 チェリーは細い路地を曲がって、黄色いランプが下げてある小さな扉を潜った。

 木のテーブルが並ぶ酒場だ。外観よりも中は広く、席もそこそこ埋まっている。

 奥のカウンターから「いらっしゃい」と声が飛んでくる。客は9割が男だったが、声の主は40代くらいの女性だ。


 俺は店内を見渡して、先に進んだチェリーの後を追った。

 入口すぐの所で、一人グラスを傾ける人物に視線を奪われる。


 この魔法世界ではちょっと珍しい、俺と同じように腰に剣を差した男だ。

 アニメのキャラにでもいそうな、顎より少し短く切り揃えられた黒いおかっぱ頭で、クラウよりも少し年上に見える。


 視線に気付いてか、顔を起こした彼の深い藍色の瞳が、俺の目と重なった。

 それは瞬きするほど一瞬で、何もなかったかのように彼はまた手元の酒に視線を落とす。

 明らかに、他の客とは異質な空気を放っているように見えるが、チェリーは気付いているだろうか。

 

 俺がメルーシュに刺されて一度死んだのは、つい昨日の事なんだ。

 なるべく穏やかに過ぎればいいと願った夜は、しかし異世界人の俺の望みなんて聞いちゃくれないらしい。


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